Chapter 1 of 6

「あつしはつく/″\世の中がイヤになりましたよ、親分」

八五郎は柄にもなく、こんなことを言ひ出すのです。

「あれ、大層感じちやつたね、出家遁世でもする氣になると、二三人泣く娘があるぜ」

平次は縁側に腰を掛けたまゝ、明日咲く鉢の朝顏の蕾などを勘定して居りました。まことに天下泰平の姿で、八五郎の厭世論などには乘つてくれさうもありません。

「何時の世になつたら、惡い事をする奴が無くなるのでせう。喧嘩だ、殺しだ、泥棒だ、放火だと、毎日々々惡い人間を追ひ廻して居るこちとらだつて、大概イヤになるぢやありませんか」

「惡い奴と岡つ引、考へて見ると、病氣と醫者見てえなものさ、何處まで行つても切りが無いから、宜い加減のところで十手捕繩を返上して、高野の山へでも登るとしようか。クリ/\坊主になると、額の寸が詰つて、八五郎も飛んで良い男になりさうだぜ」

平次と八五郎の掛け合ひは、相變らず無駄が多くなつて來ました。七月二十七日もやがて晝近い陽射しで、縁側に掛けてゐても汗がにじみさうです。

「ところで、親分は、昨夜の月待ちを何處でやりました」

「俺は寢待ちさ。信心氣がないやうだが、此間からの御用疲れで、宵から一と眠りしてしまつたよ」

「湯島臺から明神樣の境内、ことに芝浦高輪あたりは、大變な人出だつたさうですよ」

七月二十六日の曉方近くなつて出る月を、寢ずに待つて拜むと、三尊の來迎が拜まれるといふ俗説があり、江戸の海邊や高臺は凉みがてらの人の山で、有徳の町人や風流人は、雜俳や腰折を應酬したり、中には僧を招じて經を讀ませる者もあり、反對に幇間藝子を呼んで、呑んで騷いで、三尊來迎を拜まうなどといふ、不心得な信心者もあつたわけです。

「お前は何處に潜つて居たんだ」

「あつしは北の國で、歌舞の菩薩の張り見世を一と廻り拜んで、向柳原へ歸つて寢てしまひましたよ。月待ちと洒落るほどは金がねえ」

「罰の當つた野郎だ」

「親分、お客樣のやうですね」

八五郎は無駄話を切上げて、庭木戸を押しあけると、表口の方へ、外から廻つて行きました。

それから暫く、何やら押問答をして居ましたが、やがて、二十三四の浪人風の男を、後から押し込むやうに、追つ立てゝ來ます。

「この方が、親分にお願ひがあるんですつて」

それは、若くて貧乏臭くさへありましたが、短いのを前半に手挾んで、長いのは木戸のあたりで、鞘ごと腰から拔き、右手に持添へて小腰を屈めたあたりは、なか/\に、好感の持てるたしなみです。

「錢形の親分――でせうな、私は芝口一丁目に住む、神山守と申すもの、折入つてのお願ひがあつて參りましたが」

顏をあげると、青々とした月代、眉が長く、唇がキリリとして、娘のやうに鼻白む風情です。

「お話といふのは?」

平次はこの浪人者のために、縁側に席を設けさせました。

「芝口一丁目の金貸、久米野官兵衞殿が、昨日の夜半過ぎ、御自分の家の二階で、何者やらに殺されました」

神山守は散々躊躇した末、思ひきつた樣子で話の緒口を切りました。

「で?」

平次はその後を促しました。久米野官兵衞といふのは、武家あがりの金貸で、その名前位は平次も知つて居ります。

「久米野官兵衞殿は、二階六疊の前の縁側に、月の出を待つて居るところを殺されました。家中の者は、一人殘らず階下に顏を合せて居り、その時二階に居たのは、官兵衞殿の外には娘のお玉殿だけ。お玉殿が親殺しの疑を受けてその夜の明けぬうちに、露月町の金六に縛られました」

「お玉どのは親を殺す筈もなく、またそんな惡いことの出來る人でもありません。お玉どのを縛つて行く金六の跡を追つかけて、いろ/\申しては見たが、鬼の金六と言はれた御用聞、私の言ふことなどには、耳もかしてはくれません。この上は錢形の親分にすがる外は無いと思ひ、芝口から飛んで來たものゝ、さて、何んと言つて親分に頼んだものか、きつかけが六つかしくて、愚圖々々して居りました」

神山守は、兩刀の見識も捨てゝ、町の御用聞の平次に、一生懸命にすがるのでした。

「仰しやることはよくわかりましたが、御用聞にも御用聞の繩張りらしいものがあつて、露月町の金六の縛つたものを、あつしが神田から飛込んで行つて、すぐ繩を解かせるといふわけには參りません」

「でも、お玉殿が、潔白とわかれば――」

「待つて下さい、神山樣、あつしが此處に居て、貴方のお話を伺つただけぢや、お氣の毒ですが、久米野のお孃さんが、潔白か潔白でないか、わかるわけが無いぢやありませんか」

「でも、久米野の主人が殺された頃、お玉殿が、あの家の二階に居なかつたとわかれば」

「それは申す迄もない事です。お孃さんが二階に居なかつたとわかれば、露月町の金六親分は鬼でも蛇でも、お孃さんを縛るわけが無いぢやありませんか」

「では申しませう、親分」

神山守は思ひ定めた樣子で、屹と顏をあげました。興奮に色づいた顏は美玉のやうで、この若い武家は、どうかしたら、大變な罪を作つて居ないか――と平次は感じたほどです。

「包み隱しの無いところを仰しやつて下さい、お孃さんの命を救ふために」

「そのお玉どのは、――何を隱さう、あの時刻――丁度子刻から丑刻前まで、ツイ裏の私の浪宅に來て居たとしたら、どんなものでせう」

「あなたは獨り住ひで?」

「左樣、外に見た者の無いのは、今となつては物足りないが」

神山守は呻吟するのです。若い娘が、若い男の獨り住居の家へ、眞夜中の子刻から丑刻近くまで居たといふことは、一體何を意味するでせう。

「畜生、うまくやつて居やがる」

それを聽いて、大きな舌鼓を打つたのは、外ならぬ八五郎だつたのです。

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