第一場 同じ宿の安泊り
奥に位置する汚ない座敷。狭き廊下を隔てて、安どまりの主人の部屋がある。空地に似た疎雑な、庭よりそれ等を見たる態。庭にある一株の桜は花がすこし綻びかけている。一方の座敷におきぬが、蒲団の上に坐って、やがて生れる子のために自分の半纏をほどき、産衣代りに縫っている。安どまりの女房おろくが、安産のお守を柱に貼りつけている。
おろく こうやっておけば安産は請合いだ。その積りでいい子供を産むのだよ。なにお前、初産ではなし、二度目だからきっとお産は軽いだろう。おきぬ 有難うございます。いろいろお世話になるばかりで。――済みません。屋根代も大分借りになっていて――。おろく そんなことを産婦が気にすることがあるものか。屋根代の心配は女房の役じゃない、亭主の役だという処だが、生憎と時さんは亭主じゃなかったっけね。おきぬ おかみさん。時さんとわたしが夫婦なら何ですけど、去年の秋下総を出てから今まで、旅から旅を一緒に歩いてはきましたが、どうという仲ではなし、それだのにああやって、わたし達母子のために身を落して、面倒をみてくれるのですもの。考えると――一層わたし達が死んでしまった方が、時さんには肩抜けだと思うことも度々ですが、可愛い太郎吉が不憫だし、死んだ亭主の胤を暗から暗へやるのも情けないし、済まない済まないと思いながら、時さんにばかり苦労をかけています。おろく 今時には珍しい男さ。おきぬさん気が弱くっちゃいけないよ。女房でもなし情婦でもない女を、子供ぐるみにあんなにムキになって世話する時さんの親切に対してだって、弱い気を出しちゃすまないよ。――そりゃ赤ン坊の物だね。おきぬ ええ。わたしの物を解いて拵えました。愚痴をいっちゃ済まないけど、こんな物が赤ちゃんの産衣なんです。おろく こりゃ冬中お前が着ていた半纏だったね。おきぬ 桜の花が咲きかけました。もう半纏でもありませんからねえ。(涙を隠して縫いつづける)太郎吉 (廊下の奥より駆けてきて座敷へ飛び込み、障子を押える)おきぬ 太郎吉どうしたんだい。おろく 喧嘩でもして逃げてきたのか。太郎吉 おっかちゃん、悪い奴がきたよ。おろく えッ。ど、泥棒がはいったのかい。太郎吉 下総の家へ、刀を抜いて来た奴ね、あいつ等が二人とも来やがったよ。(障子の破れからのぞき)ちえッ、まだ立ってやがるよ。おろく 何だ。まッ昼間だというのに、刀を抜いて暴れ込んできやがったのかい。どこのどいつが喧嘩の尻を持ち込んだのだろう。太郎吉 おばあちゃん行って追払っておくれよう。おろく おい来た。安どまりの嬶だよ。おきぬさん心配おしでない。喧嘩や刃物にゃ慣れっこだ。おきぬ おかみさん。わたし達のことは構いませんが、時さんのことだけは黙っていてあげてください。おろく あアいいとも、客のことを一々喋らせられてたまるものか。安心しておいで。(廊下へ出る)おきぬ こっちへおいで。何、大丈夫だよ。(怯えながら太郎吉を呼び寄せ、庇って坐る)おろく (廊下の奥をのぞき)そこに立ってるのは人間か棒杭か。薄ッ気味のよくねえ人達だ。苫屋 (ずかずかと出て来て)婆さん、今子供がここに入ったな。おろく 知らないね。お前さん方は何だね泊めてくれというのかい、お客様かい。大野木 (廊下の奥から出て)ヘン、助けておくれよ婆さん。俺達はまだこんな処へ泊る程コケてはいねえ。おろく 客じゃねえのか。客でもねえ者がずかずか入ってきて、何だい。出て行きな。苫屋 婆、愚図愚図いうない。俺をだれだと思ってやがる。聖天親分の処へ、助ットに来た下総の住人苫屋の半太郎だ。おろく 大きなことをいうない。聖天親分の処へ来たといやあ、この間中から縺れてる喧嘩に、腕貸しにきたばくち打ちだろう。大野木 婆さん。なりを見ても知れそうなものだ。おろく ばくち打ちを自慢そうに何をいやがるのだい。家で知ってる人なぞは、元はれっきとしたばくち打ちだったらしいが、噎にもそんな処は出さねえぞ。おやおや、この人達は土足であがりやがって。まあ呆れ返った。他人様の家へ土足で踏込む奴があるかい。聖天親分の処に来ている半太郎といったな。(大野木に)お前の名は何というのだい。大野木 向う息の荒い婆さんだ。おろく 名前はねえのか。