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死者の権利
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死者の権利
浜尾四郎
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Original Public Domain
Chapter 6 of 15

六

これから後は甚だ法律的であります。本筋通り直ちに予審判事と当時検事であった私がかけつけました。

強制処分は予審判事の命令によって行われ、まもなく小夜子の死亡の原因についても調査その他が遂行されました。

小夜子は中々の美人で耳かくしに髪を結っており、身体はやや大柄でした。咽喉の所にひどく抑えられた痕が残っておりましたが、致命傷は後頭部の打撲傷で、外出血よりも寧ろ脳震盪によって死の結果を惹起したものです。

つまり春一に力任せに突き飛ばされて仰向きに仆れた途端に、壁に接していた大形のガスストーヴの鋼鉄に烈しく頭部を打っ突けて、即死したものであることが判明しました。

後に春一は私に対し、以下の如くに述べております。

「私とS法学博士の娘と結婚するという噂が知れますと、始めの中は小夜子は、頻りと私に手紙をよこしまして、そんなことは信じられない、又信じ度くもない、という様なことをいって来ました。所が暫らくたちましてから突然脅迫のような手紙をよこし出しました。又会いますと――会う場所は一定しておりませんでした――同じようなことを申します。つまり、もし私がこの儘小夜子と別れるならば、小夜子は黙って引き下らない、必ず仇討をする、その第一として私が彼女に送った多くの手紙を全部S博士方に持参して何もかもばらしてしまう、というような事を申すのでした。

これに対して私は、いつもはっきりした返事を与えませんでした。勿論彼女のいうようなことをされては私は非常に困りますし、当時うっかりしたことを申したら、小夜子は実際何をするか判らなかったのです。

一体小夜子という女は、所謂カフェーの女としてティピカルな女です。男なんか何とも思ってはいないんです。従って私に真実惚れていた筈はありません。第一もしほんとうに惚れているとしたら、こんな脅迫めいた文句の手紙なんか送って来られたものではないのです。私は今更あんな女に引っかかったことをひどく後悔しております。

夫婦約束といったって勿論いいかげんなものです。こんなことは常識で考えたってよく判る話です。あんな女とほんとうに夫婦になれるわけはありません。成程御示しの通りの手紙をやったことはあります。しかしそれは、カフェーの客がカフェーの女と恋愛遊戯に耽る時にするものでお互に本気になってそんなことを考えていたわけではありません。

腹の子だって勿論誰の子だか判ったものではないのです。芸者だのカフェーの女の腹の子をいちいち自分の子だと信じるのは余程馬鹿な男のすることでしょう。

一言でいえばむこうがむこうだから、此方も此方だったという次第です。

と、申しましても私のような家のものが、カフェーの女と関係して無事に別れられるとは思ってはおりませんでした。多少の金は出さなければなるまい、とは考えていたのです。然しこの度は相手の出方が如何にもひどいので、私もわざと自分から金の話には触れませんでした。

之は少し穿ち過ぎた推測で恐縮ですが、私の所にあんなに度々脅かしの手紙をよこしたのは小夜子一人の智恵ではないかも知れません。会ったことはありませんが、何でもひどく性質の悪い兄がどこかのガレージに勤めているという話ですから、多分その男の入智恵ではないかと思われるのです。其奴が後についていて、小夜子をツツいたのでしょう。私なんかはいい食い物ですからね。

そこで段々脅かしの文句が烈しくなりますし、一方私の結婚問題も段々具体化してまいりましたので何とか女の始末をつけなければならなくなったのです。すると今度は小夜子から腹の子のために何とかしてくれなければ困る、というようなことを申して来ました。

それは十一月の半ごろでした。

私はいよいよ来たな、と思いました。勿論手切金の問題です。それと子供の養育費です。ただどの位小夜子が申し出して来るかということは一寸わかりませんでした。

と同時に私としては一方大変安心はしたのです。金さえ出せば話はつく、父だってこの際相当の金は出してくれるでしょう。そうすればまずまずうまく話はつくだろうと思いました。

小夜子からまたの手紙には一言も金のことについては触れておりません。さすがに小夜子も気がひけるのでしょう。然し時々会見を申し込んで来るので会いますと、その時は、はっきりと金のことをいうのです。或る時とうとうはっきり額をいい出しました。手切金として千円、子供の養育費として取りあえず二千円くれと申すのでした。

私はこんな話は値切れば無論値切れると考えていましたが、ともかくそんなに急に今は出せぬと申しますと、彼女はその日ははっきりした返事はせず、そのまま別れました」

どうです、カフェーの女に対する春一の気持は兎も角徹底したものではありませんか。ただひどくことを簡単に考えていますね。尤もこれまでの春一の供述が果してどの程度まで真実であるかどうかは別ですけれど。

