六 月夜の蟹
五年生の教室は川っぷちに新らしく建った校舎のとっつきであった。川にむかった窓からのぞくと、衽のような形の、せまい三角地をはさんで、高い石垣は川床まで直角に築かれていた。危険防止の土手は地面から三尺ほどの高さでめぐらしてあったが、土手はあまり用をなさず、子どもらはわずかな遊び時間をもかってに石垣をつたって、川の中へおりていった。おもに男の子だった。川上に家は一軒もなく、ちろちろの水はきれいだった。山から流れてきてはじめて、ここで人の肌にふれる水は、おどろくほど、つめたく澄みきっていた。子どもらにとっては、ただ手足をふれているだけで、じゅうぶん満足のできる、こころよい感触であった。水はここではじめて人の手にふれ、せきとめられて濁った。だれがいいだしたのか鰻がいるという噂がたってから、子どもたちの熱意は川底に集まり、毎日土手の見物と川の漁師とのあいだで時ならぬやりとりがつづいた。川床の石をめくっては、まだ一度もとれたことのない鰻をさがしているのだが、出てくるのは蟹ばかりである。それでもけっこうおもしろいらしく、漁師も見物もふえるばかりだった。くるぶしをかくしかねるほどの水量は、遊び場としても危険はなく、だから小石先生もだまって眺めていた。
「せんせ、ズガニ あげよか」
保護色なのか泥色をして、足にあらい毛のある蟹をつかまえて、うで一ぱいさし出したのは森岡正だった。
「いらん、そんなもん」
「たべられるのに、せんせ」
「いやだ、そんなもんたべたら、足や手にヒゲがはえるもの」
川底と土手からどっと笑い声がおこった。窓ぎわの先生ももちろん笑いころげたのだが、ついさっきまでの先生は、そんな笑いとは遠い気持で、窓の外にくりひろげられた風景を眺めていたのであった。川の中でも土手の上でも、岬の子どもらは知らずしらずかたまっていた。だが、そこに松江の姿は見ることができない。その目に見えぬ姿が、ときどき先生の心を占領してしまうのだ。
母親がなくなってから、松江は一度もこの教室に姿をあらわさなかった。窓ぎわの、前から三番目の松江の席は、もう二か月もからっぽのままである。入学の日のことを思いだして、百合の花の絵のついた弁当箱をみやげに松江の家をたずねたのは、彼女の母親がなくなってからひと月ぐらいたっていた。ちょうど川本大工も家にいて、男泣きに泣きながら、赤ん坊が死なないかぎり、松江を学校にはやれぬといった。あまりに事情が明白なので、それでも松江を学校によこせとはいえず、だまって松江の顔をみた。小さな赤ん坊をおぶったまま、父親のわきにちょこんとすわって松江もだまっていた。へんにまぶたのはれて見える顔は、頭のはたらきを失ったようにぼんやりしていた。その膝の上へ、
「マッちゃん、これ、百合の花の弁当箱よ。あんたが学校にこられるようになったら、つかいなさいね」
あまりうれしそうにもせず、松江はこっくりをした。
「早く、学校へこられるといいわね」
いってしまって、はっとした。それは赤ん坊に早く死ねということになるのだ。思わず赤くなったが、松江たち父子には、はっきりひびかなかったらしく、ただ感謝のまなざしでうけとられた。
まもなく、赤ん坊がなくなったと聞き、松江のためにほっとしたのだが、松江はなかなか姿を見せなかった。マスノやコトエたちにようすをきいてもらちがあかず、先生はとうとう手紙をかいた。十日ほどまえになる。
――松江さん、赤ちゃんのユリエちゃんは、ほんとに かわいそうなことをしましたね。でももう それはしかたがありませんから、心の中でかわいがってあげることにして、あなたは元気をだしなさいね。学校へは、いつからこられますか。先生は、まい日マッちゃんのからっぽのせきを見ては、マッちゃんのことを考えています。
早くこい こい マッちゃん。早くきて みんなといっしょに、べんきょうしましょう。――
