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これは芙蓉の花の形をしてるという湖のそのひとつの花びらのなかにある住む人もない小島である。この山国の湖には夏がすぎてからはほとんど日として嵐の吹かぬことがない。そうしてすこしの遮るものもない島はそのうえに鬱蒼と生い繁った大木、それらの根に培うべく湖のなかに蟠ったこの島さえがよくも根こぎにされないと思うほど無惨に風にもまれる。ただ思うさま吹きつくした南風が北にかわる境めに崖を駈けおりて水を汲んでくるほどのあいだそれまでの騒しさにひきかえて落葉松のしんを噛む蠧の音もきこえるばかり静な無風の状態がつづく。
この島守の無事であることを湖の彼方の人びとにつげるものはおりおり食物を運んでくれる「本陣」のほかには毎夜ともす燈明の光と風の誘ってゆく歌の声ばかりである。この人は昔村が街道筋にあたって繁昌した頃の御本陣のあととりだが、時勢の変遷や度かさなる村の災厄のため落魄して今はここでも小さいほうの数に入る一軒の家のあるじにすぎないけれど通り名だけはもとのまま「本陣」と呼ばれている。本陣は村じゅうでいちばん人がいいといわれるとおりおそらく国じゅうでも最も善良な人のひとりであろう。その善良朴直のゆえに私は心からこの人を愛する。性来、特に現在甚だ人間嫌いになった私にとってもこの人が島へくることは一尾の鱒が游いできたような喜びを与える。――追記。その後いちど逢ってしみじみ昔話でもしたいと思いつつおりを得ずに幾十年かたつうちに本陣は亡くなった。残念なことをした。家も新築されてあとが栄えてると人づてにきいて喜んでたのだったが。
たまさかに参詣の旅人をのせてくる村の人は芝蝦や烏貝といっしょにこの寒村のつまらぬ名物のひとつとして私の話をするのであろう。彼らは影法師のうつるのも忘れてそっと障子の孔から覘いたり、または森のなかを歩いてるところを見つけて変化ものの正体でも見あらわすようにじろじろと見まわしたりする。多くの者は私の不興げな顔を見て目くばせをし囁きあってそこそこに帰ってゆくが、なかには好奇心にかられ煙草の火をかり宮の名をたずねなどするのにかこつけておずおず話しかけるのもある。彼らの問いは鼠の道のようにきまっている。こんな島のなかにいてなにをするのか、寂しくはないか、恐しくはないか……これらの問いに対して私はなんと答えたらよいであろうか。住むべき家もないゆえ鴨のように迷ってきてこの島に宿をもとめたのである。寂しいといえば都会の喧噪のうちにすこしの理解もない人びとの群にまじってるよりも寂しいことがあろうか。ここは湖の離れ島である。さりながら日月は追いあう水島のごとくにして朝夕に島を照して忘れることはない。私はこれらの木や、鳥や、虫や、魚やと友となり、兄弟となって美しい姉妹の神を送り迎えている。私は今ひとりになって世のさかしらな人びとに愚かな己の姿を見る苦しみからのがれ、またいかに人間はつまらぬ交渉をつづけんがために無益に煩わされてるかを知った。世のあさましいことは見つくしまたしつくした。今はただ暫しなりとも清浄な安息を得たいと思う。旅人よ、私はおんみらがかしましいだみ声をもってこの寂寞を破ることをおそれるばかりである。
島にひとりいれば心ゆくばかり静かである。読書と冥想のひまにはわが穴を嗅ぎまわる獣のように島のうちを逍いあるく。その芙蓉の花の花びらに虻のとまったほどのこの島にも雨につけ風につけなにかの新しいことがないでもない。栗の枝が吹き折られたこと、鳥が蜆の殻を落していったこと……それらは島の歴史に残るべき大きな出来事である。またおりふし夢野の神はしのびやかにきて冷かな私の眠りをいろいろの絵筆に彩ってゆく。それらのことを私は日にちこまごまと日記につけておく。これはこの島に隠れて島守の織る曼陀羅である。
明治四十四年九月二十三日
簑笠をつけた本陣に船頭をたのんでひどい吹きぶりのなかを島へわたった。これから私の住居となる家は年に一度の祭礼に遠方からくる神官の泊るために建てたもので、羽目板はところどころずり落ち雨戸もまだついていないゆえほんの雨つゆのしのぎになるばかり、夏が過ぎればすぐ冬になるならいの山国の湖のなかにただひとつ浮いて出たようなこの島をめがけて周囲の山やまからおしよせてくる寒さをこの都人に防いでくれるほどの用にも立たない。積んである畳を幾枚か家のなかほどにしいて座敷とし、かたかたの床には白木造りの神輿、かたかたには炊事の道具をならべ、畳の黴をふき、あたりの塵を払ってみれば思ったより住みごこちのいい住居になった。梁のうえには笠鉾、万燈。枝と縄と藁で面白い粗野な織物になってる屋根裏からは太鼓、提灯などがぶらさがっている。本陣はそとから板屑を拾ってきて焚きつけをこしらえ、米はこのくらいに、水はこれくらいに、火はこうして と懇に教えながら昼飯の支度をして、やがて飯ができたのでちょこなんと畏って給仕をしてくれる。それから南の浜へおりて器を洗うなどひととおり用事をすませたのち
