Volver
雑居家族
Table of Contents
雑居家族
壺井栄
Reading Settings
Tamaño de fuente
18px
Tema
Claro
Oscuro
Sepia
Protección ocular
Interlineado
Modo de lectura
Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 2 of 11

柳の糸

ひな段は九歳になる男の子の机の上だ。内裏さまは子供雑誌のふろくの、五人ばやしまでがそろっている厚紙の模型ひな段をそっくりそのまま一段高いところに置き、両側に桃と菜の花を飾ろうというのである。花は床の間にいけてあるので間にあわそうというのに、どうしても新しい花を買いにゆこうと男の子はいいはる。ほかにたくらみもありそうだった。

「花ぐらい買ってくれたっていいよ。かあちゃんなんか、いつだって買うじゃないか。」

男の子――夏樹はほおをふくらませて、半ばふてている。きのう、となりの女の子の初節句に人形を祝ってあげたのをやいているのである。それがわかっているので、母親の安江は軽く対抗しながら、わざと、

「きみ、男の子なんだぜ。男のくせにおひなさまなんて騒いで、第一、おかしいよ。」

「おかしくないやい。喜久男くんだってやってるもん。」

口をとがらせるのを安江もまねて、

「喜久男くんのは、ハツミちゃんのだよ。」

「ちがわい。喜久男くんのが、ちゃんとありますからね。」

「五月人形がね。」

「ちがいますよだ。おひなさまですよだ。ぼくのだよって喜久男くん、いいましたからねだ。」

「そうですかねだ。そんなら喜久男くん、どっかへオチンチンおとしたんだろうねだ。」

これには夏樹も笑い出してしまった。しかしそれで負けたと思ったらしく、一しょにふき出した姉の音枝に突然むしゃぶりついた。

「このやろ! よくも笑ったなッ。」

ひな段をせい一ぱいにぎわしてやろうとて、家中の郷土人形を集めて飾りつけていた音枝は、思わずよろけて夏樹の足をふんだ。

「あたアあたア。」

大げさな声で、骨がくだけでもしたように両手で足の先をかかえこんだ夏樹は、ごめんね、と音枝にいわれると、時を得たように泣き出した。そのこけおどしの大声をきくと、安江はどなりつけた。

「なにさ! 男のくせに。」

しかし夏樹はますます声を高くして泣き立てた。こんな時の手である。二針も縫わねばならないほどの傷をしても大して泣かなかったりするくせにと、安江は更にどなった。

「あまったれ泣き! あられもひしもちも買ってやらないから。」

「いやだア。」

おーん、おーんと、よくもこんな声がとあきれるような泣き声である。声で刃向ってきたなと思ったとき、まるで火に水をかけるように、玄関のブザーが鳴り出した。しかもなかなか鳴りやまぬ。ボタンの押しっぱなしだ。

さすがの夏樹も泣き声をおさめはしたが、しかし足の先はやっぱり両手でかかえこんで顔をしかめている。

「ごめんね。」

ささやいておいて取次に出ようとする音枝をさえぎって、中廊下をばたばた走って玄関へ出たのは浜子だった。十日ほど前安江をたよって、いなかの家を半ば無断でとび出してきた、十八の娘である。音枝はもう浜子についてゆかずに、

「やっと腰をさげるようになったわ。」

と、まゆをよせて聞き耳をたてている安江にささやいた。この家の玄関は板敷きなので、人を迎えるのにすわって手をつけとはいえぬが、せめてひざをついて応対するようにと、安江はいつも若い者にいっていた。それをそのまま音枝が浜子にいったのである。すると浜子は、人のよい音枝をみくびって言いかえしたという。

――お客さんは立ってるのにこっちがすわるなんて、封建的ですわ。男女同権ですもの――

そこで音枝はおかしいのをこらえて、

――でもね浜子さん、うちはそういうしきたりなのよ。

――そんなしきたり、打ち破ればいい。あんがい古いのね。

――だってうちの家は洋式じゃないのよ。突っ立ってると、お客様を見おろすことになるでしょう。

――あたり前だわ。相手は土間にいるんですもの。

そこでとうとう音枝は母に応援を求めたのだった。

――おかあさん、私、浜子さんは苦手よ。つかいきれない。それにあの人、女中さんの仕事なんて、する気ないらしいわよ。

三十にもなっていて、気の弱いことをいう音枝だった。しかしその時には安江は笑ってとりあわなかった。どうせここに落ちつく娘とは思えなかったからだ。ところが浜子の方はどんなつもりか、きのうはいなかの母親のところへ電報をうったという。――ニモツオクレ――と。