手紙は松江の家といちばん近いコトエにことづけた。しかしこの手紙が、松江にとってどれほど無理な注文であるかを先生は知っていた。赤ん坊のユリエはいなくなっても、松江にはまだ弟妹が二人あった。五年生になったばかりの彼女は、幼い頭脳と小さなからだで、むりやり一家の主婦の役をうけもたされているのだ。どんなにそれがいやでも、ぬけだすことはできない。父親をはたらきに出すためには、小さな松江がかまどの下をたき、すすぎせんたくもせねばならぬ。ひよこのようにきょうだい三人よりあって、父親の帰りをまっているだろうあわれな姿が目の前にちらつく。法律はこの幼い子どもを学校にかよわせることを義務づけてはいるが、そのために子どもを守る制度はないのだ。
翌日、コトエは先生の顔を見るなり報告した。
「先生、きのうマッちゃん家へ手紙をもっていったら、知らんよその小母さんがきとった。マッちゃんおりますか、いうたら、おりませんいうたん。しかたがないから、これマッちゃんにわたして、いうて、その小母さんにたのんできたん」
「そう、どうもありがとう。マッちゃんのお父さんは?」
「知らん。見えなんだ。――その小母さん、おしろいつけて、きれい着物きとった。マッちゃん家へ嫁にきたんとちがうかって、小ツルさんがいうんで」
コトエはちょっとはにかみ笑いをした。
「そうだと、マッちゃんも学校へこられていいけどね」
それからまた十日以上たったが、松江は姿を見せない。手紙はよんだろうかと、ふと心にかげのさす思いで、窓の下を見ていたのだった。ズガニを三匹とった正は、それをあき缶にいれて得々として石垣をのぼってきた。三角形の空地にある杏の木は夏にむかって青々としげり、黒いかげを土手の上におとしている。そのま下にかたまって、岬組の女生徒たちはズガニの勇士を迎え、われがちにいった。
「タンコ、一ぴきくれなァ」
「うちにも、くれなァ」
「わたしにもな」
「やくそくど」
蟹は三匹なのに希望者は四人なのだ。正は考えながらあがってきて、
「食うか、食わんのか」
みんなの顔を見まわした。食うものにやろうと思ったのだ。いち早く小ツルが、
「食う食う。月夜の蟹は、うまいもん」
それをきくと、正はにやりとし、
「うそつけえ、蟹がうまいんは、やみ夜のこっちゃ」
「うそつけえ、月夜じゃないか」
「ああ聞いた、あ聞いた。月夜の蟹はやせて、うも(うまく)ないのに」
正が確信をもっていうと、小ツルもまけようとしない。同じように正の口まねで、
「ああ聞いた、あ聞いた。月夜の蟹がうまいのに。ためしに食うてみる、みんなくれ」
「いや、こんな川の蟹でわかるかい。海の蟹じゃのうて」
それをきくと女組がわあわあさわぎたて、窓の先生にむかって口ぐちにきいた。
「せんせ、月夜の蟹とやみ夜の蟹と、どっちがおいしいん?」
「せんせ月夜じゃなあ」
マスノや小ツルやミサ子たちだった。
「さあ、ねえ。やみ夜のように思うけど……」
男組がわあっときた。
「ほらみい、ほらみい」
こんどは先生は笑いながら、
「でも、月夜のような気もする……」
女組が両手をあげ、とびとびしてよろこんだ。そうしてさわぐことがおもしろく、だれもそれを本気にして考えてはいなかったのだが、正だけは熱心に先生を見あげ、
「馬鹿いうな先生!」
すると女組がまた、わあっときた。
「先生を馬鹿じゃとい」
「ほう、タンコは先生を馬鹿じゃとい」
正は頭をかき、みんなのしずまるのをまって、やっぱりしんけんにいった。
「ほたって先生、それにゃわけがあるんじゃもん。月夜になるとな、蟹は馬鹿じゃせに、わがの影法師をお化けかと思ってびっくりして、やせるんじゃ。やみ夜になると、影法師がうつらんさかい、安心してみがつくんじゃど。だから、月夜は蟹が網にかかっても逃がしてやるんじゃないか。かすかすで、うまないもん。やみ夜までおくと、しこしこのみがついて、うまいんじゃ。ほんまじゃのに、せんせ。うそじゃ思うなら、ためしてみるとええ」