苫屋 帰るからいいじゃねえか。大野木 これでなくちゃ安どまりの女房は勤まるめえ。(笑って出て行く)おろく 大きなお世話だ。手前チの世話にゃならねえ。潮花まいてやるぞ。(後から追うようにして行く)太郎吉 (障子をあけてのぞき)おっかちゃん。行っちゃったよ。おきぬ ああ、よかった。太郎吉 小父さんが居るといいのになあ。あいつ等、斬られッちまわあ。おきぬ 居なくって丁度よかった。居たらどんなことになったかわかりやしない。時次郎 (途方にくれつつ裏から入ってくる。急に気を取り直し、廊下へあがり障子をあける)太郎吉 小父さん。時次郎 あいよ。おきぬさん、まだ大丈夫らしいね。おきぬ ええ、まだ四、五日は。時次郎 シケたことをいうようだが、五、六日あとになってくれれば有難い。その中には何とか都合がつく。おや、そりゃ産衣かね。おきぬ ええ。ほんの型ばかり。みっともないなぞいってはいられませんからね。時次郎 (溜息をつく)太郎吉 小父さん、もう少し早くくればいいのに。時次郎 そうかい。小父さんは、ちっと用があって、うろついていたんだ。太郎吉 下総の家へ刀を抜いて来やがった奴が今来たよ。時次郎 え。(おきぬに)だれが来たんでござんす。おきぬ わたしは見ませんでしたけれど、苫屋の半太郎に大野木の百助の声らしゅうございました。時次郎 えッ、あいつ等が――。安兵衛 (安どまりの主人。外から帰ってきて、廊下へ出てくる)時さんはここかな。時次郎 ええ、ここにいます。安兵衛 今お前の部屋をのぞいた所さ。儲け口があるのだがどうだね。ちっと荒っぽ過ぎる仕事だがね。時次郎 銭にさえなれば骨惜みはしませんよ。仕事というのは何でござんす。安兵衛 うむ。その仕事か。(おきぬに気がねして)どうだい時さん、おいらの御殿へこねえか。渋茶でも飲ませよう。それから話そう。時次郎 へい。今直ぐ伺いますですが、日当は。さもしいようだが、何分この態たらくなので、三文だって余計欲しうござんすからね。安兵衛 これだ。(指を一本出す)昼夜十二刻ブッコ抜きだよ。時次郎 有難え。一分にありつけるか。安兵衛 違う違う一分じゃねえ。時次郎 (やや落胆して)一朱かね。安兵衛 違う違う一朱じゃねえ。一両だ。魂消たか。時次郎 うン、一両とは、魂消た。おきぬ 昼夜ブッコ抜きにしても一両とは。どんな仕事なんでしょう、少し心配だねえ。安兵衛 そりゃね、心配は心配な仕事さ。でなくて一両なんて出す訳がねえ。おきぬ どんな仕事でしょうか。聞かせてくださいませんか。安兵衛 (いい兼ねる)時次郎 は、はは。仕事はあっしがするのだ。産婦さんは黙って養生してるもんですぜ。なあおきぬさん。元の渡世へ戻りさえすれば、うぬに銭金は錏一文なくても、食う寝るには困らねえ。だが、三蔵どんのあの態を見るにつけ、やくざ渡世がふるふる厭になったというお前の料簡は、俺にも可成りピーンときたから、生れ故郷の追分をお前の絃で流しの稼ぎだ。それも今では出来なくなって見れば、やくざの道じゃ一ッ端のつもりでも、素ッ堅気の道にかけては取り柄のねえあっしだ。子供相手のおもちゃ売り、かすかな儲けで三人の口を、餬したり干したり、から意気地のねえ今だ。一両の日当と聞いては飛び立つばかりだ。仕事は何だか知らねえが、あっしも男一匹さ。やって見るから安心しなさるがいい。太郎坊、小父さんが一両儲けたら、うめい物を食わせるぞ。生れる赤ちゃんにも、木綿ながら新しいのを産衣に買おう。おきぬ す、済みません。(泣く)時次郎 ああ、泣いちゃいけねえ。泣かせるとていったのじゃねえ。あっしは勢いをつける積りでいったのだ。安兵衛 (黙って障子を閉め、自分の部屋へ行く)時次郎 一両ありゃ、お七夜に、鯛という訳にも行くめえが、お頭つきで祝えるよ。じゃおきぬさん、あっしは一両の口をきめてくる。おきぬ どうぞ何分お願いいたします。太郎吉、お前、小父さんにお辞儀をするんだよ。太郎吉 小父さん、頼むよ。時次郎 いいってことよ。(廊下へ出る)おろく (廊下の奥から出て来て)時さん。おとっさんが儲け口があるといってたが聞いたかい。時次郎 え。これから伺ってよく聞かして貰う処です。おろく そうかい。時さん。やくざの足を洗うだけあってお前はなかなか感心だよ。