そして今は、自分の方から玄関へとび出していったのだ。ぶっきらぼうな問答がきこえてきた。

「どなたですか。」

どうもやはり突っ立っているらしい。

「わしだというて下され。」

「あら、ワシってお名前ですか。」

「そう。お安さん、いるかね。」

「おばさんのことですか。」

「おばさんというとこをみると、あんた、お安さんのめいかね。そんなら波子の娘かね。」

「あら、失礼ね。ちょっとまってください。」

こちらでは安江と音枝が声を忍んで笑っていた。客がたれか、もうわかっていたからだ。夏樹だけはひとりしんこくな顔をして、足をさするのを忘れて聞き耳たてている。

「あのう、ワシっていうんですけれど。」

浜子は突っ立ったままげらげら笑う。

「なによ、笑ったりして、失礼じゃないの。」

と、たしなめながら、安江もつい笑ってしまった。玄関へは音枝が出むかえて、

「さ、おじさんどうぞ。鷲なんて珍らしいみょう字だもんで、知らないものはおかしいんですよ。」

台所の方へかけこむ浜子に聞かせるためにもわざととりなすようにいったのに、音枝の心づかいに気づかなかったのかひなた縁にすわったまま客を迎えた安江は、

「ああ、珍らしいわね兵六さん。しばらくでしたね。さ、こっちのあったかい方へどうぞ。」

夏樹が急に向きをかえて客と母とを見くらべはじめた。そして安江の耳もとに口をよせ、

「お客さん、ひょうろくって名前?」

それをひじでおしやりながら安江は、もう六十をこしたはずの客をひなたの座ぶとんに招じた。台所では音枝と浜子がはいまわっているらしい。それを気づかせないためにも安江はしゃべらねばならない。一応のあいさつののち、

「――ふえましたね、白いのが……」

すると客はそれに合せるように左手で頭を一なでした。小鼻のわきのホクロが、また大きくなったと思いながら安江は、

「戦争じゃあ、苦労しましたね、おたがいに。――おせいさんも娘さんもお達者で?」

兵六さんはきゅうくつにズボンをぎんばらせてすわり直しながら、

「さ、そいつがね――」

と、また左手で頭をかく。安江はおどろいて、

「どうかしましたか?」

「いやあ、元気すぎましてな。」

そして気になるらしく夏樹の方をあごでしゃくり、

「この子が、あの子ですかい?」

「ええ。」

「三年たちゃあ三つになるというが、そんならもう、ここのつぐらいかいな。」

「今流にいって、満七つと、何か月かな。」

「ふーん。そんならわしゃ、えらいごぶさたしたな。足かけ九年になるかいな。」

感慨のあまり兵六さんはすっかりいなか言葉になり、一瞬暗い顔をした。なにか深刻ななやみがありそうだと思い、安江は思わず悪い想像をめぐらしていた。難題を持ってきた人のそれは暗さであった。しかしせっかくお休みのきょう、そんなことはごめんとばかりに話をそらし、

「夏樹ちゃん、鷲のおじさんにごあいさつは。」

夏樹は素直に、

「こんちわ。」

ぴょこんと頭を下げはしたが、そのつづきでとび出していった。手で口を押えながら。

みんな笑いを押えているらしかった。台所でこそこそというざわめきがあるのに、なかなかお茶が出てこない。年がいもなく音枝までがと、少し腹を立てた安江は、ぽんぽん手をならし、