「じゃあ、みんなでためしましょうね」
じょうだんにそういって、その日はすんだのだが、翌々日、森岡正はほんとに月夜の蟹をもってきた。一時間目の算数がはじまるまえ、ひょうたん籠をつき出したのである。
「せんせ、蟹。月夜の蟹。やせて、うもない月夜の蟹」
それは今朝とれたばかりで、まだ生きていた。がさごそと音がしている。みんな笑った。
「ほんとにもってきたの。タンコさん」
先生も笑って、しかたなさそうに受けとった。蟹は、この期になってもまだじぶんの運命をなんとかして打開しようとでもいうように、せまい籠の中をがさごそ這いまわっていた。どういうわけか、二匹とも、大きな鋏を片方だけもぎとられたあわれな姿で、残った片方の鋏を上に向け、よらばはさむ構えで泡をふいている。
「かわいそうに、これ先生がたべるの?」
「うん、約束じゃもん」
「逃がしてやりましょうよ」
「いや、約束じゃもん」
正はうしろをふりむいて「なあ」とみんなのさんせいを求めた。男の子は手をたたいてよろこんだ。
「じゃあこうしましょう。あとで小使さんにこれをにてもらい、今日の理科の時間に研究しようじゃないの。それから、蟹っていう題で綴方も書いてくるの」
「はーい」
「はーい」
大さんせいだった。籠は窓べりの柱の釘にかけられ、その時間中蟹はがさごその音を立てつづけてみんなを笑わせた。
時間がすむと、先生はひょうたん籠をはずし、じぶんで小使室のほうへ歩いていった。小ツルとコトエが用ありげについてきて、
「せんせ」と呼びかけ、ふりむくのをまって、
「マッちゃんのこと」といった。
「マッちゃん?」
「はい。マッちゃん、ゆうべの船で、大阪へいったん」
「ええっ」
思わず立ちどまった先生の顔を見あげながら、コトエが、一生けんめいの顔で、
「しんるいの家へ、子にいったん」
「まあ」
「そいで、マッちゃん家、おっさんと男の子と残ったん」
「そう、マッちゃん、うれしそうだった?」
コトエは答えずに、かぶりをふった。小ツルがかわって、
「マッちゃん、行かんいうて、はじめ、庭の口の柱に抱えついて泣いたん。マッちゃん家のお父さんがよわって、はじめはやさしげにすかしたけんど、なかなかマッちゃんがはなれんので、あとは頭にげんこつかましたり、背中をどづいたりしたん。マッちゃん、おいおい泣いてみんなが弱っとった。よろずやのばあやんが、ようやっとすかして、得心さしたけんど、みんなもらい泣きしよった。わたしも涙が出てきて弱った。途中まで、みんなと見おくっていったけんど、マッちゃん一口もものいわなんだ。なあコトやん。そいで……」
きゅうにハンカチを顔にあてて、くっくっと泣きだした先生におどろいて、小ツルはだまった。いつのまにか早苗やマスノもよってきて、片手にひょうたん籠をもったまま、うつむいてハンカチを目にあてている先生を、うたてげに見ていた。みんなの目にも、さそわれた涙がもりあがっていた。
そのあともしばらくは、窓ぎわの前から三番目の松江の席はあいたままおかれてあったが、あるとき、その、松江のたった一日すわった席に先生はだまって腰かけていた。そのあとすぐ席の組みかえがあって、その列は男の子になった。それきり松江の噂は出なかった。先生もきかず、生徒もいわず、松江からの便りもなかった。もうみんなの心から、松江の姿は追いだされたのであろうか。別れのあいさつにもこずに、どこかへいってしまった五年生の女の子。……
そして、もうすぐ六年生に進級するという三月はじめであった。春は目の前にきていながら珍らしく雪の降る中を、ひとバスおくれた大石先生は、学校前の停留所から傘もささずに走って、職員室にとびこんだとたん、異様な室内の空気に思わず立ちどまり、だれに話しかけようかというふうに十五人の先生たちを見まわした。みんな心配そうな、こわばった顔をしていた。
