Chapter 1 of 13

その頃江戸中を荒した、凶賊黒旋風には、さすがの銭形平次も全く手を焼いてしまいました。

本郷、神田、小石川へかけて、町木戸の無いところを選って、三夜に一軒、五日に二軒、どうかするとそれが連夜に亘って、江戸の物持ち、有徳の町人共を、全く恐怖のドン底に陥入れてしまったのです。

「八、弱ったな、俺は十手捕縄を預かってから、こんなに弱ったことは無いよ」

銭形平次ほどの者が、つくづく嘆息するのはよくよくの事です。

「親分が手に了えないとなると、こいつは人間業じゃありませんね」

親分の腕に信頼し切っている八五郎は、これを鬼神の仕業とでも思って居たのでしょう。

「盗る物は金か、金目のものだ。そんな欲の深えエテ物があってたまるものか、人間の仕業にきまって居るよ」

「それなら、何処に証拠を残すとか、顔を見られるとか、尻尾位はつかまりそうなものじゃありませんか」

「笹野の旦那もそれを仰しゃるのだ、江戸の町人の難儀は、竜の口の御評定にもお話が出たそうだ、これで年を越された日にゃ町方一統の名前にかかわる――とな」

「それを親分一人が気を揉むことが無いじゃありませんか、雀の涙ほどでも、お上の御手当を頂いているこちとらから、二百俵のお禄を頂戴している八丁堀の檀那方まで、みんな一様に、黒旋風に馬鹿にされてるわけで」

明神下、銭形平次の住居、貧乏臭い平舞台――平次は長火鉢の猫板に頬杖を突いて、八五郎は縁側に腰を掛けたまま、不景気極まる話に日が暮れそうです。

恋女房のお静は、お勝手でせっせと夕餉の仕度でした。聞かない積りでも、ツイ耳に入る二人の愚痴を、大根を刻む手を休めて、ホッと溜息などを吐くのです。

亭主の仕事に口を出しちゃならねえ――日頃そう言われているお静です。お上の御用向のことは、右の耳から入っても、左の耳に素通りさせる気でいても、割切れない滓みたいなものが、お静の胸にこびり付いて、時々は眉も曇り、溜息にもなるのでしょう。

「俺一人が黒旋風に狙われるわけ、これを見なよ、八」

平次は懐から小さい紙片を出しました。半紙を八つに切って、又二つに畳んだ、観世捻のような代物、開くとその中には、かなりの達筆で、

十二月四日本郷一丁目池の端妙月庵

十二月七日金沢町淡路屋佐兵衛

十二月十日飯田町波岡采女

こう書いているのです。

「これがどうしたんです、親分」

「格子に縛ってあったよ」

「へェ、久米の平内様の縁結びですか」

「いや、黒旋風が、泥棒に入る場所と日割だよ」

「へェ、丁寧なことですね、親分に届けて置いて、それから押入ろうなんて」

「十二月四日というのは明日だ、どう防ぎをつけたものか、それを考えて居るのだよ、――相手は黒旋風だ、敗けるか勝つか、向うは負けても恥にならないが、俺が敗けると、町方一統の恥になる」

「成程そう言ったものでしょうな――ところで何うしようというんです、親分」

「それを考えて居るのだよ、黒旋風にもやり遂げる見込が無きゃ、こんな手紙を書く筈が無い」

平次は武者振いを感ずるのでした。

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