Chapter 1 of 8

「親分、退屈だね」

「…………」

「目の覚めるような威勢のいい仕事はねえものかなア。この節のように、掻っ払いや小泥棒ばかり追っ掛け廻していた日にゃア腕が鈍って仕様がねえ」

ガラッ八の八五郎は、そんな事を言いながら、例の癖で自分の鼻ばかり気にしておりました。

「大層な事を言うぜ。八、先刻から見ていると、指を順々に鼻の穴へ突っ込んでいるようだが、拇指の番になったらどうするだろう、俺はハラハラしているぜ」

銭形平次は、早春の日向縁に寝転んだまま、こんな無駄を言っております。

「つまらねえ事を心配するんだね、親分」

「俺は苦労性さ、その指をどこで拭くか、そんなつまらねえ事まで心配しているんだよ。今晩あたりは、うけ合い、大きな鼻の穴の夢を見るよ。ウナされなきゃアいいが」

「天下泰平だなア」

「だがな八、今に面白い仕事が舞い込んで来るよ、――退屈なんてえのは、鼻の穴のでっかい人間とは縁がない代物だよ」

「へッ、いやに鼻に祟られる日だぜ」

「怒るなよ、八、仕事が舞込みかけていることだけは本当なんだ、――聞えるだろう、あの足音が――」

「なるほどね、路地の中だ」

「そんな恰好で耳を澄すのは按摩と八五郎ばかりさ、鼻の穴で物音を聞いているようだぜ」

「また鼻かい、親分」

「怒るなよ。八、お前の鼻がよく利くから、俺の仕事が運ぶんだ、平次の手柄の半分は、言わば八五郎の鼻の御蔭さ。今度お目にかかったら、笹野の旦那に申上げておこう」

「冗談じゃねえ」

「ところで、あの足音だ、――後金の緩んだ雪駄を引摺り加減に歩くところは、女や武家や職人じゃねえ、落魄れた能役者でなきゃアまず思案に余ったお店者だ」

「…………」

縁側に寝そべって、路地の外の人間を透視する平次の話を、八五郎は小鼻を膨らませて聴き入りました。

「先刻から格子を開けかけて、三度も引返しているよ。大の男があれほど迷うのは、よくよくの事があるんだね」

「行ってみましょうか、親分、――文句を言ったら、力ずくで引張り込む」

「そんな事をしちゃブチ壊しだ。そうでなくてさえ、迷い抜いているんだ。うっかり声を掛けると、逃げ出さないまでも、用心深くなって、田螺みたいに口を緘むに決っている、――知らん顔をしているんだ」

「…………」

「それ格子を開けたろう、お静が出て行った様子だ。放っておけ放っておけ、――精一杯知らん顔をして、お前さんの話なんか、少しも聞きたくない、って顔をするんだよ、解ったか、出しゃ張ッちゃならねえ」

平次の言葉の終らぬうちに、お静は一人の男を案内して来ました。

「親分さん――始めてお目にかかります、私は――」

お店者風の四十男、渋い好みですが、手堅いうちにも贅があって、後金の緩んだ雪駄を履く人柄とは見えません。

「まア、いい、番頭さん、お急ぎの用事でなきゃア、一服やってからお話を伺いましょう、ここは陽が入ってとんだ暖かだから」

「ヘエ、――有難うございます、そう呑気にしてもいられません」

「まアいいだろう、あっしは岡っ引には相違ないが、こんな好い心持の日は、仕事の話を聞くのは大嫌いさ。ウツラウツラしながら、三度の飯を待つなんざ、洒落たものさね。この男は八五郎といって、家に居る下っ引だ、遠慮なんか要るものか、朝から鼻ばかり掘っているんで、遠慮の方で驚いて逃出したってね」

「有難うございます、親分さん、何を隠しましょう、私は日本橋通三丁目越前屋総七の番頭徳三郎と申すもので――」

「…………」

平次とガラッ八は、それとなく顔を見合せました。越前屋というのは日本橋きっての大きな金物問屋で、江戸分限番付の前頭筆頭に上がる家柄、先代の総七は三年前に死んで、今は手代上がりの養子総七の代になっていることは、岡っ引ならずともよく知っていることです。

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