「音枝……音枝……」

すると夏樹がかわって、

「おねえちゃん、お茶菓子買いにいった。」

そしてくっくっと笑うのである。

「浜子さんは。」

「いる。」

「なにしてるの。」

「笑ってる。」

そしてまたくっくっと笑う。

「しようがないね、ほんとに。若い者にかかっちゃあ、兵六さん、ワヤじゃ。――浜ちゃん、いいかげんにしてお茶ちょうだい。」

しかし浜子は現れず、かわりに夏樹が茶盆をもってはいってきた。足のことはすっかり忘れはててにやにやしている。安江に盆をわたしながら、

「ね、浜子さんね、笑っておなかが痛いんだって。鷲なんてもうおかしくないってよ。今は兵六の方がおかしいんだって。」

そして自分もげらげら笑いながら、そんなことで急に親しみを感じているらしく、

「おじさん、兵六って、ほんとの名前?」

すると兵六さんは夏樹の意を迎えるような人のよい笑顔をむけ、

「ほんとうとも。兵左衛門という家の、六番目のむすこさ。」

安江はとりなし顔で、

「お前が夏生れて夏樹というようなものさ。」

しかし夏樹はそれに耳もかさず、

「ぼく、あだ名かと思ったよ。そんならおじさん、小さいとき、兵六玉ってなぶられなかった。」

「なぶられたね。今でもいわれるよ。」

「へーえ。だれに。」

「おせいさんという人や、二三子さんというお嬢さんにね。」

安江はあらわにいやな顔をして、

「よしなさい鷲さん。――夏樹もなんですか。おとなにむかって。」

「だってぼく、聞きたかったんだもん。わかんないことは聞けって、いったくせして。」

少しばかりてれている夏樹に、安江は、

「いやね。お前さんがおひなさまをほしがるわけの方が、よっぽど聞きたいよ。」

そして兵六さんに、

「おかしな子でね。女の子みたいにお手玉がすきだったり、きょうはおひなさまだといって、さっき騒いでたんですよ。」

「なにごとも世はさかさまになったかな。うちの女房や娘は男のわしに出ていけという――」

夏樹がいるところでと、安江は少し困惑した顔をしながら、冗談めかして、

「そんな話犬もくわんそうよ兵六さん。それで男のあんたが出てきたわけでは、まさかないでしょう。」

すると兵六氏はちょっとあわてた口調で、

「まさか。わしも男ですからな。女ごときに負けやしませんがね。わしも男じゃ。そうそう馬鹿になってもおれん――」

わしも男じゃといいながらぽろっと涙をこぼしたことで、夏樹の目がまたくるくるしだした。安江はむつかしい顔になり、

「その話、あとにしましょうよ兵六さん。夏樹はあっちへいってらっしゃい。ここはおとなの話よ。」

「はあい。」

素直に立ちあがったと思うと、

「じゃあぼく、桃の花買ってくる。」

と、安江の鼻の先にかた手をつき出す。百円わたすと、

「それから、花あられも買う。」

「ああ、いいよ。」

「ついでにおもちゃもね。」

「なにいってんのよ。すぐつけあがる。」

すると何を思ったのか兵六氏も急に立ちあがり、

「夏樹さん、おじさんも一しょにいくよ。」

「…………」

夏樹ははかるようなまなざしで安江を見る。

「いいじゃありませんか兵六さん。来たばっかりなのに、少しゆっくりしたら?」

しかし兵六さんはあわてたかっこうでオーバーに手をとおしながら夏樹と一しょに出かけるしたくをした。オーバーは左のそで裏がひどくやぶれているらしく、なかなか手が通らなかった。彼が左ききなことをふっと思いだしながら安江は、そのうすよごれた粗末なオーバーをみると、

「ちょっとまって。」と奥へ引っこみ、いそいで千円札を一枚、ちり紙にくるんできた。

「久しぶりなのに、ゆっくりすればいいのに。――失礼ですけど、これで桃の花でも買ってって仲なおりしなさいよ。」

オーバーのポケットにつっこんだ。そして何となくほっとした気持と、また別に、このたずねてくるたびに落ちぶれてゆくようなかなしい老人の姿を、気のめいる思いでみおくった。

――この前きたときは、彼は戦後のどさくさの中で景気のよい方の人間だった。何と思ったのか自動車のない時代に自動車でのりつけてきて、一もうけする気はないかといった。安江に金でもあれば出資させようという魂胆だったらしい。その前はまだ戦争中で、甘いもののない時代に、ブドウ糖と称する黄色い菓子をもってきた。それは食べると口の中が黒くなった。――

門の戸がしまるのを待ってでもいたように、音枝と浜子が台所からころがるようにして出てきた。今までも笑っていたくせに、この上まだ、思いっきり兵六さんについて笑おうというようなその様子をみると、安江は渋い顔をして、

「なんだろうほんとに。限度というものがあるわよ。音枝は、親せきなんだよ。出てきて一しょに話相手ぐらいすればいいじゃないか――」

「だって、兵六おじさんたら、おかあさんのこと、おやっさん、おやっさんていうんですもの。」

「お安さんにちがいないじゃないの。」

「かげで聞いているとおやじさんみたいにきこえて、おかしくて。ね、浜ちゃん。」

「あんたらがあんまり笑うから、帰ってしまったじゃないの。兵六さん自分ちでおもしろくないことがあったらしいのにさ。出先でまた笑われて。――失礼だよほんとに。」

「ごめんなさい。」

「粗末ななりしてるからって、軽くみるもんじゃないわよ。」

それは浜子にもあてつけていったつもりだったが、音枝が重ねてわびた。

「すみません。そんなつもりじゃなかったわ。浜ちゃんのもらい笑いしちゃったのよ。」

母と娘のやりとりを聞いている浜子は、いっこうに平気で、しかしさすがに馬鹿笑いはやめて、

「鷲兵六なんて、名前が悪いんですわね。でもあの人、少しコレですね。」

左のこめかみのところで指をくるくるさせる。

「浜子さん、あのお客さんは私のまたいとこなのよ。バカにしないでちょうだい。」

ぷんとして浜子は引きさがった。それを追っかけて安江は、

「なんですか浜ちゃん。ぷんとするのだけ一人前なの。まねでもいいからすみませんぐらいおっしゃい。」

大きな声を出したとたんに、ガガーとブザーが鳴りひびいた。安江ははっとして、思わず居ずまいを直した。そしてふっとおかしくなった。きょうは大声を出すたびにブザーが鳴ると思ったからだ。それにしても、このブザーは心臓にこたえる。チリチリリンにとりかえねばと思いながら玄関に耳をすますと、

