Chapter 1 of 6

「あれを聴いたでしょうね、親分」

ガラッ八の八五郎は、この薄寒い日に、鼻の頭に汗を掻いて飛込んで来たのです。

「聴いたよ、新造に達引かしちゃよくねえな。二三日前瀧ノ川の紅葉を見に行って、財布を掏られて、伴の女達にお茶屋の払いまでして貰ったという話だろう」

銭形平次は立て続けに煙管を叩いて、ニヤリニヤリとして居るのです。

「そんなつまらねえ話じゃありませんよ。親分も聴いたでしょう、近頃大騒ぎになって居る、土手の髷切り」

「そうだってね、新吉原の土手で、遊びに行く武家がポンポン髷を切られるんだってね、――大きい声じゃ言えねえが、『人は武士なぜ傾城に嫌がられ』とはよく言ったものさ。突き袖かなんかしやがって、武士たる者が不用心ななりで女郎買なんかに行くから、命から二番目の大髻を切られるのさ。八五郎が財布を掏られるのと違って、こいつは内々溜飲を下げて居る奴が多いぜ。なア八」

町人平次――お上の御用を勤めているには相違ありませんが、武士の髷切り騒ぎには、内々揉手をして喜んで居るのでした。

その頃江戸中の評判になった、この髷切りの悪戯は、一ヶ月ほど前から始まったことですが、月のない真っ暗な晩に限って、新鳥越から衣紋坂にいたる、所謂土手八丁と言われた日本堤で、何者とも知れぬ怪人に襲われ、アッと言う間に髷節から髻を切り取られ、ザンバラ髪になって、すごすごと帰る人間が多くなったのです。

誰が一体、何んの意趣でそんな悪戯をするのか、全く見当もつきません。髷を切られるのは武家に限り、二本差でないものは、どんなに酔払って居ても、たった一人で通っても、何の障りもなく、武士は二三人繋がって歩いて居ても、そのうちのたった一人だけが見事に髷を切られることさえあるのでした。

切られた者の話によると、足音も立てずに忍び寄って、恐ろしい手際で抜き討に髷節を払い、サッと風の如く飛去るらしいというのです。中には頭の上を鳥が飛んだように感じたとか、頬をかすめて、一陣の風が吹いたと感じたときは、もう自分の髷節は切られて、バラリと毛が耳へ下がって来て居るというのです。

その切られた髷は、幾つかずつ縄で編んで場所もあろうに、五十間の右手の高札場、丁度見返り柳と相対して、曝しものにするのです。もとより髷を切られた本人は来るわけはありませんが、

「あっ、今日は三つだ」

「昨日は二つだったが、――切られた奴の顔が見度いネ」

「あれが千になると大願成就だとよ」

「何んの願を掛けて居るんだろう」

指さして笑うのは、切られる心配のない町人共で、武士は苦々しく横眼で睨んで通るのです。

「面白がって居ちゃ困りますよ。昨日八丁堀へ顔を出すと、笹野の旦那がひどくお困りの様子で、――平次は何をして居るんだ、髷切りを放って置くと、八方から文句が来て、大困りだが――とこぼして居ましたよ」

「成程な、考えて見ると笹野の旦那も、二本差に違いはない。尤もあの方は吉原などへフラフラと出かけて、髷節を切られるような方ではないがね――」

「ところで親分、その髷切りの曲者は誰だと思います」

「それが解らないから不思議だよ、鎌いたちや流行風邪でないことは確かだが――」

銭形平次の智恵も其処から先は何うしようもありません。

「此節急に蔓こって来た、町奴や男達の仕業じゃありませんか」

「それも考えられないことはないが――」

武家の暴慢と無道に対して、敢然として立った江戸の町奴。放駒四郎兵衛や幡随院長兵衛の亜流が、その頃漸く江戸の町を我物顔に横行して、時々は眼に余る所業もするようになって居たのです。最初はもとより武士階級、わけても旗本の横暴に対する反抗で、江戸の町人共にやんやと言われたに違いありませんが、それが人気と勢力を得るに従って、あべこべに町人共の迷惑になったことも少くないとは言えず、平次が活躍して居る頃の江戸の町奴は、まことに痛し痒しの存在になりかけて居たのです。

「江戸の町奴の中に、あんな腕の出来る奴があるかな」

平次が疑うのはその点でした。

「安宅の弁吉、小人三次郎などはどうでしょう。弁吉は小太刀をよく使うそうで、仲間では評判の腕ききですよ。小人三次郎は橋場の家に弟子を取って、柔術の稽古をして居るくらいで、柄は小さいが、恐ろしい早業だということで」

「三次郎の早業と、弁吉の小太刀の腕前を一人で持っていれば出来ないこともあるまい。が――」

平次はこんなことを考えて居るのでした。

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