Chapter 1 of 7

「羨ましい野郎があるもんですね、親分」

夏の夜の縁先、危い縁臺を持ち出して、蚊を叩き乍ら、八五郎は斯んなことを言ふのです。

「お前でも人を羨ましがることがあるのか、淺ましくなりやがつたな」

錢形平次は呑氣な心持ちで相手になつて居ります。八五郎が急に慾が出て、角の地面が欲しくなる氣遣ひは無いと、多寡をくゝつてゐる樣子です。

「相手は駒形の伊三郎の野郎ですがね」

「取り拔け無盡が當つたのか、それとも伊三郎はちよいと良い男だから、大屋の小町娘にでも思ひ付かれたとでもいふのか」

平次は相變らず氣が無ささうです。秋近い蚊は、三春駒のやうに達者で、此邊は水にも藪にも縁があるせゐか、叩いても叩いてもやつて來るのです。

「そんな世間並の話なんか、羨ましくも何んともありませんよ、伊三郎の野郎のところへ、馴染の女郎が無事に年が明けて、轉げ込んで來た相で、巴屋の友鶴てんで、二十七だと振れ込んでますが、請合三つ位はサバを讀んでますね」

「そんなのが、羨ましいのか、お前は? 小皺が寄るまで苦海に勤めて、長い間に身受けの相手もなく、貧乏な岡つ引のところへ轉げ込む女郎は、一體どんな代物だと思ふ」

「さうは言つても、結納も祝言も拔きの、小風呂敷一つで飛込んで來る女房なんてものは、手輕で結構ぢやありませんか。小格子の小便臭い女でも、女郎には變りは無え、へツ」

「お前はそんな氣でゐるのか、折角良い娘を見付けて、世話をしてやらうと思つて居るのに、年明けの皺の寄つた女郎なんか羨ましがるやうぢや、附き合ひ度くねえよ」

「相濟みません、野郎も薹が立つて縁遠くなると、淺ましくもなりますよ。どう生れ變つても、中屋貫三郎が請出したやうな、入山形に二つの星の、金覆輪の華魁はこちとらの相手にはなりやしません。口惜しいけれど、八方に四つ手をおろして、ダボハゼのやうな年明きを待つ氣になるぢやありませんか」

「情けねえ野郎だ、同じ女房を持つなら、三井鴻池の娘でも狙つちやどうだ、望みは大きい方が宜いぜ」

「中屋貫三郎の請出した誰袖華魁なんかは豪勢ですぜ、千兩箱を杉なりに積んで請け出し、廓内から馬喰町四丁目まで、八文字を踏んで乘込んだ」

「嘘をつきやがれ」

「その引祝がまた大變で、廓内の藝人を總仕舞にして、町々の山車が出た」

「宜い可減にしろ、冗談ぢやない」

八五郎の話は、出鱈目と誇張に充ち滿ちたものですが、調子の馬鹿々々しさに、聽いてゐる平次も腹は立てられません。

「見せたかつたな、親分。誰袖華魁が馬喰町の中屋に乘込んだ時は、その見物の人だかりで、淺草御門の近所へ夜店が出た」

「また嘘になる、話も程々にして置け」

「親分はまた、女の噂となると、氣が無さ過ぎますよ。たまには交際だと思つて、江戸一番の華魁の噂でも聽いて下さいよ。親分のやうに、そつぽを向いたまゝ煙草を吸つて居たんぢや、話す張合も無くなるぢやありませんか、――尤も、お勝手にはお靜姐さんが、カタコトと愼ましい音を立てゝ居るけれど」

「それが餘計だよ。お靜には關りの無いことだ。斯うなりや俺も覺悟をきめてお前の話の相手になつてやらう。華魁の話でも蔭間の話でも、夜が明けるまで續けてくれ。明神下の藪つ蚊は飛んだ餌にあり付いて、大喜びだとよ」

「へツ、情けねえことになりやがつたな、蚊燻しでも奢つて下さいよ。今年はまた陽氣のせゐか、自棄に蚊が多い」

「華魁の話が、蚊の話になつたやうだ。それならどんなに話にはずみが付いても、懷が痛まなくて良い」

「懷の痛まないことは、華魁の話の方も御同樣で、何しろ誰袖華魁が馬喰町の中尾に乘込んだところから見始めて、元服して御新造のお袖と改め、内證の取り廻し、客と物貰ひとの處置振り、お菜の切り盛り、何から何まで覗くやうに見て木戸を一文も拂はないから、大したものでせう」

「呆れてものが言へねえよ、お前といふ人間は」

「尤も、誰袖華魁の見物がうるさいから、時々は覗いてくれるやうにと、中屋から頼まれましたがね。馬喰町から向柳原は川一つ越せば直ぐだから、何んかあつたら、飛んで來て下さいねと、誰袖華魁ぢやねえ、引拔いて中尾の内儀のお袖さんに頼まれましたよ」

「それで毎日、十手を突つ張らかして、中屋の店先へ出かけたんだらう」

「毎日は行きやしません。三日に一度、五日に一度――何にしろ、あれ位の華魁になると、隨分罪も作つてるでせう。誰がどんな時、寢首を掻きに來るか、馴染帳を見た位ぢや見當もつきません」

八五郎の話は馬鹿々々しく發展します。

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