「ただいまア。」

という夏樹につづいて、兵六さんのさびた声で、

「上等の花がありましてな。柳も一しょにこうて来ましたわ。」

おどろいている安江の前へ、おもちゃを買ってもらって得意顔の夏樹につづいて、桃と柳を胸にかかえた兵六さんがにこにこ顔ですわった。

「まあ、兵六さん夏樹につきあってくだすったの。すみませんでしたね。」

仕方なくそうはいったものの、ゆっくりとオーバーをぬいでのゆうゆうとしたすわり具合から察して、安江はふと、ある不安を感じた。兵六さんが勘ちがいをしたか、それとも安江自身の思いちがいか、とにかく、さっき桃の花でも買って――といったのを、兵六さんは聞きちがえたのだろうか。

――あの人、少しこれですね……。

浜子のいった無遠慮な言葉が、はっと安江の胸にきた。女房や子供に出てゆけといわれて出てきた人にしては、あまりになごやかすぎるではないか。

「桃だけ買うつもりでしたらな、柳までがあってな、すっかり小豆島の節句を思い出してな、夏樹さんに話したら、それならそれでいこうという相談になってな――」

いいわけがましいところから察しると、これはお互いの勘ちがいではなく、どうやら兵六さんの方が計画的らしい。どんなつもりでいるのか、兵六さんはしきりと夏樹を相手に命令を発している。

「竹がいるんだがな、竹が。――夏樹ちゃん、竹あるかい竹。四つ目垣つくった余りのようなのでいいんだがね。細いのでいいよ、細いのでな。」

「うん、あるよ。」

「それとね、ノコがあるかい、ノコ。ノコギリだよ、ノコギリ。」

「あるよ。」

「キリもいるね、キリ。穴あけるやつだよ、穴をね。」

「わかったよ兵六さん、キリぐらいあるよ、キリぐらいは。ね、おかあちゃん。」

兵六さんのそのくせのある妙ないい方に気づいてさっそくまねをする夏樹に、安江は笑顔ができなかった。子供の夏樹にまでもうつけこまれている兵六さんの人のよさが気の毒になったのだ。しかし兵六さんはそんな安江の思いなどいっこう気づかぬらしく、夏樹とだけむかいあっている。

「カンナもいるね、カンナ。カンナあるかいカンナ。」

夏樹は笑い出して、

「カンナぐらいありますよ。カツブシ削るやつだろ。」

「うん、そうだそうだ。そいつらをみんなここへもってきてちょうだい。」

「オッケー。ノコギリとカンナとキリだね。」

とび出してゆく夏樹に、兵六さんは、

「クギもいるよ、クギも。」

「オッケーのオッケーだ。」

ふたりの問答を聞きながら、安江は桃と柳をくみ合せて机の上のひな段にかざった。やはり郷里の小豆島を思いだしていた。

机の前はすぐに兵六さんの仕事場になった。音枝が物置から持ってきた四五本の竹を、兵六さんは一本一本吟味しては、ひと節ごとにノコギリをあて、左手で器用にきりはなしてゆく。一ふしで一つの花立ができる勘定だった。花立は上の方を削りおとしてクギ通しの穴をあける。それを出入口や窓の両側にかけ、桃と柳の一枝ずつをいれるのである。それは兵六さんや安江たちの郷里のひなまつりの風習であった。ひな段はもとよりのこと神だなも仏壇も、へっついも井戸ばたも、土蔵の二階のあかりとりの窓までも、節句は桃と柳であった。

手つばをかってキリをつかっている兵六さんに安江は話しかけた。

「こんなこと、久しぶりじゃなあ兵六さん。ようまあ、柳までが見つかったこっちゃ。」

「そういな。わしもそう思て。」

「小豆島なら、きょうらあたり、荒神川の柳の木はみんな裸じゃったなあ。」

「そういな。」

と兵六さんは丸めた背をのばして安江の方をみ、

「ほんじゃけんど、あれだけ坊主にせられても、柳はやっぱり、来年はちゃんと柳の木で芽エふいとったのう。」

「そういな。こぶだらけの大きな柳の木が、細い細い枝をのばしてのう。……こんなの見るの三十年ぶりじゃ。」

「わしの方はもっとじゃ。」

桃と柳はすっかりふたりを田舎言葉にしてしまった。そしてその、故郷を出た三十年昔から更に十何年も昔のある日のことを、安江はひょいと思いだした。それは遠い遠い記憶であった。安江がまだやっと小学校にあがったか、あがらないかの時だった。姉のよしのと一しょに安江は川土手を歩いていた。白と紅とが交りあった桃の花が咲いていた。それをながめてよしのの足ははがゆいほどゆっくりで、しかも同じ場所をいったりきたりなのだった。そうして何度目かの花の下道で、黒いマントを着た若い男が、ひょこっとふたりの前に立っていた。男は素早くよしのに何かを手わたすと、一言もいわずに立ち去った。同時に急に足の早くなったよしのに安江はきいたのである。

