一
昨夜寝床に入ってからも、あれこれと思いめぐらしてみたのだが、別にこれという嘘言も浮かんでは来なかった。新聞の広告で見た新刊書がどうしても買いたくなったからと、半日をつぶすにしてはいかにも気の利かない口実とは承知でも、ともかくそんなことで町へ出ることにした。まだ細紐だけで炉の火を焚きにかかった母に、起きがけの一服をつけながら友太はさりげなく言い出した。
「……何せ、早く買わねどすぐ売り切れてしまうで……。」
「んだどもや。この頃は何でもそうだ。」
何も知らない母は気の毒だったし、自分としても、この上もない気苦労をさせられることを考えると、弟の惣吉が今更いまいましいものに思われてくるのであった。
昨日突然、としゑからの手紙を受けとると、早晩何か面倒を持ちかけられそうな不安が絶えず心を掠めていただけに、友太の心はもう重苦しく沈んでしまった。是非相談をしたいことがあるから、この前の旅館まで来てほしい、こちらからは二時までに間違いなく行っている。村までお訪ね出来ない身の上をお察しいただきたいと、そういう意味が割合しっかりした文章で書いてある。封筒の名はとしゑをもじったつもりであろう、つとめて男めかした筆跡で、山田敏英としてあった。はじめての人だが誰だろうと訝る妹のよしには、専売局の友達が惣吉の行先を訊いてきたのだと、それでも咄嗟に誤魔化すことが出来た。相談というものの見当も皆目つかないが、何かあったら遠慮なく言ってくれと、あの時はっきり言い切っている手前もあり、会わないわけにはゆかなかった。先方には、なるほど日曜という休日には相違ない。しかし、こちらの村の仕事では平日に変りはなく、しかも今最繁忙期である大切な半日をつぶすことが、どんなものであるかを一向に考えていないことにも、最初は腹立たしくさせられた。が、落ちついてみれば、これは、女工である女にそこまで気の配れるはずはなかった。
もともと弟の惣吉が、両親にはひた隠しに隠しながら、友太にだけこの女のことを打ち明けて、あとの一切を委せて征ったということは、異母兄である友太に寄せる全幅の信頼を示してはいた。たとえば惣吉の肚の奥には、出征中女の身の上に何かいざこざが起って表面化されねばならない場合、父と母とがそれぞれの立場から抱いているに違いない友太に対する複雑な心理の陰影を、言わば一つの緩衝地帯に利用して、自分に向けられるものを少しでも緩和しようという、多少狭い虫のよさがあったとしても、それくらいのことは許せないものでもなかった。友太の方がひがまないで、惣吉がひねくれるのはまるで反対だと、親戚のものがそんな噂をし合ったのは惣吉がまだ十二三の頃であった。
「あんちゃ(兄さん)のおっかァ(お母さん)はおとっさ(お父さん)と兄ちゃを置いて逃げたんだってや? そうだ兄ちゃに俺家の財産みんな譲んのかや、なお母ァ。」
とこんな生意気な憎まれ口を利いたのも、近所の意地悪い中年女にたきつけられてのことであって、やがて高等科を終えて郡山の専売局に勤めた惣吉は、その頃から、友太の生母のことなどはにも出さなくなった。
惣吉に召集令の下ったのは、去年の夏、暑いさかりであった。公用すぐ帰れの電報を打った夕方、八軒町の大谷屋旅館から友太に手紙をよこして、至急来てくれというのである。一里半ばかりの八軒町まで来ていながら、まっすぐ家まで来ないのはどうしたことだと、騒ぎ立てる母をどうやら言いなだめて、友太が大谷屋へ行ってみると、奥の部屋に女と坐っていた惣吉が、てれくさそうに頭をかいた。
友太と惣吉に安達駅まで送られて、その夜女は郡山へ帰って行った。いかにも貧しげで、髪が少し縮れていたが、咲きそこねた何かの花を思わせる美しさがあった。汽車が動き出すと、一生懸命の怖い眼で惣吉を見つめた姿を、今でもありありと友太は思いうかべることが出来た。その時も、我れにもない感傷がこみ上げてきて、それは友太自身が帰還兵の一人であることにもよるのだが、茫然と立ちつくす弟の肩を叩いて、つい言わずにはいられなかった。
「いいでや、俺がみんな引き受けた。」
ん、頼むでと、惣吉も眼を伏せた。
「出征前にこんなことがあったとなると外聞が悪いで、どうか俺が帰ってくるまで誰にも黙っててくんろや。」
もし自分が戦死したら、女の気持をよく訊いたうえで、どうともいいように納めてくれというのにも、いいとも、みんなわかっていると、友太は深くうなずいた。
