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長崎の鐘
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長崎の鐘
永井隆
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Chapter 9 of 12

原子病

原子崩壊の際に発生する放射線の生物体におよぼす作用については、過去においてすでに各種動物実験や臨床経験によって明らかとなっている点が多い。大量の放射線を短時間照射した場合と、少量を長月日にわたって与えた時とでは反応は異なるが、とにかく放射線は生体組織細胞に対し破壊作用をおよぼすもので、その結果組織は退行変性を起こしてくる。ただし変化があらわれるのは即時ではなく、それぞれ臓器によって異なる一定の潜伏期間がある。だから放射線を受けた時はなんの苦痛も傷害もなくても、後日症状があらわれる。しかも放射線が体内に貫入する時には神経を刺激しないので、本人は気がついていないわけで、症状があらわれて初めて放射線を受けたことを知るのである。放射線に対して抵抗の強い臓器と、鋭敏に変化する臓器とがある、最も弱い、すなわち、いちじるしく障害されるのは骨髄、淋巴腺、生殖腺である。骨髄は血球を製造する器官であるから、ここがやられると血球ができなくなり、白血球や赤血球の減少が起こる。障害の程度がひどいと骨髄が変性してしまい、その結果、まだ未完成の血球をどしどし血液中に送り出すようになり、異常白血球が増して、白血病になる。少量ずつ長期放射線を照射される場合、特に白血病が起こりやすい。淋巴腺で変化のよくあらわれるのは、たとえば扁桃腺で、これが壊死に陥ることが多い。生殖腺に障害が起こり、性欲喪失、精虫欠乏、無月経、不妊などをみる。流産、奇形児等もみられることがある。乳房も小さくなる。次に弱いのは粘膜であって、充血し、炎衝症状を呈し、ひどい時には潰瘍をつくる。たとえば消化器粘膜では口内炎、胃炎、腸炎が起こり、赤痢によく似た下痢をする。それから毛根乳頭もおかされて脱毛する。しかし、これは回復するものである。肺は肺炎を起こし、腎臓は萎縮の像を呈する。副腎がおかされると皮膚がうす黒くなってくる。全身症状としては、照射後数時間にして発生する放射線宿酔があり、これは数日間つづく。同じ照射を受けても若い者ほどいちじるしい障害を受ける。若い人は死んでも老人は生き残るということがある。

放射線にはそれぞれ一定の致死量がある。しかし、障害のあらわれるのには細胞それぞれ一定の潜伏期があるのだから、即死ということは起こらない。致死量以上の照射を受けた者はどんな手当てをしても助からない。大量であればあるほど症状が激烈で、早期に死亡してしまう。

原子爆弾の原子病は果たしてどんな症状を呈したかというと、大体以上略記した過去の放射線医学の知識に一致するものであった。原子爆弾の場合に作用した放射線は、爆発時に大量飛来した中性子とガンマ線と、その後長く爆心地から風下、すなわち東方地区に残留した放射能とであって、その作用には厳密にいえばそれぞれ差異があるのだが、いちばん強力だったのは中性子であり、微弱ではあるが厄介なのは残留放射能、すなわち七十五年生息不能説の本態である。世間でガスを吸ったとか爆風にあったとかというのは、実はこの放射線によるものであって、病は口より入るものとのみ思っているからそんな解釈をするのであるが、放射線は全身どこからでも平気で体内へ進入して暴威を逞しゅうするのだ。

原子爆弾の原子病をその発現の時期に従って述べてみよう。まず被爆後三時間くらいしてから放射宿酔が感じられ、二十四時間後が最高で、のち次第に軽快していった。第三日目ごろから消化器障害があらわれ、多くは一週間後くらいに死亡した。軽度の者では下痢が長くみられた。第二週に出血をみた者があらわれた。これは血液障害で多くは死亡した。第四週に白血球減少に伴う重篤な症状があらわれ、多くは死亡した。脱毛は第三週ごろからみられた。生殖腺障害は初期から十週以上つづいていた。小児はすべて大人より早く発現して症状も重かった。さて、現在なお爆心地には少量の放射能があり、住民の白血球は増加している。

重要な所見だけ述べてみよう。宿酔については原子爆弾傷のところで述べておいた。消化器障害についてはまったく動物実験の結果と一致していて、粘膜の充血性ないし潰瘍性炎衝である。爆心一キロ以内の倒壊家屋内に埋没されていたのを救い出され、九死に一生を得て喜んでいる人々が、第三日ごろに口唇周囲に大豆大の膿泡疹を生じ、翌日から口内炎ができ、口痛のため飲食困難となり、発熱した。さらに、その翌日には食欲不振、腹痛、下痢等の胃腸炎の症状が起こった。下痢は初め水様であるが次第に粘液を混じ、のちには粘血便となった。裏急後重があり、体温は四〇度以上にのぼり、赤痢と誤られたこともあった。全身衰弱いちじるしく、一週間ないし十日で死亡した。軽症の者はただ下痢、食欲不振を訴えた。残留放射能によるものもあって、被爆後十日間ぐらいは、浦上を通過しただけで下痢を起こすという話さえあった。

出血死は第二週に少数例が観察された。突然衂血、吐血、下血、創傷再出血を起こして死亡した。これは還流血液中の血小板が破壊され、出血性素因を生じたものと思われる。兎での実験がある。

