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霧の蕃社
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霧の蕃社
中村地平
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Original Public Domain
Chapter 5 of 7

五

これより先、同じい年の三月。時の台中州知事水越幸一は、蕃情を視察する目的をもって、蕃社に来遊した。

いったい霧社は亜熱帯とはいえ高さは海抜既に四千二十余尺、気候の暖さは内地の春と殆んど変りはないのである。しかも、辺りの山々は春霞のなかにうっすらと重りあって聳えたち――それらの緑を背景にして、高台いったいの桜樹は今やま盛りに、その花ばなの見事さを誇っている……足もとはるか低く濁水の渓谷を眺める台の一角に佇み、柔媚な山々の眺めにつつまれた時、知事水越幸一は、一種郷愁に似た感傷を覚えざるを得なかった。日頃、政務に追われ、怱忙の日を送っている俗情は、どこか遠い山の端へ消えさってゆく感じだったのである。

しかし、蕃情は――風景・気候のように温和では決してなかった。甚だ面白くないのである。内地人を見る蕃人の眼に、穏やかでない、嶮しいものがあることは、たまさかの視察者にもはっきりと看取される。安んじて生業についている風はどこにも見えないのである。

分署の一室に集合した部下の警察官一同に、知事はきびしい訓戒を与えざるを得なかった。

「よろしくいっそう蕃情に対して警戒を厳にするよう。しかも、蕃人に接するには、常に温情主義をもってし、徒らに彼らの反感を挑発することなきよう――」

知事は下山すると、直ちに部下に命じて、分署の警察官を更迭し、新に俊秀を入れた。また蕃人撫育の一方策として、台中在住の内地人官民の家庭に衣類の寄付を仰ぎ、これをトラックに積んで送った。

知事の努力にも拘らず、しかし、蕃情は少しも改善されるところが無かった。新しく更迭した分署主任佐塚愛祐がかえって蕃人の反感を挑発したばかりではなく、既に彼等の内地人もしくは文明に対する感情は行くべきところにまで行きついてしまっている。些々たる政治的技術によってはどうすることもできない最悪の事態に直面していたのである。

来るべき運動会の当日を期して蜂起することがモーナルーダオの耕作小屋で決定された時、全社の主な蕃人たちは暴動の計画を暗黙のうちに了解しあっていた。彼らはすべて眼には見えない糸に操られているかのように、ひそかに、かつ整然と戦いの準備をすすめて行った。

既に秋の収穫は完全に終っており、食料は長期の戦いに耐え得る自信が十分に在った。銃器と弾薬とは各戸に所蔵するものは凡てこれを一カ所に集め、食料とともに暗夜を利用して密かにマヘボ付近に在る一大岩窟のなかに運び入れた。なお不足の分は蜂起と同時に分署から奪取する計画である。その予定小銃百五十、弾薬千四百発――

台湾が日本に領有せられてこのかた、その時代まで、蕃人が反逆を試みたのは必ずしもこの時ばかりではなかった。全島にわたってこれに似た計画がいくたびか試みられた。しかしその殆んど全部は未然に発覚され鎮圧されるのが普通であった、素朴で単純な頭脳しかもたない彼等は、団体的に秘密をたもつ、ということが絶対にできない。なかの誰かが必ずうっかり計画の内容をもらしてしまうのである。

しかし、この事件だけは例外であった。彼らは驚くほどの結束力と、細密な計算とで秘密を保ち、計画をおしすすめて行った。それはひとつにはモーナルーダオという卓れた統率の才がいたからではあるが、ひとつには蕃人の智能が驚くほどすすんできたためである。事件が起きたのち、内地人の関係者たちは彼らに文化を与えたために生じた皮肉な結果に、深刻な苦笑をもらさざるを得なかった。

事件が起きた日、昭和五年十月二十七日。

朝まだ早く、辺りの山々が暗い闇につつまれている時分。

マヘボ駐在所の杉浦巡査が自宅に熟睡していると、突然表戸をたたく者がいる。眠い眼をこすりながら、巡査が不審な思いに枕の耳を傾けていると、つづいて頭目モーナルーダオの声が聞えてきた。