専売局の友達が送ってきてくれたので、友太にも来てもらって大谷屋で祝杯を上げなおしたと、家の前は言いつくろってそれなりにすみはしたが、友太にすれば、その時から人の知らない重荷を背負い込んだことになった。両親にだけでも打ち明けてしまえたらと絶えず思うのだったが、それでは弟の心持を無下に踏みにじることにも考えられたし、またへたに早まって、あとで恨まれる結果になるのもいやだった。結局は胸一つに納めて置くよりほかはなかったのが、とうとう昨日の手紙になったのである。
「……んなら兄ちゃ、ついでに加藤鍛冶屋に寄って貰うべかや。お父さが注文してた餅わたし、はァ出来た頃だと思うでな。」
「いいとも、寄ってくるべ。」
煙にいぶされた眼をしばたたく母から、心苦しく戸まどった視線をそらした友太は、少しあわてたふうに手拭をとると外へ出た。
蒼く凍えた空に刺すばかりの星で、庭のくぼみに張った氷が草履の下に鋭くくだけた。井戸は庭から道路へ降りる坂の中途にある。足高の洗面桶に汲み上げた水からは、まだ明けるに間のある闇にすかすと、ほのぼのと白いものが立ちのぼった。
ちょうどこの頃、ユミの家の井戸からも、追いかけるように釣瓶の音が聞えてくる。毎朝のことながらつい競争の意識にかられて、一気に坂を駈け上って漉屋に入るが、電燈をひねって零下七度の寒暖計を覗くと、今更襲いかかる凍気に思わず身ぶるいが出るのだった。二肩の水を漉槽に汲み入れるにも、我れ知らず掛声がかかってくるのである。やがて前の障子がほの白くなる頃は、もう二槽目に入っているが、気温は日の出をひかえて一時更に下ってくる。時折交ぜ入れるネリの袋を絞ると、殆んど感覚のなくなっている両の手に、濃いその粘液が、執拗にぬらぬらといつまでもまつわりつくのであった。朝の日が窓をはすに射してきて、はじめてほっと救われた気持になるのである。
楮を、小鉢と呼ばれる椀に一杯盛り上げた量が一槽分で、三十枚乃至三十五枚の紙になった。十五の年から父と交替で漉きはじめた友太は、今では、若手のうちでも熟練者として数えられていた。一日、朝の五時から夜の七時頃までかかって、十五槽、四百五十枚から五百二三十枚が普通であるのを、友太は、十七槽から、あぶらが乗れば十九槽に及ぶことさえあった。父がよく自慢する九百五十枚という桁はずれの記録は、実は十一時までの夜業をしての話であった。
漉槽は七尺に四尺で、深さが一尺二寸ある。漉屋の窓際に据えた槽の真上に、ばね竹が高く突き出て、漉簀をはめた簀框を吊っている。これをしならせて簀框が槽にひたった瞬間、腰、肩、手首が微妙に働いて、どろどろの漉き汁を三四遍揺すったと思うと、簀にはもう、一枚の紙となるべき繊維が毫末の厚薄もなく掬われている。簀框を前後に傾けて余分の汁を流してから、簀框の底についた鉤で、槽に渡した二本の台木をかき寄せながら乗せる時には、繊維を残した水の大部分は濾出している、框の上枠をはねのけ、簀をはずして両手で持つと、くるりとうしろを向いてそこの台に簀を剥ぎとって重ねて行く。謂わゆる「流し漉き」と呼ばれる方法だった。紙の種類によって、簀と従って簀框の大きさは多少違った。やがて乾上ってから、障子紙なら二枚に、半紙だったら四枚にと截断されるのである。
「兄ちゃ、ひるまんま(昼食)だよォ。」
漉屋の外から妹のせんに呼ばれたのをしおに、友太は仕事を切り上げた。それでも九槽は漉き上げていた。あとの分を取りかえすには、どうしても三晩の夜業になるだろう。ばね竹の紐から簀框を外して、皸だらけの手を揉んでいると、今漉き重ねたばかりの紙から、しきりにしたたり落ちる滴の音が、はじめて耳に入ってくるのであった。これも習慣になっている、友太は小屋を出がけに、奥の圧搾器の捻子を一締めした。
自分の恥しい隠しごとではないので、何もびくびくするには及ばないとは思いながら、やはり胸がつかえた気持で昼飯もいつものようには食えずに友太は家を出た。ちょっとしたことにぶつかると、我れながら情けなく動揺するのであった。出征中は、それは自分だけの自惚ではなく、小隊長からもたしかに賞められたので、隊の誰にもひけをとらないだけに大胆で勇敢であったのが、帰還した途端に、またもとの意気地なさにかえっているのが自分でも歯がゆかった。