「どうしたの?」
同僚の田村先生にきくと、しっ というような顔で田村先生は奥まった校長室に、あごをふった。そして小さな声で、
「片岡先生が、警察にひっぱられた」
「えっ!」
田村先生はまた、しずかに、というふうにこまかく顔をふりながら、
「いま、警察がきてるの」
また校長室を目顔でおしえ、つい今のさっきまで片岡先生の机をしらべていたのだとささやいた。全然、だれにもまだことの真相は分かっていないらしく、火鉢によりあって、だまっていたが、始業のベルでようやく生きかえったように、廊下へ出た。田村先生と肩をならべると、
「どうしたの」
まっさきに大石先生はきいた。
「あかだっていうの」
「あか? どうして?」
「どうしてか、しらん」
「だって、片岡先生があか? どうして?」
「しらんわよ。わたしにきいたって」
ちょうど教室の前へきていた。笑って別れはしたが、二人とも心にしこりは残っていた。まだなんにも知らないらしい生徒は、雪に勢いづいたのか、いつもより元気に見えた。ここに立つと、すべての雑念を捨てねばならないのだが、教壇にたって五年間、大石先生にとってこの時間ほど、永く感じたことはなかった。一時間たって職員室にもどると、みんな、ほっとした顔をしていた。
「警察、かえったよ」
笑いながらいったのは、若い独身の師範出の男先生である。彼はつづけて、
「正直にやると馬鹿みるっちゅうことだ」
「なんのこと、それ。もっと先生らしく……」
突っつかれて大石先生はいうのをやめた。突っついたのは田村先生だった。
教頭が出てきての説明では、片岡先生のは、ただ参考人というだけのことで、いま校長がもらいさげにいったから、すぐ帰ってくるだろうといった。問題の中心は片岡先生ではなく、近くの町の小学校の稲川という教師が、受けもちの生徒に反戦思想を吹きこんだという、それだった。稲川先生が片岡先生とは師範学校の同級生だというので、一おうしらべられたのだが、なんの関係もないことがわかったというのである。つまり、証拠になるものが出てこなかったのだ。そのさがしている証拠品というのは、稲川先生が受けもっている六年生の文集『草の実』だというのである。それが、片岡先生の自宅にも、学校の机にもなかったのだ。
「あら、『草の実』なら見たことあるわ、わたし。でも、どうしてあれが、あかの証拠」
大石先生はふしぎに思ってきいたのだったが、教頭は笑って、
「だから、正直者が馬鹿みるんですよ。そんなこと警察に聞かれたら、大石先生だってあかにせられるよ」
「あら、へんなの。だってわたし、『草の実』の中の綴方を、感心して、うちの組に読んで聞かしたりしたわ。『麦刈り』だの、『醤油屋の煙突』なんていうの、うまかった」
「あぶない、あぶない。あんたそれ(『草の実』)稲川くんにもらったの」
「ちがう。学校あておくってきたのを見たのよ」
教頭はきゅうにあわてた声で、
「それ、今どこにある?」
「わたしの教室に」
「とってきてください」
謄写版の『草の実』は、すぐ火鉢にくべられた。まるで、ペスト菌でもまぶれついているかのように、あわてて焼かれた。茶色っぽい煙が天井にのぼり、細くあけたガラス戸のあいだから逃げていった。
「あ、焼かずに警察へ渡せばよかったかな。しかし、そしたら大石先生がひっぱられるな。ま、とにかく、われわれは忠君愛国でいこう」
教頭のことばが聞こえなかったように、大石先生はだまって煙のゆくえを見ていた。
翌日の新聞は、稲川先生のことを大きな見出しで「純真なる魂を蝕む赤い教師」と報じていた。それは田舎の人びとの頭を玄翁でどやしたほどのおどろきであった。生徒の信望を集めていたという稲川先生は、一朝にして国賊に転落させられたのである。
「あ、こわい、こわい。沈香もたかず、屁もこかずにいるんだな」