「ねえちゃん、なにもろたん?」

するとよしのは少しこわい顔をして、

――なあももらわへん、ほら。

と、手をひらいてみせた。そして今度はきげんをとるように、

――だれっちゃにいうたらいかんで――と口どめをした。その時の黒いマントが兵六さんだったのだ。

兵六さんも、あんなに若かったのに――とあたり前のことを安江が思うのも、今目の前にいるその人があまりに変りはてているからだ。あれから半世紀に近い歳月がすぎているのだから、しわや白髪はあたり前のことだが、そのしわや白髪にいささかの自信もなげな兵六さんの哀れさは、何かものほしげなものを押しつけているようで、安江はひそかに警戒している自分に気がついていた。何の懸念もなさそうに田舎言葉でバツをあわせてはいるものの、浜子たちをしかれたものではない。姉のよしのが生きていれば、きょうだいづきあいの間柄になっていたかも知れぬ兵六さんなのだ。しかし、この人が昔、姉とかけおちまでした人かと思うとげっそりした。夏樹を相手に、立ったりすわったりしている兵六さんを安江は、一種のごうまんさで、

――もう姉のことなど思い出すこともないのだろうな……

と考える。安江にそんな遠い記憶が残っているとも知らずに、兵六さんは、今にも水ばなの落ちそうな鼻の先を、手の甲でこすりながら、よいとこしょ、とかけ声かけて立ちあがり、

「さ、お飾りだよ夏樹ちゃん。おじさんが花立打ちつけるからね、夏樹ちゃんは桃と柳をさしておくれ。」

かなづちと花立をもって玄関へ出てゆこうとするのを押しとどめるように、安江は夏樹にむかっていった。

「夏樹、おじさんにあんまりめいわくかけちゃ、だめよ。早く帰らないと、おじさんち遠いのよ。」

すると兵六さんもまた夏樹にむかって返事をする。

「なに、大丈夫だよ、なあ夏樹さん。」

そうれみろという顔で夏樹は、

「うん。約束したんだもんね、兵六さん。」

安江はあきれて、

「なによ夏樹、おじちゃんとおっしゃい。いやな子ね。」

「おかあちゃんだって兵六さんていうじゃないか。ぼく、気にいったんだ兵六さんて名前。だから兵六さんて呼んでもいいか、ちゃんと聞いたんだよ。そしたら兵六さん、ガッテンショウチノスケっていったんだもん。ね、兵六さん。」

「そうとも、そうとも。」

「それから、今夜泊ってゆく約束したんだよ、ね兵六さん。」

安江は顔色をかえ、

――なにいってんの、夏樹!……

と叫びたかったが声にならなかった。

家のぐるりをはしゃいだ夏樹の声がとびまわっている。それと調子をあわせてでもいるように、金づちの音がきこえる。出入口や窓に花立がうちつけられているのだ。一しょに桃と柳を楽しみたい気持をすっかり失った安江はへやにもどってむっすりと考えこんでいた。いわばひとりっ子的な夏樹の、たれにでも親しんでゆく気ままさも、いつものように可哀想がれず、それにつけいった兵六さんに気がめいった。何といってことわるべきか。しかしいずれにしろこうなれば夕食だけは共にせねばなるまいと思うと、気持はやはり重る。

――兵六さん、水くさいようだけど、あんたには家があるんだから、帰って下さいよ……

そういってことわろうか。それなら音枝にいって一ときでも早く夕食のしたくをさせた方がよいと思う。そのうち、夫が帰ってくれば、何とかしてもらう。私はすぐ玄関にとび出していってささやかねばならない。

