Volver
幾何学と空間
Table of Contents
幾何学と空間
戸坂潤
Reading Settings
Tamaño de fuente
18px
Tema
Claro
Oscuro
Sepia
Protección ocular
Interlineado
Modo de lectura
Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 4 of 4

四

私は二つの結果を得た。幾何学的直観と空間直観と。両者はどう関係するか。そのためには直観という概念を根本的に規定しなければならない。向には直観を思惟に対する限界と定義したに過ぎなかったが、思惟が限界されるということには二つの場合があると思う。第一は思惟と直観とが互にフレムトなものと考えられた場合である。無論思惟と直観とは結び付くことは出来るがその場合でも直観内容は思惟に対する偶然として現われ思惟は自らの力によって予め之を決定することは出来ない。思惟が直観を基けるのでもなく直観が思惟を基けるのでもない。直観は直観であり思惟は思惟である。何かを思惟するという時思惟されるものが必ず直観内容であるならば思惟は直観に基くか又は之を基けることとなるから今の場合の思惟ではない。それ故思惟されるものが直観内容でなくてもなり立つ処の思惟だけが今の場合の思惟である。このように考えられた思惟と直観との区別に於ける直観を感性的直観と定義する。第二は之に反して思惟と直観とは必ず結び付いていなければならぬと考えられた場合である。云い換えれば思惟と直観とは或る一者の必然的な二面であると考えられる時である。直観内容を云い表わすには思惟を通じてでなければならぬ――即ち直観は思惟に基く――が、併し思惟は直観内容そのものを云い表わす以外のものではない――即ち思惟は直観に基く――という関係に於ける思惟と直観とである。この場合の特徴は両者が互に他のものによって代表されることが出来るということである。この意味に於て思惟と直観とが同一のものとして取り扱われても差閊えがないということである(第一の場合は明らかに之を許さない)。このようにして思惟と区別された直観を知的直観と定義しよう。さて直観の根本的な二義をこのように区別するとすれば幾何学的直観と空間直観との区別を明らかにすることが出来る。幾何学的直観は向に明らかにした通り――二を見よ――幾何学に於て思惟によっては尽すことの出来ないものの存在を意味する。即ちそれは幾何学の基礎でなければならぬ。即ちこの意味に於てそれは幾何学を基けている。且又幾何学的直観の内容を規定するには幾何学そのものによる外はない。即ちこの意味に於て幾何学は幾何学的直観を基けている。然るに幾何学が数学である以上は一種の思惟の体系である。従って幾何学的直観は思惟に基き又之を基ける。それ故幾何学的直観は定義に従って知的直観に属する。そのことは又、幾何学的直観は幾何学――思惟の体系の一つである――によって代表される、という結果をも伴う。次に空間直観はカントが説いているように――三を見よ――悟性ではない。思惟ではない。空間直観は悟性概念――即ち範疇――ではない処にその特色があった筈である。従ってそれは思惟に基くものでも思惟を基けるものでもない。思惟は思惟であり空間直観は空間直観である。故に空間直観は定義に従って感性的直観に属していなければならない。両者をかく区別した上で次にその関係を求めよう。一般的に感性的直観は思惟とは独立であるがそれは両者の結合が不可能であるということではない。併しカントも考えたように両者が結び付くためには第三者が必要である。