つぶやいたのは年とった次席訓導だった。ほかの先生はみな、意見も感想ものべようとはしなかった。そんななかでひとり大石先生は、大げさな新聞記事のなかの、わずか、四、五行のところから目がはなれなかった。そこには、稲川先生の教え子たちが、ひとり一つずつの卵をもちよって、寒い留置場の先生に差し入れしてくれと、警察へ押しかけたことが書かれていたのだ。
今日はもう出勤した片岡先生はきゅうに英雄にでもなったように、引っぱりだこだった。どうだった? の質問に答えて、一日でげっそり頬のおちた彼は、青いひげあとをなでながら、
「いや、どうもこうも、いま考えるとあほらしいんじゃけどな、すんでのことにあかにならされるとこじゃった。稲川は、君が会合に出たのは四、五回じゃというがだの、小林多喜二の本をよんだろうとかって。ぼくは小林多喜二なんて名前もしらん、いうたら、この野郎、こないだ新聞に出たじゃないかって。いわれてみりゃあ、ほら、ついこないだ、そんなことが出ましたな。小説家で、警察で死んだ人のことが」(ほんとうは拷問で殺されたのだが、新聞には心臓まひで死んだと報じられた)
「ああ、いたいた。赤い小説家だ」
若い独身の先生がいった。
「そのプロレタリヤ何とかいう本を、たくさんとられとりました。あの稲川は師範にいるときから本好きでしたからな」
その日国語の時間に、大石先生は冒険をこころみてみた。生徒たちはもう『草の実』とその先生のことを知っていたからだ。
「家で、新聞をとってる人?」
四十二人のうち三分の一ほどの手があがった。
「新聞をよんでいる人?」
二、三人だった。
「あかって、なんのことか知ってる人?」
だれも手をあげない。顔を見あわせているのは、なんとなく知っているが、はっきり説明できないという顔だ。
「プロレタリヤって、知ってる人?」
だれも知らない。
「資本家は?」
「はーい」
ひとり手があがった。その子をさすと、
「金もちのこと」
「ふーん。ま、それでいいとして、じゃあね、労働者は?」
「はい」
「はい」
「はーい」
ほとんどみんなの手があがった。身をもって知っており、自信をもって手があがるのは、労働者だけなのだ。大石先生にしても、そうであった。もしも生徒のだれかに、答えを求められたとしたら、先生はいったろう。
「先生にも、よくわからんのよ」と。
まだ五年生にはそれだけの力がなかったのだ。ところがすぐそのあと、このことについては、口にすることをとめられた。ただあれだけのことがどこからもれたのか、大石先生は校長によばれて注意されたのである。
「気をつけんと、こまりまっそ。うかつにものがいえんときじゃから」
校長とは、父の友人というとくべつの関係だから、それだけですんだらしい。だがこのことは、明かるい大石先生の顔をいつとなくかげらすもとになった。たいして気にもとめていなかった『草の実』のことと同じく、消しがたいかげりをだんだんこくしていった。
六年生の秋の修学旅行は、時節がらいつもの伊勢まいりをとりやめて、近くの金毘羅ということにきまった。それでも行けない生徒がだいぶいた。働きにくらべて倹約な田舎のことである。宿屋にはとまらず、三食分の弁当をもってゆくということで、ようやく父兄のさんせいを得た。それでも二組あわせて八十人の生徒のうち、行けるというのは六割だった。ことに岬の村の子どもらときたら、ぎりぎりの日まできまらず、そのわけを、おたがいにあばきだしては、内情をぶちまけた。
「先生、ソンキはな、ねしょんべんが出るさかい、旅行に行けんので」
マスノがいう。
「だって、宿屋にはとまらんのですよ。朝の船で出て、晩の船でもどってくるのに」
「でも、朝の船四時だもん、船ん中でねるでしょう」
「ねるかしら、たった二時間よ。みな、ねるどころでないでしょうに。それよりマスノさんは、どうしてゆかんの」
「風邪ひくといかんさかい」
「あれあれ、大事なひとり娘」