朝には秋冷を覚ゆる九月に入ると、降伏後の混乱もおのずから鎮まり、患者も大体助かるめどがついてほっとした。ところが五日ごろ、すなわち被爆後第四週に入るや、突如重篤な白血球障害があらわれ、死亡者続出し、一同を恐怖の底に叩きこんだ。一キロ内外の距離にあって、多くは家の中などにいてなんの創傷も受けず、その後軽い下痢くらいはあったが、元気で他の人の看護や焼け跡整理に立ち働いていた人々が、全身倦怠、皮膚蒼白の前駆症をもって発病し、体温は四〇度以上に上昇し、そのまま稽留し、口内炎を起こし、歯齦潰瘍ができ、後それは壊死し、咽頭義膜、潰瘍性扁桃腺炎を惹起し、飲食不能となる。皮膚に点々小豆色の溢血斑を生ずる。初め躯幹、上膊にあらわれ、後には大腿に多発する。その大きさは止針頭大から米粒大ないし小豆大におよび、時に指頭大に拡大するのもある。疼痛、掻痒は伴わない。白血球はいちじるしく減少し、二千以下になった者はほとんど助からなかった。その経過は奔馬のごとく、平均就床九日で死亡した。

珍しい例は間接障害で、爆裂時に放射線を受けた草木のうち二キロないし七キロのものは赤く焼け枯れ、また爆裂後に降った大粒の雨の付着した草の葉は枯れた。爆撃の翌日、川平地区で二人の農民がこの枯れた萱を刈って担いで帰ったところ、その翌日草の当たった両手両足および肩にかゆい紅色の丘疹を生じ、それはかぶれに似ていて数日で治った。

爆心地の残留放射能の影響はどうであるか。爆裂当時浦上にいないでなんら損傷を受けず、いわゆるぴかをも受けていない人々が、爆心に居住してどんな症状をあらわしたか。これを調べるために、私は十月で三ツ山救護班を閉鎖すると、爆心地上野町に壕舎を建てて、その中での生活を始め、周囲を注意深く観察しつつ今日におよんでいる。

爆撃直後には爆心には著明な放射能が証明された。その放射源となったものは原子分割によってできた新しい原子であって、初めは空に爆発雲として浮かんでいたが、次第に地上に沈降したものである。これは個々としては目に見えぬ微塵である。ウラニウムの分割の際は放射性バリウムやストロンチウムができるはずである。また原子爆発の際の強力な放射線によって地上物体の原子が崩壊せしめられ、一時性に放射能を獲得したものもあるかもしれない。これらの放射性物質はいずれも次第に原子内の安定を回復して放射能を失う。また水に流れ去るものもあって、爆心地帯の放射線量は日を追うて減弱していった。しかし、一年後の現在でも依然少量は残留して、微弱ながら放射線の放出をつづけている。

そんなわけであるから、人体におよぼした影響も初期ほど激甚であった。この上野町は爆発点より六百メートルの近距離にあって、当時現場にいた住民は防空壕の奥深く潜んでいた一人の子供を除いて全部死亡した所、灰と瓦礫の町である。ここで爆裂直後三週間以内に壕舎住まいを始めた人々には重い宿酔状態が起こり、それが一か月以上も続いた。また重い下痢にかかって苦しんだ。特に焼けた家を片づけるため灰を掘ったり瓦を運んだり、また屍体の処理に当たった人の症状ははなはだしかった。症状はラジウム大量照射を受けた患者の起こすものに似ており、たしかに放射線の大量連続全身照射の結果であった。

一か月以後から居住を始めた人の症状は軽かったが、やはり宿酔と消化器障害がみられた。蚊や蚤の刺痕や小さい傷が化膿しやすく、白血球の軽度の減少があるらしかった。

三月後からはもう著明な障害は起こらないようになった。住民はどんどん家を建てて居住を開始した。それは復員者と疎開者と引揚者とが主である。ところが白血球を調べてみると、居住開始後一か月すると異常な増加を示し、平常数の倍になる。これは微量放射線の連続全身照射にみられる症状である。つまりこの土地には極微量の放射能が残留しているのであって、これは爆撃当時米国から注意されたとおりである。しかしながら放射能の減弱速度がかなり速いから、七十五年くらいなどというのは嘘であり、今後そう長くは続くまいと思われる。現在この白血球数の増した現地住民の健康状態はいかにといえば、極めて良好である。長い間ここにいるが、寄生虫疾患を除いては病人の診療を頼まれたことがない。冬の間は雪が降りこみ、氷柱の下がる吹きさらしの壕舎に、うすい配給毛布を被って寝ていながら、肺炎はおろか感冒にもかからなかったし、最近では創傷を受けても化膿もしない。あたかもラジウム温泉地の住民みたいである。生殖腺障害はどうかと思っているが、妊娠率は幾分減っているようにみえるけれども、やはり妊娠する若嫁があり、流産の話も聞かず、奇形児は生まれていない。将来どうなるかという点については軽々しく判定できないが、私はかなり楽観的で、会う人ごとに焼け跡に帰って家を建てよと奨めている。

私たちが今最も心配しているのは熱傷瘢痕の運命である。この熱傷は単に熱による皮膚障害のほかに中性子とガンマ線とを同時に受けているのであって、普通の火傷とはいちじるしく違う。普通の火傷でも体質によっては瘢痕蟹足腫を形成する場合があるが、原子爆弾熱傷の瘢痕はほとんど全部が蟹足腫を形成した。長崎市内を歩いていると、顔や手などが桃色に盛り上がり、てらてら光り、引きつっているこの瘢痕蟹足腫を見うけるであろう。放射線傷を受けた皮膚で、瘢痕蟹足腫を形成し、それがかゆいものだから、かいたりなどしつづけると、数年後に潰瘍となり、さらに何十年かの後には癌になることは、ラジウムやエックス線でしばしば経験された。原子爆弾熱傷の瘢痕から癌が生ずるか否か? これは将来に残された重大な問題である。瘢痕のある人はいくらかゆくてもかかぬように、風呂から上がった後で手拭で擦らぬように、むやみに売薬などをつけぬようにせねばならない。

Chapter 9 of 12
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