「ごはんが残ったらおじやにしておあがりなさい」
といって帰っていった。あとに残って私は これでいよいよ独りになった と思った。
二十四日
安養寺さんへ御挨拶にゆくために島を出る。――註。島へ移るまで私は湖畔の安養寺さんの離れに御厄介になっていた。――池田さんの炉ばたで話してるところへ福岡の妹が危篤という電報がきた。池田さんの人たちが気にかけてきいたけれど私は笑って なんでもありません と平気でいた。
島へ帰る。昼飯の支度をするのも懶い。ぼんやり寐ころんでいる。ふと ああよく体を大事にしてといった と思い出して力なく焜炉に火をおこしはじめた。飯をかける。焜炉のまえに坐って煮える音をきくともなくきいてるうちにはらはらと涙がこぼれかかった。よくひとりで世話をしてくれた。――註。妹が嫁にゆくまえは小石川の家で母と私と妹の三人ぐらしだった。――裁縫がすきでいつも針をもっていた。日に何遍もココアをいれさせるとなさけなさそうな顔をしてやってくれた。瀕死の床に寐てる姿が眼にうかぶ。飯がふきこぼれるのでおろして菜の鍋をかける。木蓋のうえで葱をきって一つ一つ石を投げるように投げ込む。涙がはらはらとこぼれかかる。こんなに涙が出るのはもう死んだのではないかと思う。死ぬときどんなにか皆にあいたかったろうと思う。焚きつけがなくなった。晩飯のために拾わねばならぬ。
後ろの森の杉の枯葉をひろう。ひとつずつ拾って左手にためる。涙がでる。かけすぐらいの鳥がゲーゲーと争っている。
なにをするともなく夕がたになった。きょうは夜になるのが寂しい。その夜の闇のなかにひとつぶの昼の光をとめておくような気もちで島の脊を燈明をともしにゆく。落葉の音や木立ちにひびく自分の足音をききながら石段をおり燈明をともしてなにということもなく眺めている。燈明の影が水にうつる。その水底に幾年となく落ちかさなった枝、そのうえを小さな魚の子のゆくのが透いてみえる。彼らはまことに天から生みおとされたかのように処を得がおである。きょうは曇。飯綱にも黒姫にも炭焼の煙がたつ。煙が裾曳くのは山颪であろう。
二十五日
朝目をさますと同時に妹を思った。きょうの悲しい最初の思いである。□□子はまだ生きてるような気がする。そして私のように今目がさめたのだろうと思う。
雨まじりの風が烈しく吹いて島は終日波の音と木の葉の音に鳴りつづけていた。島には木の葉が雨のようにふる。彼らは朝から日のくれるまで、日のくれから夜の明けるまで、ながいあいだ住みなれた梢に別れをつげてわるびれもせず土に帰ってゆく。そうして地に落ちてからも暫くは若わかしい心を失わずにあちこちと追いあいさざめきあっている。□□子はまだこのあいだ 来春は子供を抱いて上京する といってよこした。私は 楽しみに待つ といってやった。□□子は生きて約束どおり来春出てこなければならない。兄弟のなかでただひとりの可愛い妹だったものを。
雨のなかを提灯をさげて燈明をあげにゆく。燈明が高いので水ぎわの石にのってもまだいっぱいに手をのばさねばならぬ。風のまをみてともしてもともしても扉をささぬうちに消えてしまう。あきらめて帰ったがなにか気がすまないのでまた性懲りもなくともしにゆく。
燈明の下に立つ。風がますます荒れて波がおりおり裾を洗う。いらだって凪ぐまも待たずともしはじめたが今度は三度めについた。石からおりて裾をしぼりはかない喜びにみちてちらめく影を見あげながら 湖の彼方にこの光を望む村の人たちは島守がきょうの一日の無事であったことを知らせるための燈火とばかり眺めるであろう と思う。
二十六日
朝。晴。きのう拾った杉の葉で火をおこしてるところへ本陣が鉈と鋸に豆板、頼んでおいた鰹節と池田さんからことづかった香煎をもってきて 餅は焼いてばかりたべずに雑煮にするがいい といって大きなひね茄子を二つ袂から出した。両手にあまるほど肥えて石みたいに堅い。また 麹が少いからまずかろうけれど と小さな瓶から味噌をくれた。そして俎がわりに拾ってきた板のうえへ鉈で鰹節をかいてくれたが私は雑煮は今度のことにして餅を焼いてたべる。かようにしてこの侘び住居には不相応な珍味のかずかずがそなわった。無性者の料理人は手軽をのみ心がけてなるべく材料を使わない。米も持ってきたなり袋に一杯、砂糖もそのまま、山田から送ってくれた浪華漬もまだあけない。玉子も笊に十ほど、葱が一本、はぜもろこしも残っている。今やこのソロモンの富を得た島守はこれらのものをどういう順序に腹のなかへしまい込もうかについてすくなからず苦労をする。本陣は焚きつけをつくりおえて煙草をすいながら味噌汁のかげんやなにか教えていった。