扠、犯罪当日のことについては次のようにのべています。

「小夜子から最後に来た手紙はごらんの通り、急用があるから某所に来てくれ、ということをいっているだけでこれは速達便であります。私はいよいよ談判を定めるために出かけました。そうした手切金の一部として五百円やるから、私から出した手紙をもって来てくれるように、よそからカフェー・パローマに電話をかけました。(彼女はその時店におりましたから)

指定の場所に着いたのは午後六時ごろでした。彼女は何とか店にいって出て来たのでしょう。それから森の中を歩いたり、野の草をふみ歩きながらいろいろと語りましたが、彼女はあくまで金の問題を固執するのです。それで日は暮れるし寒くはなるので、よく行ったNホテルで話をしようじゃないかということに定まりました。勿論談判さえすめば直ぐに帰る気だったのです。

われわれが着いたのは夜の七時ごろでした。かねて私らを知っているホテルでは、直ぐに空いていた七号室に案内してくれました。私はともかく今日こそ判然と、ことをきめようと思ったので勇気をつけるためウイスキーを注文しました。私は小夜子が酒を呑むことを知っていますので炭酸水をも注文したのでした。

ウイスキーが来てから私は生のまま三杯ぐっとやりました。小夜子も炭酸水にウイスキーを入れて呑みました。彼女は酒も煙草も平気でやる女です。これで大ていその性質がお判りでしょう。

それから差し向いで約一時間位語り合いましたが、この時の小夜子の話は殆んど全部が金のことや、その他の物質的なことで持ち切っていました。

つまり少しでも余計に取ろうというのです。彼女としては当然ですが、その時の態度はまるっきり淫売同然で、恋だの愛だのを少しでも捧げた男に対する様子はありませんでした。

こうやって一時間ほどの間、小夜子は泣いたりおどかしたりいろんなまねをやりました。私はとにかくこっちからことを破っては損ですから、出来るだけ穏かにすますようすかしたり、説き付けたりしたのでした。

私はあくまで千円以上の金は出せない、半分は今でもやるから俺のやった手紙を出せ、と申したのです。

ところが兎に角五百円は貰っておくからといいますので、袋に入れたまま五百円を渡して、手紙を渡せと申しますと、今は無い、と答えます。それでは約束が違うじゃないか、というわけで烈しい争論になりました。すると彼女はしまいに目の色をかえて、お前のような青二才に馬鹿にされてたまるものか、何もかもどうでもなっちまえ。もうこうなったら殺しちまう! と叫びながら側にあったウイスキーの壜をとって打ってかかりました。私は驚いてその腕を押えたので烈しい喧嘩になったのです。

いいえ、脅かしではありません。私はほんとうに小夜子が私を殺す気だったと信じます。その時もむろんそう信じました。それで私は驚いて、『貴様、殺す気か』と叫んだと思います。『貴様殺すぞ!』といったおぼえは絶対にありません。もし私がそういうのを聞いたという人があれば、それはその人の誤りです。

取っ組合になりましてから、彼女は夢中で私に掴みかかりましたので、私は小夜子を引き離そうとしましたが、彼女が死力を出してしがみついて来るので、やむなく首を右手で下から捕えて引きはなしました。その時、小夜子がどんなに乱暴に私に食って掛ったかは御らんの通りの私の腕の傷痕でお判りでしょう。それで私は腹立ちまぎれに小夜子の首を掴んだまま力まかせに前へ突き離すと、その勢いで彼女はよろよろとよろめきながら仰向けに仆れたのです。あッという間に燃え盛っていたガスストーヴの所に頭を打っ付けて、ガチャンという音と一緒に気味の悪いさけびを一声うめいたまま動かなくなったのであります。

はっきり申し上げておきますが、私は彼女を殺す気は少しもありませんでした。殺すといったおぼえもなければ、また殺す気もなかったのです。私はむしろ彼女を殺した所で私には何の利益もありません。否、絶対に他人に発見されぬように小夜子を殺し得れば格別、さもなければ小夜子に傷一つつけても、秘密がばれる場合です。私はそれ故、小夜子を殺そうなどと思ったことはありませぬ。もし殺す様だったら、何の必要があってホテルになど行きましょう。あの郊外の草原の中で絞殺したってすむわけなのです。全く私が自分を防ぐためと、腹立まぎれに乱暴をしたのが、この間違いを惹き起したのでした。それにその際ウイスキーを大分のんでいたのもいけなかったと考えます」

須山春一が私に述べた所は、要するに右のようなもので、勿論警察、検事局、予審廷、公判廷と、言葉はおのおの違っておりますが法律的にいえば、全く主旨は同じでありました。

Chapter 6 of 15
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