一
その日、三河屋に集まった客は四人、将棋にも碁にも飽きて、夕刻からは埒もない雑談に花が咲きました。
「内証事は隠しおおせるものじゃない。不思議なことに、他から漏れずに、本人の口から知れるものさ」
そう言ったのは隣の乾物屋、伊勢屋玉吉という四十男でした。
「いや、それは性根が定まらない人間のことだ。少し心掛けのある人間なら、口外すまいと思い定めたことは、骨が舎利になっても、人に漏らす気遣いはない」
手習師匠の光川左門太は、頑固らしく首を振ります。三十五六の浪人者です。
「御武家方のことは知らないが、手前ども町人はまず駄目だね。人に知れては悪いに決っている内証の情事までも、誰も知ってくれないと心細いから、ツイ匂わしてみたくなる奴さ」
こういう佐野屋九助は、わけ知りらしい五十代の男でした。
「――少し名の立つも嬉しい若盛り――か。うまい事を言ったものさね、ハッハッハッハッ」
主人の三河屋甚兵衛はカラカラと笑います。月に三度、三河屋の隠居所に集まる町内の閑人達は、勝負事と、無駄話と下手な雑俳に興じて、こう一日を暮すのでした。
「拙者も武士の端くれだが、全く人間は一生隠し事は出来ないものだ、――拙者にもたった一つ、人に話してはならない隠し事があるが、三十年来その隠し事にさいなまれて、安き心もない有様だ。今晩は昵懇の顔触れだから、一番その命がけの隠し事を打ち明けて、三十年来の重荷をおろすとしましょうか」
こう言い出したのは、町内の裕福な浪人者藤枝蔵人という六十近い老人でした。
「そいつは是非承りましょう。藤枝様は、さぞ若い時罪をお作りになったことでしょう、――意気な隠し事などを背負って万一のことがあっては、浮ばれませんよ」
伊勢屋玉吉は、日頃藤枝蔵人に資本を融通して貰う関係があるので、本人は意識しないにしても、何となく御機嫌を取結ぶという調子がありました。
「こいつ、うっかり話も出来ないが、もう三十年も前の事だし、私も捨てても惜しいほどの命でもないから、今晩は思い切って話しましょう。――何を隠そう、この藤枝蔵人は、実は敵持なのですよ」
「ヘエ――」
敵討という言葉が、その頃どんなに刺戟的に響いたことか、人を害めれば戦場で起った殺傷でない限り、必ず敵討に狙われ、一生危険にさらされ通しの自分の生命を感じなければならない時代だったのです。
「ここにいられる四人だけなら大事ないが――誰も聞いちゃいないでしょうな」
藤枝蔵人はさすがに四方を見廻しました。
「誰もこの離屋には来ないことになっていますよ、母屋の方では、ちょうど晩飯の真っ最中のようだし、――おや、そこにいるのは誰だい」
フト人の気配に気が付いたらしく、主人の甚兵衛は隣の四畳半を覗きました。
「私ですよ」
お茶の仕度をしていたのは、甚兵衛の末の娘のお村、これはまだ十九になったばかり、敵討とは縁の遠い、下町娘らしい利発者でした。
「お茶は後でもよい、少し遠慮をしてくれ」
「ハイハイ」
お村は年寄りどもの物好きに少し呆れたらしく、二つ返事で母屋の方へ引揚げます。
「さア、承りましょうか。鼠の外には、誰も聞いてる者はありません」
甚兵衛は少しおどけた調子で話の先を促しました。
「そう改まると少し極りが悪いが、何を隠しましょう、私の本国は播州姫路、酒井様に仕えて、世にある時は百五十石を食みましたが、――今からちょうど三十一年前、女のことから朋輩の成滝近江と争い、果し合いの末討ち取ってその場から逐電、江戸に潜り込んで、とうとうこの年まで無事に過してしまいました。一緒に姫路から逃出した女というのは、打ちあけて申せば三年前に死んだ女房でござるよ。いやはや若い時というものは、無法なことをするものでな」
藤枝蔵人は、そう言いおわってニヤリニヤリと笑うのでした。
「それはとんだ御馳走様で、――懺悔だか惚気だか判りませんね」
佐野屋九助は合槌を打ちます。
「討たれた人には、妻子も身寄りもなかったのでしょうか」
主人の甚兵衛はそんな事が心配になる性分でした。
「私と女一人を争ったくらいだから、女房や子のあるはずはない――が」
「なるほどね」
「でも親類縁者がある。今日名乗って来るか、明日は出会い、敵を討たれるかと、全く生きた心地もなかったが、――それもしかし当座のうちで、五年と経ち、十年と経ち、二十年、三十年と経つと、敵討の心配は段々なくなって、今度は、胸一つにこの秘密を畳んでおくのが、三十年越しの溜飲に悩まされるようで、どうにもたまらない重荷でしたよ」
「いかにも」
「人間はやはり、内証事というものを胸一つに畳んで保てないように出来ているのでしょう。――今晩という今晩、三十一年目で打ち明けて、肩から千貫の重荷が取れたような気がします。いやはや」
藤枝蔵人はそんな事を言って、自分の肩をトントンと叩いて見せるのでした。
「今頃になって、ヒョイと敵討が現れ、正面から名乗って出たとしたら、どうする心算です? 藤枝さん」
甚兵衛はハチ切れそうな好奇心の持主です。
「私も取って六十一だ、命の惜しい年ではない、――敵が名乗って出て来れば、喜んで討たれますよ。もっとも、今まで討手の現れないところをみると、まずその心配もありますまい。少しばかりの貯えを廻して三十年の間安穏に暮し、主取りをする気もなく、江戸の下町に住んだのが、私の仕合せだったかも知れません」
藤枝蔵人老人は、そんな行届いたことまで言って退けて、武士気質を半分ほどは銷磨してしまったらしい月代を撫で上げるのです。
「そこは大江戸の有難さで、ここに小さくなって住んでいる分には、八幡知らずの中にいるようなものでしょうよ」
三人の町人達は、声を合せて面白そうに笑うのでした。浅草の阿部川町――この辺は全く、敵持などの住みそうな場所ではなかったのです。
その御方便な話を、苦々しく聞いているのは、さすがに、まだ両刀を離さぬ、手習師匠の光川左門太だけでした。