「運動会が始まるよ。もう起きなさい」

巡査は寝ぼけ声で答えた。

「煩いな。まだ早いじゃないか」

「早くないよ。遅いよ。もう運動会始まるよ」

あまり執拗にすすめるので、半信半疑で巡査はしぶしぶ布団をはなれた。そして、ネルの寝巻き姿のまま、表戸をあけた。

「なんだ、まだまっ暗らじゃないか」

ぶつくさつぶやきながら、巡査が一歩、表へ脚をふみだした――その瞬間であった。とっさにモーナルーダオの巨きな体がおおいかぶさるように組みついてきた。電撃に打たれでもしたもののように、巡査の五体は半醒の状態から醒めた。彼はよろめく脚をふみしめ、全身の力でもって低く、モーナルーダオの襲撃を支えた。暗い星月夜の空の下で、しばらく二人は組んず、ほぐれつして争っていたが、間もなく、二人の体は組みあったまま叢の坂径をころがり落ちた。そこは既に杉浦巡査の官舎からは十五六丁もはなれており、丁度、すぐ傍らにはモーナルーダオの家が在った。巡査が頭目の下敷きになった時であった。家のなかからはルーダオの次男タダオモウナオが走り出た。蕃刀でタダオは巡査の頭をはねた。不幸な内地人犠牲者の最初の一人はこうして産れた。

間もなくモーナルーダオの家の前には黒い人の影が忍び寄るように一つ二つと集ってきた。マヘボ社の若い男たちである。社内の若い男全部約五六十が約束に従って出揃うと、それらは頭目モーナルーダオに引率されて、暗い山坂径を静かにタロワン社へむかって行った。タロワン社の部落の外れまで来ると、そこにはその社の壮丁たちがひとかたまりになってまっていた。マヘボ社と、タロワン社との壮丁は合流し、一隊になってボアルン社へと行った。約束どおりボアルン社の壮丁たちもただちに一行に合流した。隊の人数は忽ち二百五十名ばかりに増えた。

この二百五十名は二隊にわかれ、東能高郡下の主な駐在所の殆んど全部――新高、尾上、トンバラ、ボアルン、ロードフ、ターウツア、サクラなどの駐在所をかたはしから襲撃して行った。すべての駐在所には一人乃至二三人の駐在員とその家族たちが住まっている。それらはすべて兇蕃の犠牲になった。前夜から霧社に泊りがけで出かけた女子供のほんの一部だけが、僅かに災厄から免れた。しかし、それらの大半も結局のち霧社公学校で不幸な襲撃に遭っているから、災厄から免れた、といっても、それは時間の問題にすぎないのではあるが……。

兇蕃たちの行動は全く早く、静かであった。広い、暗い地域を二ツの魔風のように吹きぬけて、人命のいくつかをもぎ落し、次第に新しい仲間で身ぶくれして行ったかと思うと、空が白んだ頃には忽ちホウゴウ社に引き返していた。午前七時ホウゴウ社で再び合流して一隊となった彼らは、その足で頭目タダオノウカンを訪れた。タダオノウカンはその土地の長老であり、勢力家である。モーナルーダオは礼を尽して長老が一行の挙に加わってくれるように頼んだ。タダオノウカンはそれを聞くと彼らの暴挙をとめようとして、必死になってさとした。

「日本人は霧社にばかりいるのではない。俺たちがよし霧社で勝ったとしても、あとからあとから霧のように、日本人は俺たちを攻めてくるばかりだ。反抗しても、所詮は敗北の憂目を見るにきまっている」

モーナルーダオはそれを聞くと答えた。

「それと同じことは昨日花岡一郎に聞いた。しかし、俺たちは粟も十分に貯えている。また銃器や弾薬もたっぷり手に入れる目算がついている。内地の人の数がどんなに多いか知らないが、俺たちが最後の粟の一粒まで、また最後の弾の一発まで、抵抗をつづけさえすれば、勝利はきっと俺たちを見舞うにちがいない」

