Chapter 4 of 4
四 公明正大の死
私は、ソクラテスの最も偉大なる点を以て、彼の悲劇なる死際の公明正大なのに持って行きたいと思う。ソクラテスの死は、真に死を見ること帰するが如しであった。彼が罪なくて牢獄の人となった時には勿論人を恨まなかった、弟子などが集って来て、頻りに弁護せよ弁護せよと勧告するけれど断乎として肯わない。弟子どもは声を励まして、「先生が何の罪もなくして死なれるのが残念です」というと、ソクラテスは嫣然笑って、「さらば罪あって死ぬのは残念でないのか。死ぬる死なぬは畢竟第二義のことだ。心の鍛錬が第一義だ。」といって聞かした。そして誰も恨まず、天も地も怨みず、泰然自若として振りかかる運命を迎えたのである。
私は、平生自分に関した不愉快な世評を聞いたり、悪口などを耳にすると、この場合、ソクラテスであったら、どういう風に始末したろう、と考えてみる気になる。また、思う事がならず、失望落胆に沈んでいる時にも、もしこれがソクラテス翁さんであったら、この一刹那を如何に処するであろう、と振返って、静に焦立つ精神を鎮めてみると、ある雄々しい本然の心が腹の底から声を出すのである。同時に、不愉快な気分も、衰えた神経も、忽ちにして去ってしまう。
勿論、私はソクラテスの真似をするという訳ではないが、書斎には常にこのソクラテスと、リンコルンのバストを飾っておく。これなども、立派に修養の功を積んだ人々には、かかる必要は全くないであろうが、私の如き未練なものには、これが一番に強い刺戟になるのである。
〔一九一一年一月一日『中学世界』一四巻一号〕
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