それにつけても、さッきの奴等は人間だか棒杭だか訳がわからない、一層棒杭の方が口をきかないだけに、ずっと優しだ。時次郎 なんかでまた腹を立ててますね。(おろくのあとに付き安兵衛の部屋へ入る)只今の一両の口を是非ともお世話なすってくださいまし。何しろ赤ン坊が生れる矢先でござんすから。へい。安兵衛 (渋面をつくり、煙草をくゆらせていたが)それがな時さん、駄目なんだ。時次郎 駄目。駄目じゃ困る。ね、どうして駄目なんでござんす。先方から断ってきたんでござんすか。おろく (茶を入れながら)おや、変な風向きになったね。安兵衛 断りになぞくるものか。向うじゃアテにしてる位のものだ。時次郎 じゃいいでござんしょう。あっしは行きていのだ、一両の金が咽喉から手が出る程欲しいのだ。安兵衛 だが、いけないよ。駄目だ。時次郎 何んで、いけねえ、駄目でござんすえ。安兵衛 やくざ渡世がふるふるお前は厭になった人だろう。だから駄目さ。時次郎 ええ。安兵衛 一両の口というのは、お前にもう一遍、やくざになれという話なのだったよ。時次郎 元のばくち打ちになれ一両やろう、というのでござんすか。安兵衛 昼夜かけて十二刻限り、ばくち打ちになれば日当が一両、とこういう話なのだ。時次郎 わかったようで、わからねえなあ。安兵衛 実は、お前の性根をおいらは買ってるのだから、いくらでも稼がせたいと思っているとな。それこの土地には八丁畷の徳さんという親分がある。一ト口に八丁徳さんという。もう一人互角の勢いの親分は聖天の権太郎さん、これを一ト口に聖権さんという。おいらも若い時馬鹿してやくざの飯をちっと食った。そんなことで今も八丁徳さんと懇意なのだが。(声を落して力を入れ)今度、八丁徳さんと聖権さんと喧嘩になった。もともとばくち打ちの喧嘩だ。意地だ、男の面が立たねえといった処で、理窟に振り代えてみると、なあに大したことはねえものさ。だが意地張りずくだから、坂を馳け出した車と同じことで、止めるに止まらねえというものさ。いやこいつは時さんにいう講釈じゃなかったっけ。時次郎 じゃあ、八丁徳さんに腕を貸せ、日当は一両、という話だったんでござんすか。安兵衛 八丁徳さんは後手に廻り、人数を集めたんだが散っていて碌に集まらねえ。そのことからおいらが思いつき、一人いい人を助ッ人に出すから、おいらに小遣いを一両くれろ、然し一昼夜限りでその人は返してくれといったんだ。時さんまさかお前が一両で雇われたんじゃ、顔が潰れるからと思ってなあ。時次郎 行こう。あっしを遣っておくんなさい。おろく 一両はまことにいいけれど、ばくち打ちの喧嘩に助ッ人に行くのはねえ。安兵衛 そこだ。おいらもツイふらふらと一両儲けさせたい一心で、思いついて八丁徳さんにいってしまったが、今になりゃ後悔だ。何しろドス竹槍でする喧嘩だ。命がけだからなあ。おろく おとっさん。下手して時さんが死にでもしてご覧。おきぬさんも生きてはいまいよ。安兵衛 年効もなく考えが到らなかった。時さんこの話は水に流しておくれ。時次郎 そうはいかねえ、あっしは行こう。日一両、結構だ。死んだら死んだで何とかしてくれるだろう。安兵衛 止めにしたらどうだなあ。時次郎 なあに行く、あっしは行く。命を庇うより一両が欲しい。(安兵衛に)今のあっしの料簡がわかってくれますか。安兵衛 わかるとも、時さん。お前、男だ。おろく ほんとだ。時次郎 (安兵衛に頭をさげ)じゃああッしのいうことを聞いておくんなさい。えッ何もいうな、聞いてくれ、合点してくれ。頼む、頼みだ。お頼み申す。(何事か囁く。夫婦はそれに応じて答える。おろくは手を振って拒む、やがて承知する)時次郎 じゃ、どうかお願いいたします。おろく この年になって始めて追分の三味線を弾くのかねえ。安兵衛 (コソコソと)糸道のあいてない婆さんが弾くてことは、年代記物だな。おろく 仕方がない。刻限一杯は、姪の処へでも行って油を売って胡麻化そう。安兵衛 とんだ藪入だ。時次郎 それで、聞き憎いことでござんすがその、一件は、金はどうなるので。安兵衛 金はまだ貰ってやしない。こうしよう。お前さんを連れて行って親分に引き合せ、おいらが一両貰って先へ帰り、おきぬさんに渡すとしよう。