二
私は自分の親が、貧乏人であることを、恥しく思うようになった。七ツ八ツの小児に似ず、物事に遠慮深く、ひけ目がちになった。
それに、私の親類一家は、村のうちでも、最下層の貧乏人であった。村の百姓達の子供は、私の顔を見ると、
「残飯食い、残飯食い」
と罵しった。
私は、自分よりもズッと弱虫の、家主の、末っ子の、四郎次からも殴られるようになった。
殴られても、私は泣かなかった。泣いても家に帰って、母のいるところでは泣かなかった。母のいるところで泣けば、また母から殴られなければならなかったからだ。
一度泣いてかえったことがあった。すると、母が私の手を引っ張って、私を殴った喧嘩大将の源しゃんの家へ行って、源公のおふくろに、
「いくら貧乏人の子でも、こんな血の滲むほど打ったものを、見ていて知らぬふりするものがあるかナッ!」
と母は真赤になりながら云ったが、小作米とりの、源しゃんのおふくろは、鼻のさきであしらって、とり合わなかった。私の母は口惜しさに慄えながら、やけ気味に、面当に、私をその場で無茶苦茶にひっぱたいた。私は痛さにヒイヒイ云って泣いた。しかし、源公のおふくろは、止めもしなかった。
私はひとり遊ぶことが多くなった。そしていつも、『父が帰ったら、屹度金持になるんだろう』と思った。私は、いちごとり、蝸牛とり(蝸牛は焼いて喰うと甘味いものである)、笹の実とりなどに、姉たちとか、でもなければ一人でいった。
父は却々帰って来なかった。ぼつぼつ凱旋して、帰って来る人もあったが、叔父も父もまだ帰って来なかった。
私はこの頃、一人の恋人が出来た。
男の子供の群から離れた私は、姉と一緒に、女の子供と遊ぶようになった。
その女の子は、名を恵美と云った。私の家の道一つ向うの高い石垣の上に、土蔵付の大きな瓦屋根の家で、村でも旧家の金満家で、恵美は一人娘の末っ娘であった。駄々ッ児で、それでいて老成た勝気なところがあった。年は一つ上の八つだったと覚えている。
七つぐらいで、まさか性欲なんかありそうもないが、私はかなりハッキリした、恋心を意識していた。恵美ももちろんそうらしかった。二人は、いつとなしに、男の子の群からも、女の子の群からも、かくれて遊ぶようになった。
それが一度、男の子供の群に見付かったことがあった。二人は、恵美のうちの糠小屋で遊んでいた。発見した男の子の群は、何時の間にか、小屋の周囲を取巻いてしまった。
「ワァ、ワァ、ワァッ……」
と腕白小僧連は盛んに囃したてた。
私は、当惑して小さくなっていた。すると恵美は、ついと、抱いていたお人形を抛り出すと、戸の所に出ていった。
そして、何だか怒鳴り返していたが、やがて、奥庭に寝転んでいた「熊」を呼んで嗾しかけた。大きな尨犬の「熊」は、老をとった牝犬だったが、主人の命で、鋭く吠えたてたので流石の腕白連も、一たまりもなく逃げてしまった。
二人は、一年ぐらいは仲善しだったが、だんだん、いろんなことで、貧富の区別が、弁りはじめると、自然疎くなった。
それも、私の方がさきに、何となしに、物怯気していた。恵美は、いろんな外の事では、老成ていたが、私が「残飯食い」であることや、シチョウユーソツが、一番ビリッこの兵隊であることなどは、知らなかった。
それに、私が恵美の家の二階で遊ぶことを嫌う理由も、彼女には分らなかった。其処から下を見下ろすと、私の家の四軒長屋の、傾いて、雨の漏る場所を、莚で蔽うた藁屋根が真下に見えるのだ。