いつからかこの神輿のなかに夫婦者の鼠が住んでいる。彼らは私ごとき人間に平和な生活を邪魔されるのを腹立つかのように毎晩言語道断に荒れまわるのでゆうべから一きれの餅をいくつかに割って床のうえにほうっておくことにした。お供物のおかげで一晩静かだったが見れば餅はきれいに運び去られている。
二十七日
□□子の具合がいいという知らせがきてきのうは幸福な日だった。けさ南の浜へおりてたらいつのまにかきた本陣が
「先生 先生」
とよんだ。私が二足三足坂をあがりかけたら
「はがきがまいりました。たいそういいってんです」
といった。本陣はこのごろ私が気分がすぐれないのを気にかけてくるたんびに親切にたずねてくれる。また私が□□子のために心を痛めてるのにも深く同情してるのだ。
夕。桟橋に立ってるとき北の岡の峡から霧が吹き出してきたので今に島を包むかと思って眺めてたが徐かに湖をわたり東の山にそうていってしまった。秋になって霧が急にすくなくなった。燈明をつけてもどってみればもう鼠の音がしている。ゆうべは餅のかわりに一掴みの米を供えておいたら床につくまもなくぱちぱちと内証らしくたべる音がした。今夜ははぜもろこしをささげよう。
俄に雨の音。
二十八日
夜半。恐しい風の音に呼びさまされた。いま人びとはみな眠って私ひとり覚めてるのであろう。私はこの島の嵐のなかにただひとりなることを思い幸にみちて眠りに入った。
二十九日
朝。散りしいた木の葉にまじって翅のはえたいたやの種子が落ちていた。山やまがありったけの風を吹きつくしたかのようにけさは静かである。樫鳥や、木つつきや、島じゅうを木づたい鳴きかわす鳥のなかでひよどりの声がことによく谺にひびく。なに鳥か大杉の梢で玉の梭を投げるように鳴く。湖水にうつる雲の影はしずかにうごき、雑魚の群は吹きかわった新鮮の気を吸うように滑な水面に泡をたてる。
机にもたれたまま夕がたまでうとうとした。そのあいだにいろいろな鳥の声がきこえた。目をさましたら手が痺れてなにを持っても乳のみ子のように落してしまう。
島守の一日の暮しぶりはこうである。朝目がさめるとながいあいだの習慣にしたがって睡後のけだるさが心臓から指の先まですっかりきえてしまうまでは静に床のなかに仰臥している。漸く五体が自分のものになれば起きて南の浜へ顔を洗いにゆく。雨の日やあまり寒い朝は前日に汲んでおく水で用をすます。次には土間の蓄えのうちから一掴みの杉の枯葉とやや生のとを拾い五、六本の木屑をそえて焜炉に火をおこす。生の葉は燃えるときに濃い白い煙をたてるのと、ぱちぱちはぜるのがよくてことさらにまぜるのである。また一本のマッチのほかに藁の帯をした束から一枚のつけ木をぬきだしてそのさっとひいた硫黄の色、泡だちながら燃える紫の焔、つんと鼻をつく強いかおりのためにその一枚を無駄につかう。燃えたつ火のなかへ三つ四つ手づかみに投げこむ炭のおこるころには杉の葉は灰に、木屑はほどよくおきになってそのうえに土瓶がのせられる。掃除をして餅の黴をけずり、玉子や茶道具をそばにならべ、小皿に醤油をうつすじぶんにはちょうど湯がわく。そこで火箸を火のうえにわたして餅をのせ、その焼けあんばいによって焜炉の扉のかげんをするのをひとりで興がりながら端から醤油をつけてたべる。それから玉子をのみ、豆板をたべ、茶をすすって朝の食事をおえ、ひと休みののち食器をかたづけるまで火をたきつけてから約一時間半を費す。一晩のうちにからになった胃のなかへ甘い、鹹い、渋い食物を充分につめこんだ満足はたとえようもない。小憩ののち読書、もしくは日記。時間と手数のために昼飯をはぶき、もし暖かならば南の浜へおりて体をふく。膝ぶしぐらいまで水にはいり、摩擦によって充血した皮膚を日光にあてまた微風に冷しながら四方の山を眺める気もちはまことに爽快である。もし濯ぐべき衣類食器などあればついでに洗う。帰って心臓の鼓動のしずまるのをまって読書、要すれば午睡。三時半夕食の用意にかかる。これは二食なのと、暮れるまでにゆっくり散歩の時間を得たいためである。大体の順序は朝におなじ。但し夕食は雑煮なので餅の黴をおとしてからおなじ庖丁で鰹節をかき、茄子の皮をむいて銀杏にきり、つゆのかげんをして鍋をかけねばならぬ。しずかに休んでから手ばやく食器をかたづけ、火をけして鳥居へゆく。そうしてそこからお宮までのあいだの長い路を落葉をひろったり、歌をうたったり、木の根をまたいだり、石段をあがったりおりたりして火ともしごろまで歩いている。