時次郎 そうしてくだされば大助かりでござんす、何分お願い申します。ちょいとおきぬさんに断って、直きに出かけますから。(安兵衛の部屋を出ておきぬの部屋へ)おきぬさん、芸は身を助けるだねえ。俺の追分を在方から一ト晩買いにきたって話だったよ。吾ながら驚いたよ。だが有難い、棄てられた気でいた世間には、拾ってくれる人もあったんだ。太郎吉 小父さん、どこかへ行くのかい、おいらも一緒に行こうか。時次郎 きょうはいけねえ。今度の時に連れて行くぜ。おきぬ 時さん、追分を唄わせて一両くれるのですか。時次郎 大枚一両をくれるとよ。こんないい口は外にはねえ。おきぬ そうかねえ。(見棄てられる気がして、沈黙)時次郎 じゃ行ってきまさ。坊やおっかちゃんのいうこと聞いて、温和しくしているんだぜ。太郎吉 おいら、行きていなあ。おきぬ 成ろうことならあたしも行きたい。時次郎 えッ。(喧嘩の助ッ人と知られたかと驚く)おきぬ 女は浅はかだ。いつ何時でも邪推がついて廻る、ご免なさい。堪忍してください。あたし達ゆえにあなたという人の自由が利かなくなったと、そればかり気にしているものだから、在方へ呼ばれて稼ぎに行く矢先にも、これっきりでどこかへ行ってしまやしないかと――。(泣く)時次郎 そいつは怨みだおきぬさん、俺が何でお前達母子を見棄てるものか。時次郎は故郷の沓掛を飛び出し、親兄弟に不人情をしている男だが、これでも何処かに情合だけは残っている人間なんだ。帰ってくるとも、帰ってくるとも、屹と、俺は帰ってくる。安兵衛 (出かける支度をしている)おろく (高座着と見せかける包をつくり安兵衛に指図され廊下へ出る)おきぬさん。お前の穴埋めに、あたしが三味線ひきに雇われちゃったよ。お前さんの三味線があるといいのだが、質にはいっていたっけね。それじゃ姪の処のを借りて行くとしよう。安兵衛 時さん、出かけよう。一件の刻限はお定まりだ。日が暮れてから明方までだろう。時次郎 直ぐ、あとから出かけますでござんす。安兵衛 おきぬさん、日当の金一両は確においらが受取って持ってくるよ。(おろくと共に出て行く)おきぬ (時次郎の手を握り)済みませんけど、後生だから、本当に帰ってきてください。お願い申します。太郎吉 小父さん、おいら寝ずに待ってらあ。時次郎 (太郎吉に)あすの昼までに屹と、帰ってくる。おきぬ (出て行く時次郎を障子の処まできて見送る)屹と、帰ってきておくんなさい。(廊下へ顔を出して)ね、後生ですお願いです。太郎吉 小父さん帰ってくるかなあ。おきぬ ああ。お前もそんな気がするのかい。(抱き緊めて泣く。やがて苦しみ出す)太郎吉 あッ大変だ。おっかちゃん、おっかちゃん。(廊下へ走り出して)小父さん、小父さん来ておくれ。時次郎 (引返し来たり)どうした。おっかちゃんどうかしたか。(おきぬを見て)こいつはいけねえ。(介抱する)安兵衛 (おろくと共に引返す)どうした。おきぬさん確りしなよ。おろく (笑って)騒いじゃいけない。逆上させるといけないよ。(安兵衛、時次郎に囁き介抱にかかる)時次郎 あ、そうか。(虫気づいたと知る)安兵衛 (廊下の奥に足音を聞きつけ)だれだ。博徒 (足拵え厳重に、廊下を爪先歩きして)火急の場合、失礼お許しを願います。八丁徳が申します。お話の助ッ人の方に、至急おいで願いたい――かようでござんす。安兵衛 直ぐ参ります。博徒 ご免なんして。(去る)時次郎 出掛けましょう。(引返しておろくに)頼みますぜ。おろく 男が居たって邪魔だ。行った行った。(おきぬを蒲団に坐らせ、枕を力にさせる)太郎坊、隣へ行って、おいらがいったってな、あすこの小母さん引ッ張ってきな。太郎吉 あいよ。(駆け去る)安兵衛 さあ行こう。こうなりゃ何より金が入り用だ。時次郎 違えねえ。おきぬさん。安心して待ってなよ。あすの昼は、赤ン坊の子守は俺がしてやるぜ。(外に騒ぎが起る)おや。安兵衛 日の暮れるのが待ち切れず、もう始めたな。おッ、方々の家で大戸を卸す音がする。時次郎 (安兵衛の手を掴み)間に合わねえと大番狂わせだ。安兵衛 表通りはもう行かれまい。裏通りがいい。こっちだ。こっちだ。時次郎 合ッ点だ。(桜の木の下を抜けて、安兵衛と共に走り出す)