予めこの第三者があってそれに基いて両者が結び付く理由が始めて在ると云わねばならぬ。併し予想された第三者の内容は両者の結合の結果としてしか現われることは出来ない。即ち感性的直観と思惟との結合の結果が予め予想されてあったものに相当しなければならない。云い換えれば両者が結合し得るという可能性は両者が本来結合していなければならぬものであるという必然性に基いている。処が後の場合の必然性は明らかに知的直観に外ならない。即ち知的直観(I)に於て感性的直観(S)と思惟(D)とが結び付くのである、と同時にSとDとの結合の結果がIに外ならないのである。S+D=Iでなければならない。併し茲に注意しなければならないことはS+DがIに基くと云ってもSそのものがIに基くということにはならない(同様にDそのものがIに基くということにもならない)。唯だ+DがIに基くのである。それ故SとIとの関係はSがIに基くのではなくしてIがSに基くのでなければならぬ。この意味に於てSはIに対して根源的であると云うことが出来る。S+D=IではあるがI-D=Sと記すことは出来ない。これが知的直観と感性的直観との間の一般的な関係である。処が前に述べた処によって空間直観は一種の感性的直観(Sr)であり幾何学的直観は一種の知的直観(Ig)である。従って次の二つの関係を得る。及び。この場合+Dは単に思惟の結合を形式的に云い表わしているのでそれが実際上如何いう具体的内容を取るかはまだ決められてない。又吾々はIr及びSgなるものの存在に就いては何も与えられてない。であるからもしr≡gでないならば二つの関係から吾々はSrとIgとの間の一定した関係を何も導き出すことは出来ない。之に反してもしr≡gであるとすれば両式からという結果を得る。即ちr≡gならば幾何学的直観は空間直観に基くこととなる。それ故幾何学的直観と空間直観との関係を知る――それが私の課題である――ためにはr≡gであることを見出せば好いわけである。之を云い直せば幾何学的直観に於て感性的な基礎となるものが空間直観と同一であることを知ればよい。そして之を知るために最も手近かに見えるものは幾何学と空間直観とに共通な内容を発見しようとする試みであろう。例えば連続は両者に共通であり、空間の直線性(平面性、ユークリッド性)は又射影幾何学の線(即ち直線)や面(即ち平面)の概念に見出される。空間の直観が無限であるように例えば射影幾何学の対象は無限であり又無限遠点というような概念もこれに基く。であるから之は確かに一つの方法であるに違いない。併し如何に多数の例を挙げてr≡gであることを例証するにしても凡てを枚挙しない限りその推論は帰納的蓋然性以上の妥当を得ることは出来ない。仮に何処か一つ共通でないものが発見されたならばもはやr≡gの証明としては役立たなくなる。それ故r≡gを証明することは一見容易に見えて実は不可能であると云わなければならぬ。であるから私は他の方法を用いる必要がある。今始めから記号的にr≡gと仮定しよう。という意味は記号的にであることを仮定しよう。この場合SrとIgとは既知の項であるが、D′は未知項である。云い換えればこの形式的な記号関係はまだ必ずしも「幾何学的直観が空間直観に基く」という命題とは同一でない。併し若しD′=Dであることが見出されたならば、即ち+D′とは思惟が空間直観に結び付くことであるということが何処からか見出されたならば、「幾何学的直観は空間直観に基く」こととなる。即ち吾々はの式のD′に相当するような思惟内容を何処からか探し出して来れば好いわけである。而もこの方法に於ては前の方法とは異りこのような思惟内容はただ一つ見出されれば充分なのである。

