一
「親分の前だが、この頃のように暇じゃやりきれないね、ア、ア、ア、ア」
ガラッ八の八五郎は思わず大きな欠伸をしましたが、親分の平次が睨んでいるのを見ると、あわてて欠伸の尻尾に節をつけたものです。
「馬鹿野郎、欠伸に節をつけたって、三味線には乗らないよ」
「三味線には乗らないが、その代り法螺の貝に乗る」
「呆れた野郎だ、山伏の祈祷をめりやすと間違えてやがる」
平次は大きな舌打をしましたが、小言ほど顔が苦りきってはおりません。
「全く退屈じゃありませんか、ね親分。こんな古渡りの退屈を喰っちゃ、御用聞は腕が鈍るばかりだ。なんかこう胸へドキンと来るような事はないものでしょうか」
「御用聞が暇で困るのは、世の中が無事な証拠さ。それほど退屈なら、跣足で庭へ降りて、水でも汲むがいい、土が冷えていてとんだ佳い心持だぜ」
銭形平次は相変らず、世話甲斐のない、植木の世話に余念もなかったのです。――秋の陽は向うの屋根に落ちかけて、赤蜻蛉がわずかばかり見える空を、スイスイと飛び交わす時分、女房のお静はもう晩飯の仕度に取りかかった様子で、姐さん被りにした白い手拭が、お勝手から井戸端の間を、心せわしく往復している様子です。
「せっかくのお言葉だが、あっしが世話をすると、植木がみんな枯れっちまいますよ」
ガラッ八は良心に愧じる様子もなく、つづけざまにお先煙草をくゆらして、貧乏ゆるぎをする風もありません。
「いい心掛けだ。――その気だからだんだん縁遠くなる」
「へッ、――縁遠くなる――と来たね。驚いたね、どうも」
八五郎はニヤリニヤリと顎を撫でております。
「先刻から、退屈を売物にしているようだが、いったい何か言いたい事でもあるのかい。物に遠慮のある性質でもあるめえ。用事があるなら、さっさと言ってしまったらどうだ」
「えらいッ、さすがは銭形の親分。天地見通しだ」
「馬鹿だなア」
「ね、親分、聞いたでしょう。麹町六丁目の娘殺し」
「聴いたよ。桜屋の評判娘がゆうべ人手に掛って死んだってね。――けさ八丁堀の組屋敷へ行くとその噂で持ちきりだ」
「虐たらしい殺しでしたよ。どんな怨みがあるか知らないが、十九になったばかりの小町娘――上新粉で拵えて色を差したような娘を、鉈や鉞で殺していいものか悪いものか――」
「待ちなよ八。口惜しがるのはお前の勝手だが、煙管の雁首で万年青の鉢を引っ叩かれちゃ、万年青も煙管も台なしだ」
「だって口惜しいじゃありませんか、親分。若くて綺麗な娘は、天からの授かりものだ。それを腐った西瓜のように叩き割られちゃ――」
「解ったよ八、殺した野郎が重々悪いに異存はないが、俺を引っ張り出そうたって、そいつはいけねえよ。あの辺は十三丁目の重三の縄張だ、勝手に飛び込んで掻き廻しちゃ悪い」
平次は大きく手を振りました。そうでなくてさえ、この二三年江戸の捕物は銭形平次一人手柄で、いい加減御用聞仲間の嫉視を買い、面と向ってイヤな事を言う者さえあったのです。
「そんな事を言ったって親分。十三丁目の重三親分じゃ、コネ廻しているだけで、いつまで経っても目鼻がつきませんよ」
「黙らないか八、そういう手前だって、あんまり目鼻のついた例はあるめえ」
「ヘエ――」
「若い娘が殺されると、眼の色を変えて飛び出しやがる。少しはたしなむがいい」
平次はツイ小言になりました。が、幾つも年の違わない八五郎に、意見めかしい事を言うのは、自分ながら可笑しくてたまらなかったのでしょう。
「まア、そういったものさ。ハッハッハッ」
腰を伸してカラカラと笑うのです。
その時、
「お前さん、お手紙が来ましたよ」
お静は姐さん被りの手拭を脱って、濡れた手を拭き拭き一本の手紙を持って来ました。
黙って受取って、ザッと目を通した平次、
「持って来た人は?」
調子がひどく緊張しております。
「お返事は要らないそうです――って帰ってしまいました」
「どんな様子をしていた」
「子供ですよ、十二三の」
「八」
平次が声を掛けるまでもありません。八五郎はもうハネ飛ばされたように路地へ飛び出しておりました。
それからほんの煙草二三服。
「あ、驚いた」
八五郎はがっかりした様子で帰って来たのです。
「首尾よく取逃がしたろう」
と平次。
「逃がしゃしませんが、手紙の作者は小僧じゃありませんぜ」
「当り前だ、手紙を書いたのはお狩場の四郎という、日本一と言われた大泥棒だ」
「えッ、そうと知っていたら、もう少し責めようがあったのに、――そのお狩場の四郎が、親分へどんな事を言って来たんで?」
ガラッ八の八五郎は少しあわてました。二三年前江戸で鳴らしたお狩場の四郎。それは、一度銭形平次に挙げられて、処刑にあがるばかりになったのを、縄抜けをして、それっきり行方知れずになっている、名代の悪者だったのです。
「お前の話を聴いているんじゃないか。それから小僧はどうした」
「路地の外でマゴマゴしているのを捕まえて、二つ三つ小突き廻すと、わけもなく白状しましたよ――どこかの知らない小父さんに、四文銭を三枚貰って、銭形の親分のところへ手紙を届けたが、あとは何にも知らねえ、ワ――」
「何んだいそのワ――てえのは?」
「いきなり泣き出した声色で」
「合の手が多すぎるよ。それからどうした」
「手紙を頼んだ野郎の人相身扮を訊いたが、まるっきり見当が付かねえ――年は二十から六十の間、確かに眼が二つあって、口が一つあって、着物を着ていたに違えねえ――というだけの事だ」
「仕様がねえなア、それっきり小僧を逃がしてやったのか」
「大丈夫、その辺に抜け目のある八五郎じゃねえ。ちゃんと糸目をつけて飛ばしてありますよ。小僧は町内の鋳掛屋の倅巳之松、とって十三だが、智恵の方は六つか七つだ」
「そう解ったら、なんだってつれて来なかったんだ」
平次はしかしそれ以上追及する様子もなく、小僧が持って来た手紙にもういちど見入っております。