Chapter 1 of 13

科学方法論を私は、学問論乃至科学論の一つの特殊な形態として取り扱うべきであると考える。学問の方法を中枢とした限りの学問理論こそ、恰も科学方法論の名を以て呼ばれているものであり、そして又そう呼ばれることが丁度それに適わしいと思われるからである。それ故吾々は、この書物に於て、まず学問に於ける方法概念の分析から出発する理由をもつ。方法概念の様々の形態、従って又科学方法論の様々な形態は、茲に一般的に予め展開せられるであろう。「方法概念の分析」二篇は吾々の理論に於て、総論の位置を占めると云って好い。

後に続く三篇は、吾々が実際上出逢いつつある既成の科学方法論に就いて、前の総論で得た結果を実地に検証しようとした不完全な試みに他ならない。私はこの際、リッケルト教授が主として与えた限りの「科学論」を、材料の中心として――決して唯一の材料ではない――選ぶのが適当であると考えた。蓋し科学方法論という問題を吾々に最も著しく意識せしめた功績は、就中教授の科学論に帰せられるべきであろうから。併しその結果、吾々の科学方法論は一つの特殊な視角を与えられざるを得なくなり、そこに於て凡そ提出され得た問題はこの視角によって制限されねばならないこととなった。この視角に於て必ずしも照し出すことの出来ないであろう科学方法論の恐らく幾つかの問題はそれ故、遂に吾々の理論の内容となることが出来なかった、私は之を他の機会に取り上げねばならないと思う。この三篇は特殊個々の歴史的内容を取り扱うのであるから、吾々の理論に於て、特論に相当する位置を占めるものである。

総論と特論とを一貫する叙述の方法は、方法概念の分析、によって得られる処の、方法概念の運動、の内に存在する。事物をその概念の運動に於て理解することは、事物を根柢に於て把握するに必要な道であるであろう。一般に、概念の分析とか概念の運動とかいう言葉が何を意味するかを、読者は実地に就いておのずから明らかにされるならば幸いである。

併し私は、学問界の伝習的な一つの話題として、吾々のこの問題を取り上げることを好まない。又移り変ることなき絶対的な問題の一つとして之を提出し得ようとも思わない。ただ吾々にとってそして今日、この問題が重大な意味を有ち又有力な効用を約束するであろうことを、吾々は期待していると私は信じる。私の不完全な処女作も専らこの期待に立脚しているのである。私の個人的な不完全さが、この問題に対する公共的な期待を傷け得ないということは、明らかである。

「方法概念の分析」(その一)(その二)の二篇は、雑誌『哲学研究』に載せた文章を多少書き改めたものである。

一九二八・一〇

京都にて戸坂潤

Chapter 1 of 13