Chapter 1 of 6

「親分、今日は、良い陽氣ですぜ。家の中に引つ込んで、煙草の煙の曲藝をやつてゐるのは勿體ないぢやありませんか」

ガラツ八の八五郎は、入つて來るなり、敷居際に突つ立つて、斯んな事を言ふのです。

「大きなお世話だよ、どうせお前のやうに、空つ尻のくせに、花見に出かけるほどの膽力はないからだよ。――陽氣が良いから、日向に引つくり返つて居ても、トロリと醉ひ心地になるぜ」

錢形の平次は、斯う言つた無精者でした。尤も縁側に寢そべつて、街の遠音を夢心地に聽き乍ら、白雲の行きかひを、庇の間から眺めて居るのも滿更惡くない陽氣です。

「天道樣に照らされて、ボーツと醉心地になるなんざ智慧がなさ過ぎますね。今日のやうな日には、何處へ行つても花さへありや杯の雨が降りますよ」

「呆れた野郎だ、人の酒で花見をする氣でゐやがる」

「上野は筋の良い客が居るから、偶には小袖幕から呼込まれるやうな都合にならないものでもあるまいと思つてやつて來ると――」

「馬鹿野郎、序幕でお姫樣に見染められる氣でゐやがる」

「それくらゐ押が強くないと、結構な花見は出來ませんよ、――ところで、その氣で上野へ出かけると、山下で大變なものに出逢はしたんで」

ガラツ八の八五郎は、何やら仕事を嗅ぎつけて來た樣子です。

「お姫樣が山下で虎になつて居たとでもいふのか」

平次はまだ茶かし氣味です。

「殺しがあつたんですよ、――尤も斬つたのは浪人乍ら歴とした武家で、斬られた方は油蟲のやうな安惡黨だから、こいつは場所次第では、無禮討でも濟んだ筈ですが、困つたことに車坂御門の側で、最初に驅け付けたのは御山同心だ」

「それぢや寺社のお係りだらう、お前が花見を諦めるほどの筋ぢやあるめえ」

「それがいけねえ、車坂御門の側で血を流したに違げえねえが、死骸のあつた場所は矢張り虎門の外だ」

「話がうるさいね」

「土地の御用聞や町役人につかまつて、到頭半日丸潰れ、――このまゝで歸つても恰好がつかねえから、一應親分の耳にも入れて」

「丁度空きつ腹の恰好もつけようといふんだらう」

「まア、そんな事で」

「お靜、聞いたらうな、八に齋を上げる支度だよ」

「ハイ、もう直き出來ますが」

平次の戀女房のお靜は、お勝手で爽やかに返事をしました。

「一體その車坂御門外の刄傷沙汰といふのはどうした事なのだ。目刺しの燒けるうちに、ざつと筋を通して見な」

平次は漸くとぐろをほぐして、煙草盆を引寄せました

「斬つたのは山下の御浪人で、大寺源十郎といふ人、この人は柄が小さくて、顏も聲も女の子のやうに優しいが、腕は餘つ程出來るやうですよ」

「その人なら、おれも顏くらゐは知つて居るよ」

「昨夜御切手町の藥種屋長崎屋庄六の家にウンザのケエがあつて」

「なんだ、そのフン反り返つた――てえのは」

「ウンザのケエですよ、――何んとかや、哉つて、十七文字並べる奴、都々逸の端折つたの」

「俳諧だらう」

「そのケエですよ、集つたのは、山崎町の酒屋倉賀屋倉松と、車坂の呉服屋中田屋杉之助、それに浪人の大寺源十郎と主人の庄六を入れて四人、子刻(十二時)過ぎまでパチパチやつた」

「馬鹿だなア、花合せぢやあるめえし、ヘエケエをパチパチやる奴があるか」

「素人量見ですよ、どうせあつしはそんなチヨボクレは知らねえ、――兎も角子刻過ぎまで噛み合つて、――これもいけませんか」

「それからどうしたのだ」

「車坂へ歸る中田屋杉之助と、山下へ歸る大寺源十郎と一緒に長崎屋を出た所で、提燈が一つ、長崎屋の紋の付いたのを持つて、杉之助が先に立つて來たが、途中で紙入を忘れた事を思ひ出して、中田屋杉之助がもう一度長崎屋へ引返した」

「――」

「その時、どうせ私の家は近いから、と提燈を大寺源十郎に持たせ、その上夜半から急に薄寒い小雨になつたので、――失禮だがまだ新しいから、これを――と、用心のために着て居た合羽を脱いで、辭退する大寺源十郎に着せ、中田屋杉之助は傘だけ差して長崎屋に戻り、幸ひ無事に座布團の下に入つて居た紙入を取つて貰つて、そのまゝ家へ歸つた」

「――」

「一方、中田屋杉之助の合羽を着て、長崎屋の印の入つた提燈を持つた大寺源十郎は、少し風邪氣味だつたので、薄寒い襟元をかき合せ乍ら、正寶寺門前まで來ると、いきなり闇の中から飛出して後ろからパツと匕首で土手つ腹を突いて來た者がある」

「聲も掛けずにか」

「え、卑怯な野郎で、鐵砲玉のやうに飛出すと、油斷をして居る大寺源十郎の後ろから身體ごと叩き付けて來たんださうです。――大抵の者なら芋刺しになるところだつたが、御浪人は、腕が良いから、サツとかはした。と、前へのめるかと見た曲者は、これも恐ろしい腕利きで、クルリと立直つて、今度は正面から猪突きに、サツ、サツ、サツと突いて來たんださうで――」

「フム」

「誰だツ、名乘れツ、と言つたが物も言はない、あんまり執拗こく來るので、持て餘した大寺源十郎、合羽の下に隱すやうにして持つて居た一刀、引拔き樣サツと浴びせると、相手も油斷して居たものか、大袈裟に斬られて死んでしまひました。――その騷ぎを聞付けて、飛んで來たのは御山同心と、近所の衆。提燈のあかりで見ると、斬られて居るのは、何んと下谷淺草一圓に蝮のやうに嫌はれて居る、山の宿の鐵といふやくざ者。金にさへなれば、どんな事でもするといふ、箸にも棒にもかゝらぬ野郎ぢやありませんか」

八五郎は漸く語りをはりました。

「それつきりか」

「いえ、これつきりぢや唯の追剥で、一席辯ずる程のこともありませんが、後で死骸を調べて見ると、鐵の野郎の懷中に、小判で十兩といふ大金があつたんだから話の種でせう」

「フム」

「小ばくちと女で身を持ち崩して居る鐵の懷中に十兩と纒つた大金があるわけはなし。――いや、それどころではなく、近頃不漁續きで昨日の晝頃まで百も持つて居なかつたのは、仲間は皆んな知つてゐるし、七にも八にも置く物はなし、鐵の野郎には一貫と纒まつた物を貸す粹興人もないとなると、一體此十兩は何處から出た金でせう?」

「俺が知るものか」

「もう一つ變なことに、その十兩の金を包んでゐる紙といふのは、プンプン藥の匂ひのする、長崎屋の印の入つた藥袋だとしたら、どんなものでせうね。親分」

八五郎は膝を進めました。

「誰かの細工だらうよ、だが、長崎屋でないことだけは確かさ、自分の店の名の入つた藥袋へ金を入れて人にやるのは變ぢやないか」

「あつしもさう思つたから、三輪の萬七親分が變なことを言ふのを尻目に、此處まで飛んで來たわけです。どうしたものでせう、親分」

八五郎は一氣に辯じて最後の問ひを投げ出しました。

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