Chapter 1 of 4

私は諸君に、このなんとも説明のしやうのない淺草公園の魅力を、出來るだけ完全に理解させるためには、私の知つてゐるかぎりの淺草についての千個の事實を以てするより、私の空想の中に生れた一個の異常な物語を以てした方が、一そう便利であると信ずる。ところで、さういふ物語をするためには私に二つの方法が可能だ。それはその物語を展開させるために必要な一切の背景を――たとへば劇場とか、酒場とか、宿屋などを全く私の空想の偶然に一任してしまふか、或ひはまた、さういふ背景だけは實在のものを借りてくるかである。そして私にとつては、むしろ後者の方が便利のやうに思へる。何故なら、私は經驗から、空想といふものは或る程度まで制御されればされるほど強烈になつて行くといふことを、知つてゐるからである。

さて、私がこの物語を、最近の流行に從つて、近頃六區の人氣の中心となりつつある、カジノ・フオリーの踊り子たちのところに持つて行くのを、許していただきたい。事實は、私は彼女たちについて何も知らないのだ。そして私がこの物語を物語らしくするために、敢へてそれの無作法になるのも顧みないであらう、彼女たちに關する私の空想は、當の彼女たちをして怒らせるどころか、無邪氣な彼女たちをしてただ笑はさせるに過ぎないだらう。私はそれを信じるのである。

諸君の大部分はすでに御承知だらうが、そのカジノ・フオリーといふのは、六區の活動寫眞街からやや離れたところに、いつも悲しいやうな愉快なやうな樂隊の音を立ててゐる木馬館と竝んで立つてゐる、水族館の階上にあるのである。水族館といつても、それはほんの名ばかりで、或ひは私が夜間しかそこに這入らないせゐか、ほとんど水槽のなかに魚の泳いでゐるのをば、私は見たことがないのである。しかしよく見てゐると、十分に光線の行きとどいてゐない岩のかげに、眠つてゐるのであらうか、その岩と同じやうな色をした身體をぴつたりくつつけてゐる、いくつかの魚等を見つけることが出來た。そしてそのそれぞれには一々むづかしい名前がつけられてゐるが、私はそれを一つも覺えてゐない。二階のカジノ・フオリーに出這入りするために、この水族館のなかを通り拔ける人々は多かつたが、わざわざここに立ち止つて魚等を見て行かうとする人は、ほとんど無かつたと言つていい。

埃つぽい木の階段を、下駄の音を氣にしながら上つて行くと、いきなり、人々の頭ごしに(彼等はうしろの方の椅子がたくさん空いてゐるのに、それに腰かけずに、立つたまま、舞臺を見てゐるのである)、音樂が聞え、踊り子たちの踊つてゐるのが見えるのだ。初めてそこに這入つた人は、よくそのうしろの方の空席に腰を下さうとしたが、すぐその椅子がぐらぐらしてゐて危險だつたり、或ひはその覆ひに大きな孔があいてゐて、そこから藁屑がはみ出してゐて、それがすぐ着物にくつつくのに氣がついて、再びそこから腰を持上げてしまふのだつた。そして全體の見物席はといへば、二百人位しかはひれないその二階と、それから百人位しかはひれない上の三階と、それだけだつた。私はいつも三階に上つて見ることにしてゐた。最初、私がここに通ひ出してゐたときは、私はよく二階のもつとも舞臺に近い席に割り込んでいつて、彼女たちの脚の間から彼女たちの踊るのを見上げるやうにしてゐたが、さうすると、踊り子たちが脚を上げる度毎に舞ひあがる舞臺のひどい埃りを、厭でも吸はなければならなかつたので、それにすつかり閉口して、今度は、三階のもつとも舞臺に近い席から、そしてほとんど踊り子たちの眞上から、彼女らの踊るのを見下すことにしてゐた。

踊り子たちの大部分は十四から二十ぐらゐまでの娘たちだつた。彼女らは金髮のかつらをつけ、厚化粧をし、そして某新劇團のお古だと言はれる、それほど上等に見える衣裳をつけてはゐたが、彼女らの前身は、恐らく、女工とか、子守娘とか、或ひはそれに近いやうな裏店の娘だつたのに違ひない。そして彼女らの大部分は、恐らく、その歌の卑猥な意味をはつきり知らずにさういふ歌を歌ひ、その動作の淫らな意味をはつきり理解せずにさういふ踊りを踊つてゐるのかも知れない。彼女らの喉をしめつけるやうなフツトライトのなかで、彼女らは兩手を頭のうしろに組み合せながら、胸を出來るだけ膨らますのである。しかし彼女らの胸はまだ小さい。……そしてさういふすべてのものが、このカジノ獨特の、何とも言ひやうのない魅力のある雰圍氣をば、構成してゐたのである。

私はときどき踊り子たちから眼を離して、彼女らを熱心に見まもつてゐる見物人たちを見はした。それはほとんど男ばかりだつた。彼らの大半は、職工らしいもの、會社員らしいもの、學生らしいものが、占めてゐた。私自身が毎晩のやうにここに來るお蔭で、それらの人々の中から、私は所謂「定連」といふべき人々を、容易に見出すことが出來るのであつた。たとへば、階下の隅の方の柱に靠れて、いつもニヤニヤ笑ひながら、舞臺を眺めてゐる一人の浮浪者だの、丁度私と對蹠をなした三階の向側に陣取つて、必らず「葉ちやん!」と、踊り子の一人の小松葉子といふのに、聲をかける一人の自動車運轉手だの、等、等……。

ところで、この頃になつて、さういふ定連が、また一人、急に殖えたのである。それは私の知つてゐる他の定連とは、全然別種類の、二十をすこし過ぎたばかりの、色の淺黒い美少年だつた。彼はいつもハイカラな縞の洋服をつけ、大き過ぎる位のハンチングを眞深かにかぶり、三階の隅の柱によりかかりながら、注意深く舞臺の上を見下してゐるのだ。彼はときどき好んで亂暴な身振りをしたが、それのどことなく不自然な感じは、男裝した女だつたならば恐らくかうでもあらうかと想像されるほどだつた。

その少年の姿を私がそのカジノで見かけるのは、ほとんど毎晩のやうになつた。

ときどき私は、友人たちとの會話に、その少年のことを話題にすることがあつた。或者は、彼が閉場たのちの水族館の樂屋口の前に一人でぢつと佇んでゐるのを見かけたと言つた。また或者は、彼がカフエ・アメリカで女給たちに取圍まれながら酒を飮んでゐるところを見たとも言つた。また或者は、彼と瓜二つの顏をした、洋裝の女とすれちがつたが、そのとき一寸それが彼自身であるかのやうな氣もしたが、ずつと老けて見えたから、きつと彼の姉だつたのに違ひない、などとも言つた。――とにかく、その少年がカジノの踊り子の誰か一人に夢中になつてゐるらしいのは、もはや疑ふ餘地がなかつたのである。

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