一
若し私があなた方のような探偵小説作家だったら、之からお話しようとする事件を一篇の興味深い探偵小説に仕組んで発表するでしょう。然し単に一法律家に過ぎぬ私が、憖じ変な小説を書けば世の嗤いを招くにすぎないでしょうから、私は今、あなた方の前に事件を有りの儘にお話して見ましょう。そうして最後に、未だ世に発表された事のない不思議な手記を読んでお聞かせします。勿論私は、法律家として、弁護士として此の事件に関係したのですから、それに依って知り得た事実以外には、何等の想像も推測も附け加えずにお話します。従ってあなた方がお書きになる小説のような興味はないかも知れませんが、もしそうだったらどなたでも一ツ小説にして発表なさったらよいでしょう。そうなさる値打はありそうな話です。
先ず順序として其の事件の推移を申し上げましょう。事件というのは、斯う申せば直ぐお解りの事と思いますが、昨年の真夏の夜、相州K町で行われたあの惨劇です。当時都下の諸新聞がこぞって大々的に報道した事件ですから、無論皆さんはよく御承知でしょうが、もう一度記憶を新にする為に、ここで初めからお話して見ましょう。
昨年の八月十六日の夜、正確に云うと八月十七日の午前一時半頃――おぼえて居る方があるかも知れませんが、あの日は夕方から東京地方は大暴風雨でした――東京附近で避暑地として賑かなK町の或る別荘で恐ろしい惨劇が行われました。一体K町は昔から海水浴や避寒地として有名であるのみならず、近頃は上流中流の人々の住居なども出来て頗る繁昌して居ますが、殊に夏場はまず東京附近では第一等に人の出る所です。その賑かな土地の一角に突如として行われた惨劇ですから、人心に与えた衝動は非常なものでした。
惨劇の行われた家は小田清三という若い実業家の別荘で、悲劇の主人公は小田家の若い当主清三(当時三十三年)及びその妻道子(当時二十四年)の二人でした。一夜の中に此の二人の生命が惨らしく失われてしまったのです。
一体小田家は先代が貿易商をやって非常な財産を作ったのですが、清三は中学時代に其の父親を失って、あとは母の手一ツで育てられたのでした。生来余り丈夫でない為に大学を半途で退学して専ら身体の静養につとめて居ました。勿論大財産の主人ですから、中々忙しかったに違いありませんが、それも主として母にまかせて、自分は大抵K町の別荘の方に住んで居たのです。お坊っちゃん育ちの上に身体を大切にして育てられたので、そういう階級特有の我儘な所はありましたが、一体に無口な性質なので、余り人と争ったりするような事はなかったそうです。それから、又、非常に親しいという友もなく、金持ながら云わば淋しい生活をして居た人と云っていいでしょう。殊に一昨年の末頃から、前から悪かった肺の病が烈しくなった上、神経衰弱に罹ったので、妻と共にK町にずっと住って、東京には全く出ずに暮して居たのです。
妻の道子は数年前に亡なった有名な川上という大学教授のお嬢さんです。生れつき聡明な上に、非常な美人でした。あなた方の中には或いはお会いになった方もあるかも知れませんが、噂によるとK町に行ってからはK町の女王といわれた程の人だそうです。何と形容したらよろしいでしょうか、法律家の私には云いようがありませんが、兎に角、非常に美しく、而も此の頃の流行語を用いれば、所謂性的魅力を十分にもって居た人のようです。既に女学校在学当時から其の美しさは有名なもので、一度彼女を見たものは、凡てが彼女の讚美者となってしまったといってよい位だそうです。それ故、彼女の周囲にはその讚美者たる若き男が常に大勢集まって居ました。而も彼女は父を失ってからは一層自由に振舞って居たのですから、彼女を繞る若き人々――殊に男性はただひたすらに殖える一方でした。その中には或る若い独身の音楽好きの伯爵がありました。彼女が彼と屡々銀座を歩いて居る所を人々は見たのです。又、或る大政治家の息子で文学好きな青年は、度々彼女と共に劇場に姿を現わして、多くの人々を羨しがらせました。斯様な有様ですから、彼女が将来如何なる人の妻となるかという事は、一般に非常な問題とされて居たのです。
美しくて聡明で、大学教授の令嬢に生れ、音楽を解し、文学を解し、而も斯様に多くの人々と交際しながら、一度として品行について非難された事のない彼女ですから、伯爵夫人となるか、大政治家の嫁になるか、将又大実業家に見込まれてその伜の妻となるかは、殆ど彼女の意の儘に見えたのでした。
ですから、今から約三年程前に彼女が突然小田清三と結婚した時は、多くの人々は可なり驚かされました。勿論一方は非常な資産家の主人であり、一方は相当地位ある家の娘で、而も絶世の美人だというのですから、決して釣合わぬ縁というわけではなかったのでした。従って人々が意外に感じたのは其の点ではなかったのです。
ただ此の二人は結婚する迄、殆ど互に知らぬ人々だったのでした。つまり此の結婚は、純粋に我が国旧来の見合結婚だったのです。道子の性質を知って居る人々が驚いたのは無理もありません。あのようなモダーンな女が、どうしてそんな結婚をしたのか、全く人々には意外でした。道子と交際して相当自信をもって居た人々の失望は云うまでもありません。
斯ういう多くの人々の驚きの中に、然し両家は着々と此の縁談を進め、軈て間もなく此処に若い一対の立派な夫婦が出来上ったわけなのです。
道子を知って居た人々の中には、あれは真の道子の意志ではあるまい、案外有るように見えて無いのが金だから、或いは道子は、家の犠牲となって資産家の所へ嫁したのだろうというものもありました。之はあながち根拠の無い説ではありますまい。殊に聡明な女は可成りそういう事を考えるものですから。