一
「親分は源氏ですか、それとも平家ですか」
ガラツ八の八五郎は、いきなりそんなことを言ふのです。御用も一段落になつた春のある日、後ろに一立齋廣重がよく描いた、桃色の空を眺めて、一本の煙管をあつちへやつたり、此方へ取つたり、結構な半日を、百にもならぬ無駄話に暮らすのです。
「螢や蟹ぢやあるめえし、源氏だらうと平家だらうと一向構はないぢやないか」
錢形平次は氣のない返事でした。天氣は上々、春は酣、これからお靜の手料理で、八五郎と酌み交すのが、まさに一刻千金の有難さだつたのです。
「虫や魚の話ぢやありませんよ。それ、何處の家にも祖先といふのがあるでせう。その過去帳見たいな卷物を――何んとか言ひましたね」
「系圖だらう」
「さう、さう、そのけえづのことですがね」
「下らねえ詮索だ。俺の家は親代々の御用聞き、胞衣を引つくり返しや、寛永通寶の紋が附いてゐる」
「交ぜつ返さないで下さい。筋のある話なんだから」
「さうだらうとも、五匁玉半分煙にして、空茶を藥罐で三杯もあけるのは、容易なことぢやあるめえと思つて居たよ。そんなに言ひにくいところを見ると、女房が欲しいのか、金が要るのか、それとも――」
「どつちも欲しかありませんよ。痩せ我慢のやうだが、江戸中の娘にがつかりさせるのも殺生だし、御用聞が金を貰ふと、後が怖いから」
「良い心掛けだよ、お前は」
「そのけえづなんですがね、親分。一つ搜して見る氣になりませんか。首尾よく手に入ると、御褒美の金が何んと小判で百兩」
「止さないか、馬鹿々々しい。そんなものに掛り合つてゐると、御家の騷動に捲き込まれて、腹を切らされるよ」
「へエ、さうでせうか?」
「歌舞伎芝居や黄表紙にあるだらう。紛失物は大概きまつて居るよ。小倉の色紙に、讓葉の御鏡さ。それからそれ、御家の系圖だ。皆んな一度は惡人の手に入つて、大騷ぎするにきまつて居る」
平次はまるつ切り相手にしません。
「さう言はずに聽いて下さいよ。お禮は兎も角、こいつは滅法面白い仕事で、引受け甲斐がありますぜ」
「何處かでまた、おだてられて來たんだらう。兎も角、話して見な。事と次第では、小出しの智惠を貸さないものでもない」
「有難いね、親分が引受けて下されば、系圖の方から、手土産を持つて出て來ますよ」
「おだてちやいけねえ」
「親分は、染井右近といふ人を御存じでせうね」
「そんな小父さんは知らないよ」
「小父さんぢやありません。江戸開府前の名家とやらで」
「ハテネ?」
八五郎の話は、相變らずまことに埒のないものでしたが、それでも、これだけのことはわかりました。
染井右近といふのは、王朝時代に東に下つた、業平朝臣の裔だとも言ひ、染井村に土着して、代々豪士として勢威を振ひ、太田道灌が江戸に築いた頃は、それに仕官して軍功を樹てましたが、徳川家康入府の際には、率先その旗下に參じて忠誠を盡し、大名にも取立てらるべき筈のところ、俄に大患を發したのと、日頃隱遁の志があつたために、身を退いて巣鴨に隱れ、昔乍らの豪士として、幾代かを經たといふのです。
染井の當代は鬼三郎と言つて五十になつたばかり。氣の毒なことに中風を發して半身不隨になり、甥の染井福之助に養はれて、厄介者扱ひにされて居りますが、近頃になつて當代の上樣から、格別の御聲掛りがあり、東照權現樣御入國の際の功勞者の一人として、急に召出されることになつたのです。
もとより、世を隔てたことであり、染井右近の子孫を確めるのも容易のことではなく、江戸氏、染井氏と言つた人達の嫡々は、確かな系圖を持參、龍之口に出頭すれば、分に應じて、御家人、旗本に取立てられ、次第によつては、大名にもなれまいものでもあるまいといふ、誠に棚から牡丹餅の沙汰です。
その頃の人達――わけても若い野心家達は、出世といふことを、どんなに熱望したことでせう。家柄や門閥の垣に閉ぢこめられて、大名の子は大名、町人の子は町人、乞食の子は乞食、其處から一歩も踏出すことは出來なかつた世の中です。
假に金を積んで旗本御家人の株を買ふことが出來たといつても、その爲には少なくとも數千金を投じなければならず、一般の貧乏人などには、どんなに才能があつたところで、出世や立身などといふことは、夢のやうな話です。
それが、祖先の手柄を認められて、公儀からお召となつたのですから、染井家一門の喜びは大變なもの。
ところが、いざ名乘つて出ることになつて、當主の染井鬼三郎は中風で寢たつ切り、業平朝臣から、先々代染井右近、當代染井鬼三郎の名を連ねた、牙軸鳥の子仕立、金襴表裝の系圖書が何處へ行つたかわかりません。
當主の甥の福之助、幼な心に覺えのある系圖を、家中引つくり返すやうにして搜しましたが見當りません。離屋二階に寢て居る、名ばかりは當主の染井鬼三郎の枕を叩くやうにして訊いたが、
「レロ、レロ、レロ」
と、これは呂律も廻らないのです。
「そこで、錢形の親分を頼み度いといふわけ、こいつは無理もないでせう。その系圖が出て來て、恐れ乍らと龍之口へ持つて出ると、一萬石の大名に取立てられないものでもない。輕く扱はれても何千石のお旗本、將軍樣から格別の御會釋があらうといふわけ。どうです親分、さう聽くと百兩の褒美は、大したこともないでせう」
八五郎はその褒美を貰つてしまつたやうに勢ひ立つのです。
「待ちなよ、八、俺が大名に取立てられるわけぢやあるまい」
平次は泰然として馬鹿なことを言ふのでした。
「當り前ですよ。錢形の親分は、どんなに捕物が名人でも、大名になつてくれとは言やしません。公方樣だつて、お門多いことだから」
「それぢや止さうよ。尤も、大名なんかには成り度くないがね。此上、天下の喰ひ潰しを一人殖す手傳ひも御免蒙らうぢやないか」
「喰ひ潰し?」
「俺はさう思つて居るよ。大名が多くなれば、百姓町人は難儀するばかりさ。尤も、俺が斯んなことを言つたと、人には言ふな。もう少しガン首を肩の上に載つけて置かなきや都合が惡いから」
「呆れたものだ」
八五郎は膽を潰しました。寶搜しにさへ乘り出さない平次です。系圖の餅では動き出しさうもありません。