Chapter 1 of 6

「親分、ちよいと智慧を貸して下さい。大變なものが無くなりましたよ」

ガラツ八の八五郎、相變らずのあわてた調子で、錢形平次の家へ飛び込みました。

江戸の夏を飾る年中行事も一わたり濟んで、この上は抹香臭いお盆を待つばかりといふ頃。十日あまり照り續いた往來の土埃を、少々長刀になつた麻裏草履に蹴飛ばして、そのまゝ拭き込んだ上がり框に飛び上がるのですから、女房のお靜が雜巾を持つて飛んで來るのも無理のないことでした。

「相變らず脅かすぜ、何が一體無くなつたんだ。財布なら百文も入つちやゐまいし、煙草入なら煙管が目つかちで、かますがほころびてゐたし」

「そんな下らない品ぢやありませんよ。日本にもたつた一つといふ金銀細工の懷ろ時計だ」

「何んだいそれは?」

「和蘭の國から献上になつて長崎奉行が早馬で江戸の上樣にお屆けしたといふ品ですよ」

「そんな物が一體どこにあつたんだ」

「京橋弓町の御時計師廣田利右衞門樣のところへ、公儀から御貸下になつて、これと同じものを作るやうに、と格別の言葉があつたといふ、世にも珍らしい懷ろ時計ですよ。大人の手の平の中に隱れるほどの小さいもので、鍵さへ卷いて置けば、一日一と晩は請合ひ獨りで動いてゐるといふから、まるで活き物のやうな品ぢやありませんか」

「それが何うしたといふんだよ、自裂つたい野郎だな。俺は時計の有難味なんか聽いてやしないよ。その時計が這ひ出して下水へでも姿を隱したと言ふのか」

平次に取つては摩訶不思議な時計の機構よりも、その時計に附隨して起つた、犯罪の方が大變だつたのです。

「龜の子ぢやあるめえし、時計は獨りぢや逃げ出しやしません。盜んだ野郎があるんで」

「成程」

「主人廣田利右衞門の寢間の用箪笥が開いて、中を掻き廻した上、時計が無くなつてゐるし、仕事場では弟子の爲三郎といふのが、匕首で正面から胸を一と突きにやられて、紅に染んで死んでゐるとしたらどんなもので」

八五郎は漸く事件の全貌を明かにしました。

「俺に謎々を掛けたつて、こゝぢや解けないよ。ところでその懷ろ時計を搜せといふのか、弟子の爲三郎を殺した下手人を擧げろといふのか」

「爲三郎なんか唯の奉公人で、殺されたつて化けて出る張合ひもない野郎だが、懷ろ時計はもつたいなくも上樣からのお預りの大事な品だ。無くなりましたで濟してゐるわけには行かない。出て來ないとなると御時計師廣田利右衞門は腹でも切らなきやならねえ」

「フ――ム」

「腹を切るのは痛いから、錢形の親分に頼んで搜し出して貰ひたい。首尾よく搜し出したら、大枚百兩の褒美を出さうと――」

「馬鹿野郎」

「小判で百枚ですよ、親分」

八五郎は少しヘドモドしました。平次の額には不連續線が走つて、物の言ひやうが少し荒つぽくなります。

「糞でも喰らへと言つて來い、――お前の作なら笑つて濟むが、御時計師廣田利右衞門が本氣でそんなことを言ふなら、時計は故郷戀しさに羽が生えて、生國の和蘭に飛んで還つたに違ひないから、覺悟をきめて腹でも切るがよからうと、さう言つて來い」

「へエ」

「百兩の褒美が欲しいくらゐなら、憚りながら錢形平次、泥棒に商賣換へをして、人手にかけずに、自分でその時計を盜んで來ると言へ」

「へエ」

「――爲三郎なんか唯の奉公人だから、殺されても化けて出る張合ひもない――とは何んといふ罰の當つた言ひ草だ」

「――」

「百兩の褒美がそんなに有難きや、お前が行つて搜してやれ。その代り二度とこの路地を入ると、髷節をり取つて鰯を尻へ挾んで阿呆拂ひにしてやるから、覺悟しやがれ」

「へエ」

平次の見幕の凄まじさに、八五郎は這々の體で飛び出しました。長刀になつた麻裏を懷ろに捻ぢ込んで、四つん這ひになつて逃げ出すのが、まことに精一杯だつたのです。

「八さんが可哀想ぢやありませんか、あんなにポンポン言つて」

お靜はそつとお勝手から、物案じな顏を出しました。

「ハツハツハツハツ、野郎跣足で飛び出しやがつた――あれでいゝんだよ。御用聞が褒美に釣られてウロウロするやうぢや、江戸の町人が難儀をしなきやならねえ。それに人の命よりお時計の方が大事だなんて、聽いただけでもムカムカするぢやないか。あんな解らねえ野郎の仕事をするくらゐなら、俺は三文植木の世話でもするよ」

さう言つた錢形平次でした。だから何時までも貧乏してゐるのを、女房のお靜は怨ずる色もなく、靜かに納得して自分の職場――お勝手へ引下がります。

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