一
江戸開府以来の捕物の名人と言われた銭形平次も、この時ほど腹を立てたことはないと言っております。
滅多に人間を縛らぬ平次が、歯噛みをして口惜しがったのですから、よくよくの事だったに相違ありません。
「親分、また神隠しにやられましたぜ」
ガラッ八の八五郎が飛込んで来たのは、初夏の陽が庇から落ちて、街中に金粉を撒いたような、静かな夕暮でした。
「今度は誰だ」
平次は瞑想から弾き上げられたように、火の消えた煙管をポンと叩きました。
「石原町の日傭取の娘お仙と駄菓子屋の女房のおまき、それから石原新町の鋳掛屋の娘おらく――」
「三人か」
「三人は三人でも、今度のは一粒選りだ。ピカピカ後光の射すのをさらわれて町内の若い者は気違いのようになっていますぜ。殺生な真似をする野郎じゃありませんか」
「野郎だか怪物だか見当が付かねえから弱っているのさ、とにかく行ってみよう」
平次は短い羽織を引掛けると、ガラッ八の八五郎を案内に、本所へ飛んで行きました。
神隠し騒動――と言われたこの事件は、平次捕物のうちでも極めて重要な事件で、詳しく書くと長大な一編の小説になりますが、要点だけをかい摘むとこうでした。
去年の暮頃から、御府内の美しい娘が、一人二人ずつ行方不明になります。
最初のうちは駆落が流行るとばかり思い込み、娘を失った親や、若い女房に逃げられた夫は、内々心当りを捜しておりましたが、何の手掛りもないばかりでなく、不思議なことに、行方不明になるのは女だけで、男の方には一人も間違いがありません。
年を越すと、その傾向はますます激しくなって、とうとう毎月三人四人と大量の行方知れずがあるようになりました。
若い美しい女ばかり、声も立てず、形も残さず、描いたものを拭き消すように行方知れずになるのですから、江戸中の不安は募るばかり、そのうち誰ともなく――神隠しだと言い始めると、この宿命的な妖神の悪戯に対して、町人達――わけても美しい娘や女房を持った人々は、本当に顫え上がってしまいました。
そんな馬鹿な事があるものか――と江戸の御用聞手先は、一斉に奮起しましたが、足跡一つ残さず、コトリと音も立てずに、若くて美しい娘達をさらって行く手際は、全く人間業とは思われません。
こうして銭形の平次が登場するまで、江戸の娘達が三十人も姿を隠したでしょう。
「親分、こいつは諦めものかも知れませんよ。銭形の親分に三月越し塩を舐めさせて、影法師も掴ませねえんだから」
ガラッ八は遠慮のないところをズケズケやります。
「…………」
「神隠しじゃ平次親分でも歯が立たねえ」
「馬鹿野郎、若い綺麗な娘ばかり隠すような神様があるものか」
「へッ」
「人間の仕事だよ、それもとんでもねえ悪党だ」
平次とガラッ八は、そんな事を言いながら、一応石原の利助を訪ね、利助の娘のお品と一緒に、改めてお仙とおまきとおらくの家へ行ってみました。
お仙の父親というのは、定まった職のない日傭取で、
「お仙の阿魔に男なんかあるものか、紅白粉はおろか、油一貝買ったことのねえ身の上だ――へッ」
打ちひしがれたようになりながらも、貧乏を売物にする日頃の癖をそのまま、こんな事を言っております。
「どうして姿を隠したんだ、詳しく話してくれまいか」
と平次。
「詳しいにもザツにも話しようがねえ、久し振りで湯に入りたいって言うから、湯銭だけ持たしてやると、フラリと出かけたっきり、今日で二日二た晩も帰らねえ。親分の前だが、そんな長い湯はどこの世界にあるんだ」
この期に臨んでも、自棄酒が手伝うせいもあるでしょうが、捨鉢な洒落を言っております。次の駄菓子屋は留守。――
最後に石原新町の鋳掛屋へ行ってみると、
「銭形の親分さんで。お願いでございます、娘を探し出して下さい。悪者は二階から押し込んで来やがって、娘をさらって行ってしまいましたよ、――男があるだろうっておっしゃるんですか、ジョ、冗談じゃありません、俺の娘と来た日にゃ町内でも評判の孝行者で――」
親父はおろおろしながらも、職人らしい威勢のいい事を言っております。
「親分、怪物は隣の天水桶を踏台にして、庇を渡って二階へ押し込んだんだね」
とガラッ八、天水桶の埃の上に印された足跡のようなものや、板庇に残る、破損の跡などを念入りに調べております。
「庇を渡ったのはよく解るが、外から雨戸を開けて入ったのは、どんな手品を使ったんだ」
と平次。
「すると――?」
「娘のおらくさんが自分で雨戸を開けて二階から出たんだよ」
「そんな事があるものですか親分、家の娘に限って――」
鋳掛屋の親父はやっきとなりますが、平次は一向気にも留めない様子で、家の造り、雨戸の具合などを念入りに見た上、大渋りの親父を説き落して、娘の持物から、貧しい着物まで一と通り眼を通しました。