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パルテノン
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パルテノン
野上豊一郎
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Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 2 of 5

二

想像の仕事は、まず全体の形を完成することだった。次に部分的に装飾を付加することだった。パルテノンの場合には、内部に本尊をも安置しなければならなかった。そうして最後には色彩を施すことだった。それには多くのギリシア学者の復原設計図を見た記憶が役立ったことは言うまでもない。

全体の構成を完成することはそれほど困難ではなかった。小さい平面的な写真から大きな立体的な実物を想像するのは厄介だけれども、此の場合は実物が壊れながらも目の前にあるのだから大きさのことは問題ではなく、ただ欠損した部分をつくろい、不足した部分を補えばよいのだった。パルテノンの大きさは長さ二二八呎・幅一〇一呎といわれるが、観点の位置によっては、長さは幅の二倍以上とは見えない。それを高さ三四呎のドリス式の円柱四十六本が取り囲んで、大きな屋根を支えていたわけである。柱列は東側と西側に八本ずつ、南側と北側に十七本ずつ、計算する時は四隅の柱は重複するので合計四十六本となるわけである。

各円柱の柱頭はがっちりした軒縁の巨石を支え、軒縁と比較的薄い軒蛇腹の間には、彫刻帯が幅広く取り捲いて、その上には世に隠れもないプイディアスの浮彫の傑作が展示されてあった。そのうち磨滅した部分は今もそのまま残っている。更にすばらしい浮彫の大作は東側と西側の正面の軒蛇腹を底辺とする横長い二等辺三角形の破風に見出された。

以上は殿堂の外側の構造で、内側にも東の端と西の端にそれぞれ六本ずつのドリス式円柱が並び、それを前後にして中に石壁で囲まれた内殿があった。内殿は二つに仕切られ、東側の三分の二はヘカトンペドス・ナオス(百歩殿)と呼ばれ、西側の三分の一はパルテノン(処女殿)と呼ばれた。東側の入口からはいると、まずプロナオス(前殿)があり、中央の鉄の格子扉の先がヘカトンペドス・ナオスで、名称は部屋の長さが歩測して百歩あったからである。これがアテナイ国家の神殿で、左右に九本ずつ、正面奥に三本のドリス式柱列があって、部屋を四つに区切り、中央が内陣、左右と奥が廻廊で、内陣の突きあたりにプイディアス作の本尊アテネ・パルテノスの巨像が立っていた。首と両腕は白象牙で、衣服は黄金で造られてあった。右手にニケ(勝利の女神)の像を載せ、左手には槍と楯を持っていた。楯の内側には大蛇が跼っていた。

次に西側の入口からはいると、東側のプロナオスと対応の位置にオピストドモスと呼ばれる前房があり、鉄の格子扉の先は、イオニア式の四本の円柱を持つパルテノン(処女殿)になっていた。これは奉納の神物を所蔵する場所で、礼拝の場所ではなかった。それにも拘らず、その部屋の名が殿堂その物の名として用いられるようになったのを以って見ると、処女神にとっては貴重な部屋だったのだろう。

ヘカトンペドス・ナオスと、その前房と、パルテノンとその前房と、以上四つの部屋は、結合した一つの神殿で、その外部の軒蛇腹の下には、此処にも四面とも、プイディアスの浮彫の絵巻物が展げられてあった。また、ヘカトンペドス・ナオスの外壁とパルテノンの外壁には大きな壁画が描かれてあった。

壁画はいうまでもなく、浮彫さえもすべて彩色されてあった。浮彫を持つ破風と彫刻帯の地色も彩色されてあった。軒蛇腹と軒縁も恐らく彩色されてあったのだろう。また軒縁には一つの柱頭の上ごとに二つずつの割合で黄金の大きな円盤が貼りつけられてあった。

それ等がすべて外側の四十六本の白大理石の円柱に支えられて、三段に畳み上げられた石のステュボラテス(平台)の上に載っかったところを、碧玉を溶かしたような南欧の空を背景にして眺めた景観はどんなに華麗なものであっただろう! 地盤を石灰岩から出来た海抜五一二呎のアクロポリスの岩山であり、前面の西方は谷を隔ててすぐ前にアレオパゴスの岡、少し離れてニュンプの岡、ムゼの山、プニュクスの岡と対し、その間から近くプレロンの入江を、遠くサラミスの海を望み、他の三方は脚下にアテナイの市街を拡げて、東北には遠くペンテリコスの山を、東南にはヒュメトスの連山を、西北にはアイガレオスの丘陵を望み、丘陵の彼方にはエレウシスの高原がつづいて、キタイロンとパルネスの俊峰がその先に立っている。それ等をすべて見はるかす形勝の地であるから、アクロポリスはアテナイにとって天下を支配すべき主神鎮護の霊地として尊ばれた。クセノプロスに依って伝えられたソクラテスの言葉に従えば、「殿堂と祭壇に最もふさわしい場所は、最も目立つ所であると共に、また最も登り難い所でもあるべきだ。何となれば、人がその方へ向って祈ることも望ましければ、近づくには心を浄くすることも望しいから。」

それこそパルテノンを戴くアクロポリスの山でなければならなかった。アクロポリスの山は、今もそうである如く、三面とも断崖で、わずかに西側の一方から険しい坂道と石段を拾って登れるだけだった。

アクロポリスはアテナイを支配し、またギリシア連邦を支配し、同時に世界を支配した。支配者はパルテノンの内殿の女神アテネだった。しかし、今は殿堂はがらんどうで、本尊もなければ、荘厳もなく、ただ欠け古びた円柱の駢列をみるのみである。幻想は蜃気楼の如く、出来上ったかと思うと、忽ち薄れて消えそうになる。けれども復原の影像は、一度組み立てられると、薄れながらもいつも二重映しに荒廃の現形をつくろい、その後は写真を見ただけでも紀元前五世紀の姿を想像させるように助けてくれる。これは全く現場を見たおかげだと私は思っている。

Chapter 2 of 5
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