「そのかわり、旅行のお金、倍にして貯金してもらうん」
「そうお、貯金はまたできるから、旅行にやってって、いいなさいよ」
「でも、怪我するといかんさかい」
「あら、どうして。旅行すると、風邪ひいたり怪我したりするんなら、だれもいけないわ」
「みんな、やめたらええ」
「わあ、お話にならん」
先生はにが笑いをした。
「先生、ぼくはもう、金毘羅さんやこい、うちの網船で、三べんもいったから、いきません」
森岡正がそういってきた。
「あらそう。でもみんなといくの、はじめてでしょう。いきなさいよ。あんたは網元だからこれからだって毎年いくでしょうがね。先生いっとくから。修学旅行の金毘羅まいりが一ばんおもしろかった、とあとできっと思いますからね」
加部小ツルは、じぶんも行かないといいながら、やはり行かない木下富士子のことを、こんなふうにいった。
「せんせ、富士子さん家、借銭が山のようにあって旅行どころじゃないん。あんな大きな家でも、もうすぐ借銭のかたにとられてしまうん。家ん中、もう、なんちゃ売るもんもないんで」
「そんなこと、いわんものよ」
かるく背中をたたくと、小ツルはぺろっと舌を出す。
「いやな子!」
そういいながら思いだすのは富士子の家だった。はじめて岬へ赴任したときでも、もう明日にも人手に渡りそうな噂だったその家は、蔵の白壁が北側だけごっそりはげていた。古い家に生まれた富士子は、いかにもその家柄を背負ったように落ちつきはらっていて、めったに泣かず、めったに笑わない少女だった。小ツルなどからあからさまなことをいわれても、じろりと冷たい目で睨みかえす度胸は、だれにもまねのできないものだ。「くさっても鯛」という彼女のあだ名は、彼女の父の口ぐせからきており、彼女はそれに満足しているところがみえた。
そこへゆくと小ツルなどはさっぱりしたもので、人のこともいうが、じぶんのことをいわれても、べつに気にとめないふうだった。一家そろってはたらき、そのはたらきを表看板にして裏も表もなかった。たとえば小ツルのあだ名は「目っつり」といわれている。たいしたきずではないが、まぶたの上のおできのあとがひっつれているからだ。ふつうなら、ことに女の子は「目っつり」などとなぶられれば泣きたくなるだろうが、小ツルはちがっていた。まるで人ごとのようにわだかまりのないようすで、
「目っつり目っつりと、やすやすいうてくれな。目っつりも、なろうと思うてなれる目っつりとちがうぞ」
それは彼女の母たちがそういっていたからであろう。旅行にゆけないわけをも、彼女はざっくばらんにいうのだ。
「わたしン家なあ先生、こないだ頼母子講をおとして、大きい船を買うたん。だから、倹約せんならんの。こんぴらまいりは、じぶんで金もうけするようになってから、いくことにきめた」
それで他人のふところも遠慮なくのぞきこんで、人のことはいうなといっても平気でいう。ミサ子が行かないのはよくばりだからだの、コトエや早苗はきょうだいが多くて、旅行どころでなかろうとかと。
ところが前々日になると、旅行志望者はきゅうにふえて、岬ではマスノをのけてみんながゆくということになった。
そのきっかけは、だまりやの吉次が、山出しをしてもうけた貯金をおろして申しこみをしたことにあるようだった。吉次がゆけば、どうしたってだまっていられないのがソンキであった。磯吉は、じぶんも豆腐や油あげを売り歩いてもらった歩金を貯金していたのだ。ソンキさえも行くとなると、どうしたって正や竹一がやめるわけにはゆかない。正も網ひきで、もうけた貯金を思いだすし、竹一も卵を売ってためた金でゆくといいだした。倹約な岬の村の子どもらは、こんなことで貯金をおろすことを思いつかなかったのだ。正など、おろさなくてもよいといわれながら、どうしてもおろすのだといって、竹一といっしょにわざわざ郵便局へいったりした。
