一
「親分、變な奴が來ましたよ」
ガラツ八の八五郎は、長んがい顎を鳶口のやうに安唐紙へ引つ掛けて、二つ三つ瞬きをして見せました。
「お前よりも變か」
何んといふ挨拶でせう。錢形平次は斯んなことを言ひ乍ら、日向に寢そべつたまゝ、粉煙草をせゝつて居るのです。
「へツ、あつしよりは若くて可愛らしいので」
「新造か、年増か、それとも――」
「何處かの小僧ですよ。――錢形の親分さんは御在宅で御座いませうか――つて、大玄關で仁義を切つてますよ、バクチ打と間違へたんだね。水でも打つかけて、追ひ返しませうか」
「待ちなよ、そんな荒つぽいことをしちやならねえ。この平次を鬼のやうな人間と思ひ込んで鯱鉾張つてゐるんだ、丁寧に通すが宜い」
「へエ――」
やがて、ガラツ八の所謂大玄關の建て付けの惡い格子戸をガタピシさして、一人の客を招じ入れました。
「今日は、親分さん」
敷居際でお辭儀をして、ヒヨイと擧げた顏を見ると、精々十五六、まだ元服前の可愛らしい小僧でした。
正直らしいつぶらな眼も、働き者らしい淺黒い顏も、そして物馴れないおど/\した調子も、妙に人をひき付けます。
「そんなに改まらなくたつて宜いよ。――此野郎に脅かされて固くなつたんだらう。安心するが宜い、お上の御用は勤めてゐるが、人を縛るのが商賣ぢやねえ」
平次は八五郎と小僧を見比べ乍ら、取なし顏にこんな事を言ふのでした。
「それがその――縛つて貰ひ度いんで、親分」
小僧は途方もないことを言ひます。
「縛つて貰ひ度い――誰だい、そいつは?」
平次は漸く居住居を直しました。可愛らしく膝小僧を二つ並べて、眞つ正面から平次を見入る、一生懸命な二つの瞳を見ると、ツイ斯う生眞面目にならずには居られなかつたのです。
「旦那を殺した奴を縛つて下さい、親分さん」
「旦那を殺した奴? そいつは穩かぢやないな。――一體誰が誰を殺したといふのだ。落着いて話して見るが宜い」
平次は雁首で煙草盆を引寄せて、相手の氣の鎭まるのを待つやうに、ゆる/\と二三服吸ひつけました。
「私は、市ヶ谷田町の寶屋久八の奉公人で今吉と申しますが、主人の久八が五日前に亡くなつて、もうお葬ひも濟みましたが、その死にやうが、何んとしても腑に落ちません。お寺でも文句無しに引取つた葬式ですから、私風情が苦情を申したところで、何んの足しにもなりませんが」
小僧は一寸言ひ澁りました。
「何うしてそれが定命でないと解つたのだ」
平次は追つ驅けるやうに訊ねます。
「旦那が亡くなる前、うは言のやうに――七千兩、あいつにやられるか――と言ひました」
「――七千兩、あいつにやられるか――といふのだな」
「へエ」
「それを誰と誰が聽いてゐた」
「私とお孃樣だけで」
「それつきりか」
「旦那が亡くなつた後で番頭の善七さんが、(あの女がやつたに違ひない)と、獨り言のやうに申して居りました」
「――」
「それから、離屋に住んでゐる御親類のお安さんが、昨夜庭で番頭さんとひどい言ひ合ひをして、――お前が殺したに違ひない。お主殺しは磔刑だよ――と大きな聲で怒鳴つて居りました」
「それから」
「それつきりですが、こんな事を聽くと、旦那の死んだのは、唯事でないやうな氣がします」
「それだけのことでは俺が乘込むわけにも行くまいよ」
「でも親分さん」
今吉は若くて敏感な者の本能的な恐怖に引ずられて此處へ來たのでせう。一應平次が宥めた位のことでは、容易に引取りさうもありません。
「親分、そいつは變な匂ひがしますね、行つて見ませうか」
傍から八五郎が、鼻をヒクヒクさせ乍ら乘出します。
「待ちなよ、つまらねえ事に十手を振り廻しちや、町方の恥だ。――ところでそれはお前一人の思ひ付きか」
「いえ、あの――」
今吉は背後の方――入口を振り向きました。
「八、小僧さんには連れがあるやうだ。呼んで來るが宜い」
「へエ」
八五郎は草履を突つかけて外へ飛出しましたが、其邊には今吉の連れらしい者は見付かりません。
「路地の中には誰も居ませんよ、親分」
「そんな筈はない――ひどく犬が吠えてゐたやうだ。あの犬は人に馴れてゐるから滅多に吠える筈はないが」
いつも路地の口に居眠りをしてゐる、角の酒屋の赤犬が、先刻けたゝましく吠えたのを平次は思ひ出したのです。
「お孃さんが一緒に來ましたよ。極りが惡いからつて外で待つて居ましたが、――變だなア」
今吉も外へ飛出しましたが、路地の中は言ふまでもなく、廣い往來へ出て、前後左右を見廻しても、それらしい姿は何處にも見えません。
「なんだつて中へ入らなかつたんだ」
平次は少しとがめる調子でした。
「默つて歸つたんぢやありませんか」
そんなことを言ひ乍らも、平次と、八五郎と小僧の今吉は、手分けをして其邊中探し廻りましたが、十八娘のお清は平次の家の前で、烟のやうに消えてしまつたのです。