この方法を実際的に用いるに当って次の二三の考察をしておく必要がある。向に私は経験的直観と純粋直観とを区別し、空間直観は純粋直観に属することを述べた。今もし幾何学的直観が経験的直観であるならばr≡gという仮定は全く理由のないことである。何となればそれは明らかにr≡gではないという事実を云い表わしているから。併しながら幾何学的直観は経験的直観ではない。何となれば経験的直観とは定義によって感覚を含む直観に外ならないが、幾何学的直観は感覚を含むものではない。という理由は幾何学の要素は幾何学的に純粋に――感覚とは独立に――定義されるのであり、その定義がまた公理主義の主張するように経験の事実とは独立とも考えられる。縦え公理主義によって解くことの出来ない直観内容――幾何学的直観――があると云ってもそれが経験界に属するということにはならない。であるから幾何学は感覚とは独立である。然るに向に明らかとしたことによって幾何学は幾何学的直観によって代表される筈である。従って幾何学的直観は感覚を含まない。即ち経験的直観ではない。であるからr≡gと仮定するに差閊えはないこととなる。次に又単にこの仮定が差閊えないものであるばかりでなく大いに理由のあることを注意する必要がある。それは幾何学の対象界と空間直観との間に多くの共通な性質が発見されるということである。無論このことはこの仮定が真であることの証明としては不充分であろう(その理由は前に述べた)。併し少くともそれはこの仮定への動機となるだけの理由を有っていることも否めない。であるから要するに仮定r≡gは非常に当然な出発点であると云わねばならぬ。次にD′=Dであることを実際上見出す場合、その探究の範囲を予め出来るだけ決定しておく必要がある。それは云うまでもなく空間直観と幾何学との関係に於て見出すこと以外には無意味である。処が幾何学は一に於て明らかにしたことによって量的であるか質的であるかである。量的幾何学の特徴は計量を含むこと即ち数概念を導入することにあった。併し数とはすでに明らかとなっているように一種の思惟の体系に外ならない。従って量的幾何学はこの意味に於て必ず思惟の加工を含んでいるものと云わなければならない。然るに空間直観はこのような意味では思惟を含むものではない。空間の直観に数概念が発見されるということをば私はまだ何処にも云ってないし又それが可能でありそうな理由も吾々は有たない。であるから空間直観と量的幾何学との間には必ず思惟の機能が発見される筈である。それ故求められた解決は茲に見出されるかのように見える。併し二に於て明らかにした処に従えば量的幾何学は必ずしも幾何学の本質を明らかにするものではない。それ故この解決を幾何学全体へ及ぼすことは出来ない筈である。即ち量的幾何学との関係に於ては必要な解決を取り出すべき一般的な関係を引き出すことは困難である。であるから吾々は質的幾何学を利用する方が有効であることとなる。一によれば質的幾何学は射影幾何学と位置解析とに分れる。それは幾何学の本質の異った二面を代表するものであることはその場合明らかにされた。それ故思惟Dの機能を空間直観と射影幾何学並びに位置解析との関係に於て指摘することが出来たならば吾々の問題の解決に充分であるであろう。探究の範囲がかく決ったとして次に如何なる着眼点によって探究の歩を進めるかを予め定めたい。もし空間直観と幾何学的直観との間に思惟をむ余地がないならば空間直観の内容はそのまま質的幾何学の内容となって現われなければならぬ筈である。即ち前者と後者との間には差異を見出すことが出来ない筈である。それ故両者の間に思惟の機能を検出するためには両者の間の差異に着眼しなければならない。質的幾何学と空間の直観とに同一ではない処の性質を探求の拠り処としなければならない。併し同一でないと云っても凡ゆる意味に於て共通でないならば縦えそれが或る思惟の機能を云い表わすにしても空間直観と質的幾何学との間に働くものであるか否かは全く不明である。それ故そのようなものを検出することが出来てもそれによっては幾何学が空間直観に基くことの証明に役立つ筈はない。であるから吾々は両者の間に於て共通でありながら尚且つ互に異っている処のものを用いる必要がある。さて空間の直観の性質として普通次のものが挙げられる。等質性、等方性、無限、直線性及び次元。然るに前の三者はそのまま質的幾何学の対象の性質となる。従って吾々の要求を充さない。直線性は又少くとも位置解析には現われない。稜というような概念は一般に曲線を意味する。即ちそれは共通ではない。従って之も不充分と云わねばならぬ。唯独り次元のみは両者に共通でなければならぬように見える。幾何学も次元を持っているであろう。のみならず空間は三次元と考えられるに反して幾何学の次元は数3に限定される理由は何処にもないであろう。次元は両者に共通でありながら且つ両者に於て異っていると想像出来る。即ち次元は吾々の要求を充す可能性があると想像してよい。であるから問題の鍵は次のことに潜んでいる。空間直観と射影幾何学並びに位置解析との関係に於て、次元に着眼することによって思惟の機能を検出すること、之である。