――兵六さんがきてるの。泊りたいらしいの。すみませんけど、それだけは困るといってね……

そしたら夫はいうだろう。

――なんでお前、はっきりことわれなかったんかね。いやなことは、みんなおれにいわせるつもりかね……

――ふとんがないのよ……

――そんならそうとはっきりいえばいいじゃないか……

ひとり問答しながら、安江は時計をみた。三時四十分だ。ベルを押すと音枝が小走りでやってきて、部屋にはいるなりうしろをしめた。けわしい顔をしている。

「どうしたの。兵六さん?」

「ううん。浜ちゃんなのよ。」

「なんだって?」

「おひまをいただきますって。」

「おひま? どういう意味かね。」

「わたしのような馬鹿はつとまりませんからってよ。――おかあさんが大きな声出すからよ。」

「じょうだんじゃないよ。つとまらないとか、おひまをいただくなんて、私は浜ちゃんを雇ったおぼえないよ。勝手に押しかけてきたんじゃないか。」

思わず声が高くなるのをしずめるように音枝はゆがんだ笑顔をつくり、

「とにかくね、ちょっときて。私じゃ手におえないの。」

「なんだっていうの。今更、ここを出ていってどうするつもりかね。じょうだんじゃない。」

「女ひとりぐらい、どうにでもなると思っているらしいの。」

「バカね。ここへよんでよ。」

「大きな声だけ、よしてよおかあさん。」

内しょ声でいって音枝は出ていった。

浜子はなかなかこなかった。そのなかなか姿を見せなかったことで安江は落ちつきをとりかえしていた。押しかけてきたとはいえ、一たん受入れた以上はやはり、年長者としてこの場をうまくおさめねばなるまいと、少々業腹なのをがまんしていたのだが、いくらまっても姿をみせないとなると、せっかちな安江はじっとしていられなくなる。ポンポン手をたたくと、また音枝が小走りにやってきた。

「浜ちゃんどうしたのよ。」

「どうって。なだめたりすかしたりするけど、だめなのよ。」

「だめって、なんなの。」

「困っちゃうわたし。」

「しようがないね。なんだって?」

「おばさんともあろう人が、あんなことをいうとは思わなかったって――幻滅なんだって。」

「なによ、それ。」

「なんだかしらないわよ、わたし。」

「へえ、それをお前、だまって聞いてるの。」

人のよい音枝のことだ。母のかんしゃくだからゆるしてくれとでもいったにちがいない。と思うと安江は顔をまっかにして立ちあがっていた。

「おかあさん、あんまり気をたてないで。間に立って、困っちゃうわたし。」

「わかったよ。お前のお人よしはね。――女の子ひとりがさばけないんだから……」

あとの方はつぶやきながら安江は、浜子のいる台所わきの三畳の入口に立った。音枝もついてきていた。音枝にすれば母が気を立てているのは兵六さんのことからだと察してはいたが、浜子も浜子だと思わずにいられない。母には言えなかったが、浜子はいったのである。

――あんな親切なおばさんの出てくる小説をかくくせに、ずい分冷酷だわ。その上古くさくて、ほんとにあきれちゃう……

まだ東京へきて半月かそこらでこんなことの言える浜子を、音枝は音枝であきれていたのだ。正直なのだろうか、それともこれがいわゆるアプレというのかと。

それにしても女流作家などというレッテルをはられている母が、まだ小娘の浜子を相手に声荒らげることは困る――と音枝は思い、ひそかに母を見守っているのだった。その気持だけは安江にはわかっていた。だから安江はまさか自分を冷酷な女だといわれたとも知らずに、平静な声で浜子に話しかけた。

「ね浜ちゃん、落ちついて話しあいましょうよ。どっかへいくならいくで、ちゃんと相談した上で、円満にやりましょうね。」

しかし荷物をかたづけていた浜子はだまったまま、あてつけがましくスーツケースのチャックをしめた。

こういうのはなんだろうと、ややしばらく安江は浜子の背中を見つめているうちに、少しおもしろくなってきた。いわば、無理やり押しかけてきておきながら、そういう遠慮はちっとももっていないのだ。無邪気というのかわがままというのか。自分が悪いとはさらさら思っていないらしい。

「ねええ浜ちゃん、あんたそれで、ゆくところ、あるの?」

「…………」

「ゆくところがないというから、私んとこにいることにしたんでしょう。ま、それはともかくとして、うちにいたくなければ、いないでいいわよ。だから、二三日まちなさいよ。あなたのゆく先、さがしましょうよ。」

「…………」

「だまって出ていって、あなたはそれでいいかもしれないけど、わたしは困るのよ。とにかくあんたのおかあさんから、たのまれたんですからね。出てゆくといわれて、ああそうですかではすまないのよ。今のところわたしの責任なんですからね。」

「たくさんですわ。」

まるで肩にかけられた手をふりきりでもするように、浜子は肩をふっていいきる。

「たくさんでも、わたしは困るのよ。」

「自分が困るからそんな親切そうなこといってるんですか……さっきはどなりつけたくせにおとななんて、ずるい。」

あとの方はさすがに小声でいって、ぷいと立った。と思うと台所からサンダルをひっかけたまま、かたかた音を立てて表へとび出していった。それは音枝に引きとめるすきさえ与えなかった。案じ顔の音枝へ、安江はむつかしい顔をしたままいった。

