一
「親分、ちと出かけちやどうです。花は盛りだし、天氣はよし」
「その上、金がありや申分はないがね」
誘ひに來たガラツ八の八五郎をからかひ乍ら相變らず植木の新芽をいつくしむ錢形の平次だつたのです。
「實はね、親分。巣鴨の大百姓で、高利の金まで貸し、萬兩分限と言はれた井筒屋重兵衞が十日前に死んだんだが、葬ひ萬端濟んだ後で、その死に樣が怪しいから、再度のお調べが願ひ度いと、執拗く投げ文のあるのを御存じですかい」
八五郎は妙な方へ話を持つて行きました。
「知つてるよ、それで巣鴨へ花見に行かうといふんだらう。向島か飛島山なら花見も洒落てゐるが、巣鴨の田圃で蓮華草を摘むなんざ、こちとらの柄にないぜ、八」
「交ぜつ返しちやいけません。花見は追つて懷ろ加減のいゝ時として、兎も角巣鴨へ行つて見ようぢやありませんか。井筒屋重兵衞の死にやうが、あんまり變つてゐるから、こいつは唯事ぢやありませんよ、親分」
「大丈夫か、八。此間も大久保まで一日がかりで行つて、狐憑きに馬鹿にされて歸つたぢやないか」
鼻の良い八五郎は、江戸中の噂の種の中から、いろ/\の事件を嗅ぎ出して來ては、錢形平次の活動の舞臺を作つてくれるのでした。
その中には隨分見當外れの馬鹿な事件もありますが、十に一つ、どうかすると、三つに一つ位、面白い事件がないでもありません。
「今度のは大丈夫ですよ」
平次は到頭神輿をあげました。神田から巣鴨まで、決して近い道ではありませんが、道々ガラツ八の話は、平次の退屈病を吹き飛ばしてくれます。
「金が出來て暇で/\仕樣がなくなると、人間はろくでもない事を考へるんですね」
ガラツ八の話はそんな調子で始まりました。
「お前なら差向き食物の事を考へるだらうよ。大福餅の荒れ食ひなんか人聞きが惡いから、金が出來ても、あれだけは止すが宜いぜ、八」
「井筒屋重兵衞は疝癪で溜飮持だ。氣の毒だが金に不自由はなくなつても大福餅には縁がありませんよ。――淺ましいことに重兵衞は骨董に凝り始めた」
「へエー、そいつが大福餅の暴れ食ひよりも淺ましいのか」
「貧乏人から絞つた金で、書畫骨董――わけてもお茶道具に凝り始めるなんざ、良い量見ぢやありませんよ」
「それがどうしたといふのだ」
平次は次を促しました。ガラツ八の哲學に取り合つてゐると、巣鴨まで辿り着くうちに、話の底が乾きさうもありません。
「百兩の茶碗、五十兩の茶入。こいつは何んとか言ふ坊さんがのたくらせた蚯蚓で、こいつは天竺から渡つた水差しだと、獨りで悦に入つて居るうちはよかつたが、――人の怨みは怖いね、親分」
「茶碗が化けて出たのか」
「その百兩の茶碗、五十兩の茶入といふエテ物を、片つ端から叩き壞した奴があるんですよ」
ガラツ八の話は飛躍的でした。事件があまりに常識をカケ離れてゐるせゐです。
「そいつは何んのお禁呪だ」
「盜むとか、賣るとか、質に入れるなら解つてゐるが、由緒因縁のある千兩道具を、三文瀬戸物のやうに叩き割る奴が出て來た事には井筒重兵衞も膽を潰しましたよ。――最初は何んとかの水差で、次は肴屋とか、豆腐屋の茶碗」
「斗々屋の茶碗だらう」
「それから肘突の茶入」
「肩衝の茶入だよ」
「一々覺えちや居ませんがね。――その次は何んとかの色紙で」
「一つも覺えちやゐないぢやないか」
「兎に角、茶碗も茶入も、燒繼ぎも繕ひも出來ない程滅茶々々に叩き割るんださうですよ。ところが、井筒屋重兵衞一應驚くには驚いたが、さすがに大金持だ、あまり惜しさうな顏もせず、番頭の銀次が口をすつぱくしてすゝめても曲者を探さうともしない」
「そんな品は庭や畑に並べて置くものぢやあるまい。いづれ土藏とか納戸とか、外からは手の屆かないところにしまつて置くだらう。曲者は家の内の者に決つて居るぢやないか」
平次は事もなげです。
「それが不思議で、家の中には、どう考へてもそんな無法な事をする奴は居ない」
「當り前だ、俺がやりましたと言つた顏をする奴があつたら、直ぐ判るぢやないか」
「尤も、怪しい人間は三人ある。一人は主人重兵衞の後添で、お倉といふ女、――重兵衞の娘みたいな若作りだが、四十を越してゐるかも知れません。平常から重兵衞が骨董に凝つて、折角若作りで綺麗がつてゐる自分をチヤホヤしてくれないのが不足でたまらないさうで、隨分豆腐屋の茶碗位は打ちこはし兼ねない女ですよ」
「それから」
「もう一人は二番目息子の房松。こいつは骨董と商賣が大嫌ひで、朝から晩まで野良にばかり居る。百姓といつても巣鴨一番の金持だから、伜の房松は一生長い着物を着て暮せるわけだが、この男は口無調法で人附きあひが嫌ひで、親父の重兵衞にねだつて少しばかりの畑を自由にさして貰ひ、其處に大根や芋や草花などを作つて、毎日眞つ黒になつて働いてゐる變り者ですよ。この男は一國で剛情だから、隨分肘突きの茶入位は打ち割り兼ねないかも知れません。書畫や茶道具に凝る親父を一番苦々しいと思つて居るのは此男で」
「それから」
「もう一人は下女のお辰。――良い年増ですよ。――この女は道具屋の娘で、親父の仁兵衞は僞物の道具を扱つてお手當になり、母親はそれを苦に病んで死んだ後、井筒屋に引取られて下女代りに働いて居るんださうで、骨董は親の敵見たいなもので」
「成程な」
「道具が次々と打ちこはされて、井筒屋重兵衞すつかり腐つてゐると、今から丁度十日前、當の重兵衞がポツクリ死んでしまひました。『醫者は卒中だといふが、卒中で死んだ者の身體が斑になる筈はない――』といふのが投げ文の文句ですよ。『怪しいのはそれを默つて引取つた西海寺だ、再度のお調べを願ひ度い――』と、手嚴しいぢやありませんか」
「字は男の手か、女の手か」
「雌雄も解らない程の下手つ糞な筆蹟ですよ」
「手を變へて書いたんだらう。――ところで主人が死んだ後でも、道具のこはしが續いて居るのか」
「ピツタリと止んださうですよ、皮肉な野郎だ」
「フム、一向つまらない事かも知れないが、蓮華草を摘む氣で行つて見るか」
「何彼といふうちに、巣鴨ですね、親分」
「四方が少し騷がしいやうだな、又何にか始まつたかな」
「おや、庚申塚の泰道が飛んで行きますよ」
田圃道を飛んで行く坊主頭を、八五郎は指しました。それは全く唯事ではありません。