男の子のほうがそうなると、女の子のほうもだまっていられない。いちばん心配のないミサ子は、富士子をさそった。二人の母親たちが仲がよかったからだ。螺鈿の硯箱が富士子には知らせずにミサ子の家へゆき、それで富士子はゆけることになった。二人のことがわかると、じっとしていられなくなったのは小ツルである。彼女はさっそくさわぎだした。
「ミイさんも富士子さんも旅行にいくウ。うちも貧乏質において、やってくれエ」
小ツルはほんとうにそういって、地だんだふんで泣いた。そのために彼女の細い目はよけい細く、はれぼったくなった。小ツルの母親は、小ツルとそっくりの目を糸のようにして笑いだし、むつかしい問題を出した。
「ミイさんとこは金もちじゃし、富士子さんとこはおまえ、なんというたって庄屋じゃもん。あんな旦那衆のまねはできん。じゃがな、もしもコトやんが行くんなら、小ツもやってやる。一ぺんコトやんと相談してこい」
とうていコトエはゆくまいと思ってそういったのであろう。ところが、走っていった小ツルはにこにこしてもどってきた。はあはあ肩でいきをしながら、
「コトやん、いくいうた」
「ほんまかいや」
「ほんま、ばあやんがおってそういうたもん」
あまりのかんたんさに小ツルの母親はうたがいをもち、ききにいった。出しゃばりの小ツルがそんなふうにもっていったのではないかと思ったのである。
「うちの小ツが、しゃしゃり出たこといいにきたんじゃないかえ」
さぐるようにいうと、漁師なみに陽やけしたコトエの母は、まっ白くみえる歯を見せて笑い、
「一生に一ぺんのことじゃ、やってやりましょいな、こんなときこそ。いつも下子の子守りばっかりさして、苦労さしとるもん」
「そりゃ、うちの小ツも同じこっちゃ。しかし、なに着せてやるんぞな?」
「うちじゃあ、思いきって、セーラー買うてやろうと思う」
「はした金じゃ、買えまいがの」
「ま、そんなこといわんと、買うてやんなされ、下子も着るがいの」
「ふーん」
「早苗さんも、そうすることにしたぞな。小ツやんにもひとつ、ふんぱつしてあげるんじゃな」
「そうかいの。早苗さんも、のう。そうなると、小ツもじっとしておれんはずじゃ。やれやれ。そんならひとつ、貧乏質におこうか」
こんないきさつがあったのだ。ところが、当日になると、早苗は、風邪ぎみでゆけないといった。しかし早苗はのどが痛いのでも、鼻がつまっていたのでもない。痛かったり、つまったりしたのは、お母さんの財布の口のほうで、早苗のために売りにいった珊瑚の玉のついたかんざしは思う値で売れず、洋服を買うことができなかったのだ。人の足もとをみてからにと、早苗の母は、その古手屋(古物商)のことをいつまでもおこりながら、早苗にはやさしく、
「着物きて、いくか」
早苗が泣きそうな顔をすると、
「姉やんの、きれいな着物に腰あげして着ていくか」
「…………」
「おまえだけ着物きていくのがいやなら、やめとけ。そのかわり、洋服を買おうや。どうする?」
「…………」
早苗はぽろっと涙をこぼし、くいしばった口もとをこまかくふるわせていた。二つのうちどちらをとってよいか判断がつかなかったのだ。しかし母親のこまって泣きそうな顔に気づくと、きゅうに早苗の決心はついた。
「旅行、やめる」
こんないきさつがあったとは、だれもしらず、修学旅行は六十三人の一団で出発した。男と女の先生が二人ずつで、もちろん大石先生も加わっていた。午前四時にのりこんだ船の中ではだれも眠ろうとする者はなく、がやがやのさわぎの中で、「こんぴらふねふね」を歌うものもいた。
そんななかで、大石先生はひとり考えこんでいた。その考えから、いつもはなれないのが早苗だった。
ほんとに、風邪けだったのかしら。