「ほっときなさい。そこいらの風にふかれてきたら熱がさめるよ。」

「でも――」

「いいったら。だからなめられるんだよ。でもいっとくけどね、荷物もって出てゆくようだと、ほっとけないよ。たのむよ。」

「どうするの。」

「いやだね。お前だけはゆく先を知っとかなくちゃだめってことよ。」

「監視するの。」

「いやなこといいなさんな。――ねぐらの心配してやるんですよ。」

「ああそうか。」

「わたしには内しょの顔でさ、――そうだね、鷲さんの家へでも紹介してやるか。」

皮肉にそういいながら安江は肩に重たい荷物を背負わされた思いだった。浜子だけでなく、鷲兵六からも。

もう夕食がはじまろうというのに浜子はなかなかもどってこない。音枝がひとり気をもんで、まゆ根をよせながら、

「おかあさん、どうします。御飯できてるんだけど。」

それは兵六さんへも気を配ってのいい方だった。

「じゃあ兵六おじさんに、さき食べてもらいなさい。遠いんだから。」

そういって部屋を出てゆかなかった。音枝はすぐ広縁で一ぷくつけている兵六さんに、

「おじさん、何もありませんけどごはんが出来ましたから先き食べてくださいな。おそくなると困るでしょうから。」

「なに、一しょでいいよ。一しょでな。」

「でも、待ってるときりがありませんのよ。おとうさん、いつ帰るかわかんないんですもの。」

「そんならそれでもよろしいがな。」

そういって、さっきからの続きの灰ざらいじりをやめようとしない。この家の客たちの吸い残しのタバコをたんねんに拾って吸っているのだ。中には口紅のついたのさえあった。音枝はたまりかねて、

「おじさん、タバコとってきますわ。」

そして安江の部屋へゆき、腰をかがめてささやいた。

「兵六さん腰すえてるのよ。おかあさんきて、そういってよ。」

舌うちをしながら安江は出ていった。兵六さんはよごれた灰ざらを前に並べて、吸がらの一つ一つをつまみあげては左の指先で灰のよごれをはじきおとしていた。それをまた夏樹がいい気になって協力しているらしく、いろんな灰ざらが幾つもならんでいるのだった。

「兵六さん、やめてくださいよ。そんなタバコ、ニコチンがひどいのよ。」

すると兵六さんは卑屈な笑顔をみせて、

「なーに、ニコチンもへったくれもありませんよ。夏樹ちゃんにたのんでこれからも取っといてくれるようにいったところですよ。――これだけあれば、二日や三日不自由しませんわ。」

そんなことからも兵六さんの現在が察しられたが、しかし安江は同情したくなかった。なにか、さもしい根性をわざと見せつけられているようでいやだったのだ。千円ぐらいの小使い銭では間尺にあわない、もっと大きなたのみごとについて、彼の胸の中で策略がめぐらされてでもいそうに思えて、安江は高飛車に出た。

「兵六さん、あんた、まさかうちへ泊まる気じゃないでしょうね。」

「いやあ。ただね、ここの大将に一ぺんあいさつして帰ろうかと思ってね。聞いてもらいたいこともあるし……」

その声の調子の中に安江はいやなものを感じた。安江では手におえぬとみて文吉を口説こうというのであろうか。安江は意地悪く笑い出し、

「女子供にはいうてもわからんことですか。」

自分で聞こうとしなかったことをたなにあげて、皮肉をいった。兵六さんはあわてて、

「いや、なにね、夏樹ちゃんたちの前じゃあ、いかにわしでも、いいにくくてね。遠慮しとるんですがね。」

「そう、じゃあまあ、あとで聞かしてもらいましょう。とにかく、御飯にしてくださいよ。」

「そうですか。わるいですな。」

夏樹がすぐ、

「ぼく、兵六さんと一しょに食べよっと。」

食卓は五目ずしだ。音枝と浜子のきのうからの計画であった。色どりよく大ざらに盛ったのをみると、兵六さんは目じりを下げて、無邪気な顔をした。刺身にほうれん草のごまよごしと、豆腐のつゆが出ると、ますます目を細めて、

「こりゃあ、ごっつぉですな。一本つけてもらいたいくらいなもんじゃ。いや、なに、じょうだんで――」

そういわれる前に音枝は一本つけていたのではじはかかなかった。安江が酌をすると兵六さんは背をまるめて小さくなり、左手で杯をうけた。そしてぐっとあおり、しばらくはその酒を口中に含んだまま舌の根にしみ渡らせるようにして、やがておもむろにのみこんだ。そして感きわまった声で、

「びろく、びろく。」

安江は思わず笑った。意地悪な気もちが少し解きほぐされてゆくような気がした。しかし一本の酒を小半時もかかって楽しんでいるのを見ると、安江はまた少しずついらいらしだした。兵六さんがわざと時をかせいでいるような気がしてきたからだ。それをいいわけするように、彼はしきりと文吉のことをもち出す。

「久しぶりに、一ぺんあってゆきたいと思ってね。なんしろ、文吉つぁんには、たしか戦争中にあったきりですよ、ええ、戦争中ですよ。まだゲートルまいとったもの。ゲートルをね。なつかしいよ。」

