一
江戸の大通、札差百九人衆の筆頭に据えられる大町人、平右衛門町の伊勢屋新六が、本所竪川筋の置材木の上から、百両もする金銀象眼の竿を垂れているところを、河童に引込まれて死んだという騒ぎです。
その噂を載せて、ガラッ八の八五郎は疾風のごとく銭形平次のところへ飛込んで来ました。
「た、大変ッ」
「何だ、八。帯が半分解けているじゃないか、煙草入をどこへ振り落したんだ」
「それどころじゃねえ、親分。万両長者が土左衛門になったんだ――あ、水が欲しい」
「瓶の中へ首でも突っ込んで、土左衛門になるほど呑むがいい。空っ尻の土左衛門の方が話の種になるぜ」
平次は驚きもしません。ガラッ八奴何を面喰らって飛込んできやがった――といった顔です。
「死んだのは平右衛門町の伊勢屋新六ですぜ、親分」
「金持が土左衛門になったところで、十手捕縄を持出すには及ぶめえ」
「それが、竪川で釣をしているうちに、河童に引込まれたんで――」
「まさか、河童を縛れというわけじゃあるまいね。河童や狸の退治なら御用聞を頼むより、武者修業か何かに頼む方が筋になるぜ」
もう戌刻(八時)にも近かったでしょう。平次は遅い晩飯を済まして、良い月を眺めながら、ぼつぼつ寝支度に取りかかろうという時、あわて者のガラッ八に飛込まれて、御機嫌はなはだ斜めです。
「じれったいね、親分」
「俺もじれったいよ。そこで首を振っていられちゃ、せっかくの良いお月様が拝めなくなる」
「それどころじゃねえ、――お月様は明日の晩も出るが、伊勢屋新六を突き殺した野郎は、明日になれば、涼しい顔をしてお月様か何か見ていますぜ」
「何? 伊勢屋新六を突き殺した? 河童がかい?」
「河童なら尻小玉を抜くのが商法でしょう。突っ殺すという術は怪物にはないはずじゃありませんか、ね親分」
「――商法は変な言い草だが、突き殺したのが本当なら、髷を結った河童だろう。そいつはいつのことだ」
銭形平次も漸く本気になります。
「酉刻(六時)頃ぎりぎり、金龍山の鐘が陰に籠ってボーンと鳴るのと、伊勢屋新六がドボンとやらかしたのと一緒だ」
「フーム」
「石原の兄哥(利助)のところで油を売ってると、竪川からその知らせだ。お品さんは家中の若い者を一人残らず現場へ出して、そっとあっしに言うことには――これは容易ならぬことになるかも知れない。子分達だけでは心細いから、すぐ銭形の親分のところへ飛んで行って下さい。お願いをしても聞いて下さらなかったら、首へ縄を付けても引張って来ておくれ――と」
「お品さんが――首へ縄を付けて――とは言うまい」
「それは物の譬で」
「つまらねえ作なんか抜きにして――それっきりか」
と平次。
「それっきりだが、石原の利助兄哥は中気で、動きが取れねえ。お品さん一人で気を揉んでいるが、札差の伊勢屋新六が殺されたとあっちゃ、八丁堀の旦那衆も放っておきなさるめえ。行ってやって下さいよ、親分」
ガラッ八の八五郎は、思いの外の親切者でした。利助の娘のお品が、女だてらに、親父の縄張を守っている苦心を思うと、本当に平次の首根っこへ、縄を付けても引張り出したい心持でしょう。
平次は黙って考え込みました。ガラッ八に口説かれるまでもなく、お品を助けてやるに異論はありませんが、今から竪川の現場へ行ったのでは、どんなに急いでも亥刻(十時)近くなるでしょう。その前に何かする事はないものか、そんな事を思い廻らしているのでした。
「八」
「ヘエ――」
「手前、足は早いな」
「馬ほどじゃありませんが、人間並みには駆けますよ」
「竪川の材木置場まで、四半刻(三十分)ではどうだ」
「四つん這いになって行くんですかい、親分」
「馬鹿なことを言やがれ」
「四半刻ありゃ、亀戸の天神様へ行って有難いお札を頂いて帰って来ますよ」
「それじゃ大急ぎで飛んで行って、掛り合いの者を一人残らず集めておいてくれ。どこかへ纏めて、一人も外へ出しちゃならねえ」
「そんな事ならわけはありません」
「待て待て、糸目の切れた凧みたいな野郎だ」
「まだ話があるんで?」
「釣場の材木に血が付いているなら、洗っちゃならねえ。血がなかったら、――こうと、伊勢屋新六の供の者や近所にいた者の髪を見るがいい。男でも女でも構わねえ、髷の中が湿っているか、元結が濡れている者があったら、その場で縛り上げるんだ、解ったか」
平次の命令は細々と行届きます。
「大解りだ、親分は?」
「後からそろりそろりと行く」
「それじゃ」
ガラッ八の八五郎は、飛びました。身上も軽く気も軽い男です。強健な三歳駒のように本所へ――。