早苗のほかにも、十幾人かの子どもがそれぞれの理由で旅行にこられなかったのだが、とくべつに早苗が気になるのは、岬の生徒で、彼女ひとりが不参加だからかもしれぬ。六年になってから、マスノはすっかり母たちの家へ移っていたので、もう岬の仲間ではなくなっていた。たったひとり、あの岬の道を学校へゆく今日の早苗を思うと、今日を休みにしなかったことが、かわいそうに思えた。先生もいない教室でしょんぼり自習している生徒たちを思うと早苗ばかりでなく、かわいそうだった。
こんぴらは多度津から一番の汽車で朝まいりをした。また「こんぴらふねふね」をうたい、長い、石段をのぼってゆきながら汗を流しているものもある。そんななかで大石先生はぞくりとふるえた。屋島への電車の中でも、ケーブルにのってからも、それはときどき全身をおそった。膝のあたりに水をかけられるような不気味さは、あたりの秋色をたのしむ心のゆとりもわかず、のろのろと土産物屋にはいり、同じ絵はがきを幾組も買った。せめて残っている子どもたちへのみやげにと思ったのである。
屋島をあとに、最後のスケジュールになっている高松に出、栗林公園で三度目の弁当をつかったとき、大石先生は、大かた残っている弁当を希望者にわけて食べてもらったりした。弁当までが心の重荷になっていたことに気づき、それでほっとした。夕やみのせまる高松の街を、築港のほうへと、ぞろぞろ歩きながら、早く帰って思うさま足をのばしたいと、しみじみ考えていると、
「大石先生、あおい顔よ」
田村先生に注意されると、よけいぞくりとした。
「なんだか、疲れましたの。ぞくぞくしてるの」
「あら、こまりましたね。お薬は?」
「さっきから清涼丹をのんでますけど」といいさして思わずふっと笑い、
「清涼でないほうがいいのね。あつういウドンでも食べると……」
「そうよ。おつきあいするわ」
そうはいったが前にもうしろにも生徒がいる。それを桟橋の待合所までおくってからのことにした。男先生たちに事情をいって、一人ずつそっとぬけだし、目だたぬよう大通りをすぐ横町にはいった。そこでも土産物やたべものの店がならんでいた。軒の低い家並に、大提灯が一つずつぶらさがっていて、どれにもみな、うどん、すし、さけ、さかななどと、太い字でかいてあった。せまい土間の天井を季節の造花もみじで飾ってある店を横目で見ながら、
「大石先生、うどんや風ぐすりというのがあるでしょ、あれもらったら?」
そうね、と、返事をしようとしたとたん、
「てんぷら一丁ッ!」
威勢のよい少女の、よくひびく声が大石先生をはっとさせた。あっと叫びそうになったほど、心にひびく声であった。このあたりにはめずらしい、縄のれんの店の中からそれはひびいてきたのだった。思わずのぞくと、髪を桃われにゆったひとりの少女が、ビラビラかんざしといっしょに造花のもみじを頭にかざり、赤い前かけに両手をくるむようにして、無心な顔で往来のほうを向いて立っていた。それはどうしても、大石先生として見のがせぬ姿であった。立ちどまった先生たちを客と見たのか、少女はさっきと同じ声で叫んだ。
「いらっしゃーい」
それはもう、じぶんの声にさえ、いささかも疑問をもたない叫びであった。日本髪に、ませたぬき衣紋の変わった姿とはいえ、長いまつ毛はもう疑う余地もなかった。
「松江さん、あんた、マッちゃんでしょ」
はいってきた客に、いきなり話しかけられ、桃われの少女はいきをのんで一足さがった。
「大阪へいったんじゃなかったの。マッちゃん、ずっとここにいたの?」
のぞきこまれて松江はやっと思いだしでもしたように、しくしく泣きだした。思わずその肩をかかえるようにして縄のれんの外につれ出すと、奥からあわただしい下駄の音といっしょに、おかみさんもとびだしてきた。
「どなたですか、だまってつれ出されたら、こまりますが」
うさんくさそうにいうのへ、松江ははじめて口をきき、おかみさんのうたがいを打ち消すように小声でいった。
「大石先生やないか、お母はん」
うどんはとうとう食べるひまがなかった。