こうなると安江はもうサジを投げるより仕方がない。一ときも早く夫に帰ってきてもらいたいと思う。それが口に出て、

「なにしてんでしょう。いつまでも……」

すると音枝は音枝でそれを浜子のことだと思い、

「ちょっと、そのへんみてきましょうか。」

「ああ、浜ちゃんね。まったく、みんな、なんだと思ってんだろう――」

文吉の帰りはひどくおそかった。おそいと必ずきげんがよい。ガガー ガガー と門柱のブザーが二度鳴ると酔っぱらっている証拠だった。そんなときには何かしらきげんとりを買ってきて、「はいおみやげ」と出迎えた者の顔の前へつき出す。それが一種の楽しみにもなって音枝たちはおそいのも苦にしないのだが、きょうはちがう。浜子がまだ帰らないからだ。なんとかして、文吉の帰る前に浜子にもどってもらいたいのが安江と音枝の共通の願いだったのだが、浜子はなかなか姿をあらわさない。

「どこ、うろついてんだろ、ほんとに。」

そうはいっても十時までは映画でも見ているのかもしれないという一るのたのみがあったのだが、十一時すぎても帰ってこないとなると、安江のかんしゃくは不安の方へ移っていった。考えてみれば人にも語れないようなささいなことから招いた出来ごとなのだと思うと、安江の気持はめいった。

「あのときわたしが、あやまればよかったのかね。おとなげないことだよ、ほんとに。」

気弱くいう安江をなぐさめるように、音枝は、

「だって、ほんとにおかあさんをなんだと思ってるの。ひどいわよ。こんな心配かける権利ないわよ。」

「権利はないかもしれないがね、しかし心配する義務は私にしょわされてるからね。」

「…………」

「その義務者をかさにきて、少しいいすぎたのかもしれない。とにかく、まだ東京へ来て半月やそこらの娘を、とび出させる気持に追いこんだのはこっちなんだから、責任は感じるよ。もどってきてくれなかったら……」

くやしさともどかしさで、安江はのどがつまった。音枝もためいきをしながら、

「でもおかあさん、浜ちゃんて人は特別よ。しっかりものだから、あんがい心配ないかもしれない。」

「そんなことは結果を見てからいうことさ。――あーあ。まったく思うようにならないね。行ってもらいたい人はとうとうすわりこんでしまうし。――兵六さんどうしてる。」

「こたつでうたたねしてるの。おとうさん待つって。」

「寝床とってあげなさい。浜ちゃんのでいいよ。」

そうすることで安江は浜子に帰ってもらいたい希望をもとうとした。それにしてもと時計をみたとたんに、ガガーと遠慮ぶかくブザーが鳴った。一つである。浜子だと直感して安江は玄関へ走り出そうとしたが、浜子の気持を察して音枝とかわった。

どんな顔で迎えようかと音枝はちょっと戸迷った。笑顔ではかえっていけないと思い、少し渋い表情で構えることにした。玄関から門までは十五メートルほど離れている。その石畳の道を浜子の足音はなかなか近づこうとしない。音枝はふっと気がついて土間におり、さっと戸をあけた。とたんに柳の枝に目をはじかれ、あっと叫んでかた手で目をおおいながら、やみの中へ声をかけた。

「浜ちゃん、門しめないで、おとうさんまだなのよ。」

すると思いがけない文吉の声で、

「おれだよ。」

「あら、おとうさん、かぎかけないで。」

がっかりして式台に腰をおろしていると、声でわかったらしく安江も出てきた。

「なんだこれ、なんのまじないだ。」

柳の枝を払いのけるようにしながら文吉は敷居をまたぎ、音枝のかっこうに、

「どうしたんだ。」

「柳で、目をしぶかれたの、つい忘れてて。」

「大丈夫かい?」

と、安江ものぞきこみながら、

「兵六さんがきましてね、節句だというので、小豆島流に桃と柳を飾ってくれたのよ。」

不きげんにいう安江に、文吉は文吉で、やはり一種の不きげんさをふくめて、

「珍らしい人がきたね。何の用事で?」

「あなたにあって聞いてもらいたいことがあるんですって。」

安江が小声になったので、くつをぬぎかけていた文吉は思わずふりかえり、やはり小声で、

「まだいるのか?」

「ええ。それがもとで、てんやわんやなの。」

そのとき安江はふとものの気配を感じてガラス戸に目をやった。風もないのに柳の糸がゆれたと思ったのだ。おりて戸をあけると、いきなり柳の枝にほおをなでられた。それをかた手でにぎったまま外をのぞくと、浜子が立っている。

「やっぱりそうだった。よかった浜ちゃん。さ、おはいんなさい。」

気さくにいったが、この期になって浜子はてれているらしくなかなかはいろうとしない。

「さ、さ、いつまでもこだわるのよしましょ。かぜひくわよ。あら、あんたはだし。じょうだんじゃないわ。もっと大事にしてよ。おひなさまよ、きょうは――」

ぐっとくる感情をこらえて、安江は柳の糸を力まかせに引っぱった。柔順のシンボルであるという柳の枝は桃と一しょに花立をはなれて安江の手にぶらさがっている。

Chapter 2 of 11
|