Chapter 1 of 9

「平次、狸穴まで行つて見ないか、竹光で武家が一人殺されたんだが――」

與力笹野新三郎は、丁度八丁堀組屋敷に來合せた、錢形平次を誘ひました。

「旦那が御出役で?」

「さうだよ。浪人者には違ひないが、土地では評判の良い人物だ。放つても置けまい」

八丁堀の與力が出役するのは、餘程の大捕物で、いづれは殺された武家の舊藩關係に、厄介なことでもあるのでせう。

「お供いたします。丁度、八五郎も參つて居りますから」

「さうしてくれると都合が宜い」

笹野新三郎は、錢形平次を信頼し切つて居ります。土地の御用聞は、うるさい繩張のことを言ひ出しさうですが、與力のお聲掛りで行く分には、文句の言ひやうはありません。

櫻は八重、日和も陽氣も、申分のない春でした。竹光で武家が殺されたといふ、煽情的な事件がなくとも、若くてハチ切れさうな平次は、江戸中を一廻りしたいやうな心持になつて居たのです。

「やつとうの方はいけたんでせうね、その浪人者は?」

平次は道々も竹光の事が氣になつてなりません。

「微塵流の遣ひ手で、さる大藩の指南番までした人物ださうだ」

「それが、竹箆で殺られたんですか」

「變つて居るだらう」

そんな事を言ひ乍ら、三人は芝山内から麻布狸穴へ、ゆら/\ゆらぐ、街の陽炎を泳ぐやうに辿つて居たのです。

狸穴に着いたのは晝少し過ぎ、この邊は山の手の盛り場で商ひ家も多く、手輕な見世物や、茶屋、楊弓場などのあつた時代ですが、一歩裏通りに入ると、藁葺のしもた家が軒を竝べ、安御家人や、浪人暮しなどの人が、さゝやかな畑を拵へて、胡瓜や南瓜を育てゝゐると言つた、一種變つた風物が特色でもあつたのです。

「お待ち申して居りました、旦那」

狸穴のとある家、生垣の前に、土地の岡つ引が待つて居りました。狸穴に縁を持たせて鼓の源吉といふポンポンした四十男。

「鼓の親分、私も目學問をさして貰ひますよ」

平次はへり下だつて肩の手拭を取りました。

「宜いとも、錢形の兄哥が來てくれると、俺も心強いといふものだ」

あつさりした口はきゝますが、何か腹の底に蟠りがないではありません。

「死骸は?」

と笹野新三郎。何處からともなく散り殘る花瓣が飛んで來て、陰慘な空氣などは感じられませんが、建物に添つて右に曲ると、風の吹廻しか、線香の匂ひがプーンと來て、さすがに職業的な緊張を覺えさせます。

「今朝死骸を見付けたのは、此處でございました」

源吉は狹い庭の沓脱の上を指しました。一抱へほどの自然石の上は、春の陽に乾いて血潮がベツトリ、もう玉蟲色に光つてゐるのも不氣味です。

「誰が見付けたんだ」

「私で――」

何時の間にやら、新三郎の後、平次の横手に立つてゐたのは、二十七八の小氣のきいた渡り中間風の男です。

「お前は?」

新三郎の眼は少し嚴しく動いて、この男の全部を一瞬に讀まうとしました。

「奉公人でございます。藤助と申しまして、へエ――」

「――」

「二十七でございます。生れは下谷で、へエ――」

訊きもしない事まで、よくペラペラと饒舌る男です。

「下谷は何處だ」

平次は此男に好奇心を持つ樣子で、横から口を出しました。

「二長町の五兵衞店で生れました。町内で訊いて下されば、まだ知つてる者がありませう」

藤助は一向物にこだはりません。

Chapter 1 of 9