空間が三次元であるか否かは一応の問題である。空間を実在構成の論理的制約と考え、論理的制約そのものには次元を考える理由はないから空間は三次元に限られる理由もない、とも云われるかも知れない。併し三に於て明らかにしたように空間は単なる範疇ではない。それが直観であるが故にそしてただそれ故にのみ範疇となり得るのである。それ故縦え範疇一般とも云うべきものの性質を取って来て空間の性質を決定してもそれは空間なる範疇の性質が決められたこととはならない。空間は直観である。そして事実三次元でなければならぬ。直観が三次元であるとは無意味ではないか、直観は心理的作用に外ならないから之が一般に次元を持つということさえ不当ではないかと考えられるかも知れない。併し直観には直観する一面と直観される一面とが必ず結び付いていなければならない。もし空間の直観される処の一面がないならばそれは如何にして存在の範疇となることが出来るか。今直観される処の一面――それが空間と普通呼ばれているものである――は事実上三次元である。直観する一面もその限り三次元ではないにしても三次元的でなければならぬ。空間直観は三次元性を有つ。併し空間直観の三次元性とは何か。空間直観に於ては点、線、面と云う内容を区別出来る。併し少くとも立体はこれと性質を異にしていなければならぬ。今有限な平面と有限な立体とを想像しよう。両者は共に空間全体の部分である。然るに両者を無限ならしめれば立体は空間全体となるに反して平面は矢張り全体の部分に止る。即ち空間直観に於ては要素は点、線、面以上に出ることは出来ないことが之によって証明されている。空間直観はこのような拡張することの出来ない全体である。之が即ち空間直観の三次元性に外ならない。三次元とは空間直観に於てはこの点―線―面の全体的な体系そのものに外ならない。それでは次に幾何学の次元とは何か。二に於て述べてあるようにそれは例えば数体系の次元とは異る。幾何学的なるものの次元でなければならぬ。次にまたそれは例えば色の体系の次元とも異る。ロッツェも云っているように色の次元とは要するに一つの比喩であるに過ぎない。Farbengeometrie 或いは Tongeometrie と云われるものは勿論幾何学ではないのである。即ち幾何学の次元は幾何学に固有でなければならぬ。n次の多様ということは「n次に延長せる多様」ということである。然るに空間直観の次元とは正にこの延長そのものである。何となれば之によってのみ空間直観は他の直観から区別されて「存在」の範疇となることが出来るのであるから。それ故空間直観の次元が意味するものと幾何学の夫が意味するものとは同一でなければならぬ。次元は両者に共通である。ただ両者の差異は前者に於てはそれが三次元であり後者に於ては一般にn次元であるということである。さて併し次元そのものは数3に限定される理由はない。即ち3はnにまで次元の性質上拡張されなければならない。処が空間直観の三次元性はその点―線―面の全体的な体系に外ならぬ。それ故空間直観の三次元を幾何学的空間のn次元に拡張するためには空間直観の点―線―面の全体的な体系と次元そのものとを分離しなければならぬ。即ち全体的な体系が次元に加えている制限を取り去らなければならぬ。次元はかくすることによって始めて独立となり任意の次元が可能となる。之を云い換えればn次元に拡張するためには点―線―面の体系の全体性(Ganzheit)を否定しなければならない。然るに点―線―面体系の全体性は空間直観の性質に外ならない。従って之を否定するということは空間直観をば之に代るべき他のものによって置き換えることである。三次元がn次元に拡張されるために置き換えられるこのもの、それは明らかに幾何学である。処が置き換えられるものは点―線―面体系の全体性を否定するものである。即ち点―線―面の体系を部分として含むものでなければならぬ。即ち空間直観に於て現われる処の内容を含み且つ之に現われない内容をも含むものでなければならぬ。故に幾何学は空間直観に於て現われる内容を含み且つ之に現われない内容をも含まなければならぬ、という結果となる。射影幾何学は点―線―面の体系を拡張して之をn-空間(n-space, Veblen a. Young, Projective Geometry, Vol. )にまで及ぼし得るのでなければならぬ。即ち空間直観――点―線―面体系――に現われない要素――n-空間――をも公理に従って論理的に構成し得るのでなければならぬ。之によって空間直観に現われない関係に就いても空間直観に現われる関係の拡張として証明することも出来る。位置解析に於ても亦空間直観に於て与えられた個体的な図形――一を見よ――を必ずしも空間直観に於ては与えられない一般的な図形にまで拡張し得る可能性がなければならぬ。素より吾々は後の場合のような図形を如何にしても直観することは出来ない――それは空間の直観に現われないから――が、少くともそれを直観し得る図形からの類推として表象し得るのでなければならぬ。然るにこの場合表象するとは思惟するということ以外に意味はあり得ない。であるから幾何学が空間直観に現われる内容を含み且つ之に現われない内容をも含むということは、とりも直さず幾何学に於て空間の直観内容を含むと同時に之に含まれない内容をも思惟しうるということに外ならない。さてこの思惟が即ち求められたDである。D′=Dとなる。無論茲に見出された思惟は空間直観と幾何学との間の、即ち空間直観と幾何学的直観との間のあらゆる思惟の機能を云い表わすことは出来ない。唯その一例に過ぎない。併し之は前に述べたことによっての証明としては充分である筈である。故に一般的に幾何学的直観は空間直観に基くこととなる。幾何学は空間に基く。之が全般の結論に外ならない。

茲に注意すべきことは以上の結果が単に幾何学と空間との間の一般的な関係を云い表わしたものに過ぎないということである。であるから幾何学が空間に如何いう関係に於て基いているかを残る処なく指摘することとは自ら問題を異にしている。唯だ以上の結果から次のことだけは推論することが出来る。数や群が一種の思惟体系であるならば、幾何学は一般に思惟を含むのであるから、数や群の概念を用いて幾何学を分類することも許されなければならぬ、ということ。数学者の着想の自由はここにその根拠を持つ。併しながらそれが決して幾何学が他の思惟体系に属する理由となるのではない。幾何学は空間に基く。之が幾何学と他の一切の数学との区別される所以である。幾何学が数学として持つ特徴が之である。

(一九二六・二・二六)

●図書カード

Chapter 4 of 4
|