タダオノウカンが黙って返事をしないのに気がつくと、モーナルーダオは背後の若者たちには聞えないように、一段と言葉を低めて言った。

「それはお前が言うように、あるいは俺たちに勝味がないかもわからない。しかし、それならばどうすればいいのだ。この計画をやめて、また、あのじめじめした、どうにもならない気もちで不愉快な毎日を送るのか。若い者たちは、なにか、思いきったことをやらなければ収らない気もちになっている。勝敗は問題じゃないのだ。その気もちをおさえつけても、その鬱屈した気もちはいつかもっと悪い別な形で現れるにきまっている」

モーナルーダオの熱情に根負けした形で、タダオノウカンは結局一行に加わらざるを得なかった。タダオノウカンが参加を承諾したことによって、一行の勢力は前記のマヘボ、ボアルン、ロードフ、タロワンに加えてホウゴウ、スウクの六社となり、反抗蕃人の総数約千二百名、壮丁だけでも三百名という数に達した。モーナルーダオ以下全員気勢大にあがったことは説明するまでもない。

壮丁三百名中の約半ば、百五十名は午前七時半、ホウゴウ社から十五丁の距離に在る桜台に到着、国旗掲揚式と同時に、一挙に公学校グラウンドに殺到して行ったのである。

グラウンドでは剣をふりかぶって切りむすんでいた警部佐塚愛祐を始め、二十二名の警官、学校職員がたちまち兇蕃の槍先きや蕃刀やによって倒されてしまった。そのほか女子供で血を吹いて倒れたものが七十名。

急を外部へ報せるために郡守小笠原敬太郎は吉川視学の案内によっていち早く場を外へとのがれ去った。

霧社公学校長新原重志は機敏にも女子供約三十名を付近に在る自分の官舎に避難させると、自分はただ一人玄関の表にたちはだかって、来襲する兇蕃をむかえ防いだ。しかし、孤独な勇猛はたちまち勿論、ひとたまりもなく切り倒されてしまったのである。なかに避難した女子供の大部分もつづいて侵入してきた蕃人たちに虐殺の憂き目をみたのである。

新原校長夫人は屍体のなかに埋れて、うつ伏せになり、血を浴びて寝ていたが、そのことで蕃人の眼をまぬがれることができた。奇蹟的に命が助ったのである。しかし、傍らに寝ていた子供が脚を動かしたことによって、引きずりだされ殺されたときも、声をたてることもできない苦しさであった。

便所や、縁の下に隠れた、ごく僅かな女や子供たちは危く難をのがれることができた。しかし、戸外の竹藪に隠れた者のなかには、蕃害は避け得たが、恙虫に刺されて命を落した者もいる。犠牲者の総数は内地人百三十四名、本島人二名の多きに達した。

殺された内地人の殆んど全部は僻遠の山間に在って、楽み少く、僅かに運動会の開催に胸とどろかせていた気の毒な人たちである。

公学校のグラウンドで行われた惨劇は約一時間ばかり続いたが、その間兇蕃中の別働隊五十名は約二丁の距離に在る分署を襲撃し、小銃、弾薬を掠奪、建物を焼きはらって凱歌をあげた。

一方、運動会場を脱出した吉川視学は、小笠原郡守をその背に負って、山径を駈け降りた。しかし、郡守が肥っているために、急ぐことができない。やむを得ず、付近の竹薮のなかに降ろした。

「しばらくここに隠れていてください。すぐに応援を呼んできますから」

眉渓と呼ばれる渓流に副った山径を半里ばかりも霧社から降りたところに眉渓駐在所がある。ころぶようにして漸くそこまで辿りつくと、吉村視学は蕃人蜂起のことをすぐに電話で埔里郡役所に伝えた。事件が外部へ伝った第一報である。

この間、竹薮のなかに隠れひそみ、息をこらしていた小笠原郡守は、追跡してきた兇蕃に発見され、殺された。

埔里郡役所から事件の報告を受けとった台中州庁では、水越知事を始め一同、異常な予期しない出来事に愕然とした。

Chapter 5 of 7
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