二日ほどいい天気が続いて、一時二尺近く積った雪も大分痩せてはいたが、それだけにひどい泥濘だった。道路までの二町あまりの狭い坂路にだけは、踏み石が敷いてあるのでまだよかった。一歩下の道路に入ると、ゴム長は忽ち泥だらけになってしまった。幾度かの道普請で、主要道路だけはもとのようではなくなっていたが、部落へのわき道に入ったが最後、全くお話にならなかった。川崎道と呼ばれて、悪路では近村中でも聞えていた。それは泥濘のためばかりではなく、曲りくねった坂につぐ坂の道が続くのである。もっともこれは、八百七十三町歩という村の総面積に、三百三十八町歩の畑と、山林が三百六十八町歩という数字から見ても、およそ村の地勢は察しられた。山林と畑との相半ばした大小の丘陵が、重なるばかりに起伏して、その間の狭い低地に散在する水田は、僅かに百六十五町歩に過ぎなかった。そして村の家々はと言えば、これはみな、道路から高く段々のついた坂路を登っての、見上げるばかりの場所にあった。村の地勢もあるにはあったが、それよりもやはり紙漉きという特殊の副業が、当然家々をそうした高所に追い上げてしまったのである。つまり、五百三十余戸のうち約七割にあたる家が紙を漉くので、東北本線がほぼ福島県の半ばほどに入っての一小駅安達から、東南およそ一里の位置にあるこの上川崎村は、まことに紙の村と言ってもよかった。これをしないのはわずか数人を出ない資産家か、反対に日傭取や馬車挽などに限られている。十軒前後の一部落で、少しばかりの水田を持つものが辛うじて二人ぐらい、畑地の所有者が四人を出ず、あとは純然たる小作の人達であったが、そのいずれにしても、生計は副業の製紙によるのであった――。
昔風の、大谷屋のだだッ広い土間に立った時には、マントの頭巾を冠った上に、襟巻をぐるぐる巻いた友太のからだはすっかり汗ばんでいた。眩しく雪に射られてきた眼に、土蔵づくりの奥の間はことさらに暗かった。
「お忙しいのにすみませんでした。」
閾際まで立ってきた女の様子に、友太は思わずぎくりとした。それは、男の友太にも一目でわかる女のからだであった。あわてて眼をそらしながらぎごちなく坐り込んだが、この時の覚悟は出来ていたらしい女の、悪びれない挨拶を受けているうちに、友太の心も次第に落ちつきをとり戻してくるのであった。いざとなると自分ではくそ度胸とひそかに呼んでいるものが、妙に肚に据ってくるのであって、この時も、少し大袈裟に言うならば、たしかにいざという場合にのっぴきならず当面したことになったのである。こうなれば、弟の思惑などを考慮する必要もなかったし、両親がどんな文句を並べてみても、つまりは納まるところに納まるほかはないわけだった。
「何ぼか今までひとりで心配してたべが、決してはァ悪いようにはしねえで。」
来るみちみちも、今の今まで、弟の女の呼び出しを不安にも迷惑にも思い、一度会っただけの相手と、一体どんな風に応対したらいいものかと、そんなことをさえ気に病んで来たとは、まるで別人の平静さで友太は切り出すことが出来た。
「すみません、兄さんには御迷惑ばかりかけまして……。」
としゑは羽織の襟をかき合わせるようにした。須賀川町にいる両親にも無論知れてしまった。相手が出征兵なので事を荒立てないではいるが、生れる前にはちゃんとした話をきめて置けと、厳しく申し渡された。先月で専売局の勤めも止して、工場の寄宿舎を出た弟と一緒に間借をした。少しは貯金もあるし、決して生活費をどうこういうつもりはないので、ただ、このままでは父の知れない子を産むことになるからと、これはいかにも言い悪くそうにした。戦地の惣吉には疾うに知らせてやったとか、それは惣吉も認めてくれるはずで、自分は神に誓って惣吉ひとりをまもっているとか、そんな意味をくどくどと繰り返すのであった。少しも知らずにいたので今まで放っていた、ほんとうに苦労をさせてすまなかったと友太が詫びると、としゑははじめて袂を顔に当てた。
「いいえ、わたし達が悪いんです。……御迷惑なのはわかってますけど、兄さんに御相談するきりなかったんです。」
全く他人であった女から、兄さんにとそう言われて、何かびくッとした新鮮な感情に胸をつかれた友太は、何ということもなく床の間のあたりに目をやりながら、その兄さんという言葉を心の中で反芻した。