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霧の蕃社
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霧の蕃社
中村地平
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Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 6 of 7

六

知事を中心に対策が直ちに協議された。

その結果、三輪警務部長を総指揮として、警察隊千二百名を組織し、現地に進発することが決定した。台北・台南の二州及び花蓮港庁にはそれぞれ警察官応援が電請された。

同時に知事は軍隊の出動をも請うた。軍はただちに台中・花蓮港・台北の各大隊より、各々警察隊応援の目的で進発させた。警察隊と軍隊とは相協力して、埔里、能高、ビヤナンの三方面より霧社を挟撃しようというのである。また、屏東飛行場より飛行機一機をもって、現地を偵察させた。

この間兇蕃は霧社・ジセキ間の電話線を切断した。また眉渓駐在所を襲って、これを焼きはらい埔里方面に進出しようとする態勢を示した。埔里の町は海抜約千五百尺、埔里盆地の中央に在り、能高郡役所の所在地である。人口も二万数千あってその地方の要衝となっている。町には既に霧社で遭難した内地人二十一名が避難してきている。負傷して血みどろになっている者も多いのであるが、彼等の口から蕃情が伝えられるとともに、民心は忽ち大に動揺したのであった。兇蕃の来襲を防禦するために、内地人・本島人は互いに協力して直ちに自警団を組織した。また兵役に関係ある内地人は予後備を問わず銃をとり、眉渓近い第一線に防禦陣を敷いた。また同じ線のところどころには鉄条網を敷設し、電力会社の迅速なる活動によって電流を通じた。町民は戦慄し、兇蕃を憎悪する感情は渦のように町全体を覆っていたのである。

台中を出発した軍隊及び警察隊の一行は、殆んど抵抗らしいものを受けることなしに、翌日二十八日に霧社を占領することができた。直ちに厳戒の任に就くとともに、難民の発見につとめ、屍体八十六個、負傷者三百八名を収容した。軍はこの日更らに台北から一個中隊を、つづいて翌二十九日に屏東飛行連隊から偵察機、戦闘機数機を出動させた。

一方、霧社を追われた兇蕃中の約百名は列を乱して能高方面に退却したが、モーナルーダオの指揮によって、東方ホウゴウ社付近に集結・潜伏した。しかもなお、霧社奪還の機を窺って、しばしば逆襲してくる。山腹の急斜面と、暗夜とを巧みに利用してくるために、守備隊は戦意思うにまかせず、大に悩まされるのである。

この間、台中法院より竹井検察官が埔里に急行し、蕃人使嗾の嫌疑ある本島人被疑者を片はしから検挙した。また、討伐隊は付近の蕃社を懐柔し、その動揺をおさえるとともに、進んで味方の勢力に加盟させるように努めた。このことは著々と成功して行った。

翌三十日朝、霧社駐在隊は兇蕃をマヘボ、ボアルンの奥地に逼塞させるために、能高越え、ビヤナン越え方面の討伐隊と連絡をとりながら前進した。

一方、マヘボ社、及びボアルン社に集結した兇蕃たちはモーナルーダオ、タダオノウカンを中心に対策を練った。討伐隊を迎えて決戦を試みることに、評議はたちまち一決した。老人も若者も眉の間には決死の色が現れており、ある者は銃をみがき、ある者は刀をといだ。

この悲愴な決意を聞くと、蕃婦たちもまた自分たちの身の処置に就て相談し合った。結果は夫や兄弟あるいは愛児の首途を激励するために、一同うちそろって付近の山林で縊死することになった。マヘボ社蕃婦の全部、及びボアルン社蕃婦の一部がこれに参加した。

蕃婦たちが揃って自害したことは、敵地に偵察に赴いた味方蕃タウツア社蕃人がもたらした報告によって、討伐隊にもわかった。討伐隊はその壮絶な風景を思い浮かべて感動するとともに、敵方の決意が容易でないことを知ったのである。

歩兵部隊を第一線に、警察隊の協力をもって、いよいよ総攻撃を決行する日、三十一日。この日は朝来より氷雨降りそぼち、遠い峰々は黒い、重い山雲のなかにまったく姿を隠していた。僅かに近い山々が煙ったような水蒸気のなかに呆んやりと姿を現わしているのにすぎない。午前八時四十五分、先ず山砲の射撃は始った。また、歩兵部隊の一部は退路を塞ぐために、鉄線橋(架り橋)を切断した。砲声は秋雨をついて山地一帯にとどろきわたり、ロードフ、ホウゴウ、スーク、マヘボ、タイザン、カウツク等の蕃社は相ついで火災を起し、高地一帯凄愴の気に充ち満ちた。この日の午後台湾軍司令官と、水越台中州知事とは埔里で会見、事件の速かなる終結を目ざして協議するところがあった。

一方、爆弾と砲弾とに脅やかされ、歩兵と警察隊の進撃に追われる兇蕃の側では、遂いに蕃社を保ち得ないことを悟った。首領モーナルーダオは残りの手兵約六十の壮丁をとりまとめ、マヘボ付近の山林中に在る大岩窟の中へと退いた。また生き残ったボアルン社の蕃婦や子供たちは、秋の取り入れや、霧社での掠奪品を持てるだけ持って付近の山林中に逃げこんだ。

兇蕃の新しい要塞ともなった岩窟は、天然の要害を形づくっていた。また戦いに備えてひと月も前から、密かに兵器、弾薬、食料などがためこんである。討伐隊の攻略も容易ではないのである。戦いは勢い持久戦に入らざるを得なかった。

山地は急速に寒気を増してき、討伐隊には凍傷者が続出してきた。辺りの峰々は白雪をいただき、暦は十二月に入っていた。

冷たい峰の嵐がふきまくるなかに小規模な、しかし激しい白兵戦はくり返され、討伐隊が一つの高地を占領すれば、直後直ちに兇蕃は嶮しい断崖をよじのぼり、手に手に蕃刀をふりかぶって逆襲してくる。偵察、連絡等のために討伐隊が小人数で出動すると、兇蕃の弾が必ずどこからともなく飛来してくる。討伐隊の被害総数も少くなかったが、しかし、既に敵蕃の死傷は百五十名に達していた。しかも、山林が美しい紅葉の色に彩られた頃には、弾薬、食料も次第に欠乏してきた。戦争の継続は次第に困難になってくるのである。

いったいマヘボというのは祖先の地という意味である。兇蕃たちはその地を去り難く思い、始めはマヘボ、タロワンの両渓谷を死守するつもりであった。しかし、戦争の困難が増大したために、彼らも遂いに退いて、更らに奥地に拠らなければならないことを悟った。間もなく、万大渓谷を彼等は最後の地に選ぶことを決意した。しかし、背後より迫ってきた部隊に退路を要撃されることによって、その逃亡は絶望となった。既に十二月に入って旬日が過ぎていたのである。

Chapter 6 of 7
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