Chapter 1 of 67

なるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容所で別れて、税関の倉庫に近い、荒物屋兼お休み処といつた、家をみつけて、そこで独りになつて、ゆき子は、久しぶりに故国の畳に寝転ぶことが出来た。

宿の人々は親切で、風呂をわかしてくれた。小人数で、風呂の水を替へる事もしないとみえて、濁つた湯だつたが、長い船旅を続けて来たゆき子には、人肌の浸みた、白濁した湯かげんも、気持ちがよく、風呂のなかの、薄暗い煤けた窓にあたる、しやぶしやぶしたみぞれまじりの雨も、ゆき子の孤独な心のなかに、無量な気持ちを誘つた。風も吹いた。汚れた硝子窓を開けて、鉛色の雨空を見上げてゐると、久しぶりに見る、故国の貧しい空なのだと、ゆき子は呼吸を殺して、その、窓の景色にみとれてゐる。小判型の風呂のふちに両手をかけると、左の腕に、みみずのやうに盛りあがつた、かなり大きい刀傷が、ゆき子をぞつとさせる。そのくせ、その刀傷に湯をかけながら、ゆき子はなつかしい思ひ出の数々を瞑想して、今日からは、どうにもならない、息のつまるやうな生活が続くのだと、観念しないではなかつた。退屈だつた。潮時を外づした後は、退屈なものなのだと、ゆき子は汚れた手拭ひで、ゆつくり躯を洗つた。煤けた狭い風呂場のなかで、躯を洗つてゐる事が、嘘のやうな気がした。肌を刺す、冷い風が、窓から吹きつけて来る。長い間、かうした冷い風の触感を知らなかつただけに、ゆき子は、季節の飛沫を感じた。湯から上つて部屋へ戻ると、赤茶けた畳に、寝床が敷いてあり、粗末な箱火鉢には炎をたてて、火が熾つてゐた。火鉢のそばには、盆が出てゐて、小さい丼いつぱいにらつきようが盛つてある。ぐらぐらと煮えこぼれてゐるニュームのやかんを取つて、茶を淹れる。ゆき子はらつきようを一つ頬張つた。障子の外の廊下を、二三人の女の声で、どやどやと隣りの部屋へ這入つて行く気配がした。ゆき子はきき耳をたてた。襖一重へだてた部屋では、一緒の船だつた、芸者の幾人かの声がしてゐる。

「でも、帰りさへすればいゝンだわ。日本へ着いた以上は、こつちの躯よ、ねえ……」

「本当に寒くて心細いわ。……あたい、冬のもの、何も持つてやしないもンね。これから、まづ身支度が大変だよ」

口ほどにもなく、案外陽気なところがあつて、何がをかしいのか、くすくす笑つてばかりゐる。

ゆき子は所在なく寝床へ横になつて、暫く呆んやりしてゐたが、気が滅入つて、くさくさして仕方がなかつた。それに、何時までたつても、隣室の騒々しさはやまなかつた。べとついた古い敷布に、ほてつた躯を投げ出してゐるのは、気持ちのいゝことであつたが、これからまた、長い汽車旅につくといふことは、心細くもあつた。肉親の顔を見るのも、いまではさして魅力のある事ではなくなつてゐる。ゆき子は、このまゝまつすぐ東京へ出て、富岡を尋ねてみようかとも思つた。富岡は運よく五月に海防を発つてゐた。先へ帰つて、すべての支度をして、待つてゐると約束はしてゐたのだが、日本へ着いてみて、現実の、この寒い風にあたつてみると、それも浦島太郎と乙姫の約束事のやうなもので、二人が行き合つてみなければ、はつきりと、確かめられるわけのものでもない。船が着くなり、富岡のところへ電報も打つた。三日間を引揚げの寮に過して、調べが済むと、同時に、船の者達は、それぞれの故郷へ発つて行くのだ。三日の間に、富岡からは返電は来なかつた。これが逆であつてみても、同じやうな事になつてゐるのかもしれないと、ゆき子は何となく、あきらめてきてもゐた。ひとねいりしたが、まだ時間はあまりたつてゐない。障子が昏くなり、部屋のなかに、燈火がついてゐる。隣りでは、食事をしてゐる様子だつた。ゆき子も腹が空いてゐた。枕許のリュックを引き寄せて、船で配給された弁当を出した。茶色の小さい箱のなかに、四本入りのキャメルの煙草や、ちり紙、乾パン、粉末スープ、豚と馬鈴薯の罐詰なぞが、きちんとはいつてゐる。その中からチョコレートを出して、ゆき子は、腹這つたまゝ齧じつた。少しも甘美くはなかつた。

――ドウソン湾の紅黄ろい海の色が、なつかしく瞼に浮ぶ。ドウソンの岬の、白い燈台や、ホンドウ島のこんもりした緑も、生涯見る事はないだらうと、ゆき子は、船から焼きつくやうに、この景色に眼をとめてはゐたが、そんな、異郷の景色もすつかり色あせてきて、思ひ出すのも億くふであつた。隣室の女達は、夜汽車で発つのか、食事が終ると、宿のおかみさんに、勘定を払つてゐる様子だつた。ゆき子は騒がしい隣室の様子を聞きながら、粉末スープを湯呑みにあけて、煮えた湯をそゝいで飲んだ。残りのらつきようも食べた。軈て女達は、お世話さまになりましたと、口々に云ひながら、おかみさんの後から廊下を賑やかに通つて行つた。女の声を聞いてゐると、ゆき子は、あの女達も、それぞれの故郷へ戻つて行くのだらうと、誘はれる気がした。ゆき子が、船で聞いたところによると、芸者達は、プノンペンの料理屋で働いてゐたのださうで、二年の年期で来てゐた。芸者とは云つても、軍で呼びよせた慰安婦である。――海防の収容所に集つた女達には、看護婦や、タイピストや、事務員のやうな女もゐたが、おほかたは慰安婦の群であつた。こんなにも、沢山日本の女が来てゐたのかと思ふほど、それぞれの都会から慰安婦が海防へ集つて来た。――幸田ゆき子はダラットとドュランの間にある、パスツール研究所の、規那園栽培試験所のタイピストとして働いてゐた。昭和十八年の秋、ダラットに着いたのである。この地は海抜高一・六〇〇米位で、気温も最高二五度、最低六度位で、高原地帯のせゐか、非常に住みいゝところであつた。仏蘭西人で茶園を経営してゐるものが多く、澄んだ高原の空に、甘い仏蘭西の言葉を聞くのは、ゆき子には珍しかつた。

ゆき子はふつと、富岡へ手紙を書かうと思つた。どんな事を書いていゝかは、判らなかつたけれども、書いて行くうちには、何とか心がまとまつて来さうであつた。富岡と同じ土の上に着いてゐるのだと思ふと、海防の収容所で、心細く虚無的になつてゐた気持ちも、少しづつ立ちなほつてきさうである。ゆき子は店の子供に頼んで、レターペエパアと封筒を買つた。

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