Chapter 1 of 10

無花果のある家

私は自分の幼年時代の思い出の中から、これまで何度も何度もそれを思い出したおかげで、いつか自分の現在の気もちと綯い交ぜになってしまっているようなものばかりを主として、書いてゆくつもりだ。そして私はそれらの幼年時代のすべてを、単なるなつかしい思い出としては取り扱うまい。まあ言ってみれば、私はそこに自分の人生の本質のようなものを見出したい。

私は四つか五つの時分まで、父というものを知らずに、或る土手下の小さな家で、母とおばあさんの手だけで育てられた。しかし、その土手下の小さな家については、私は殆ど何んの記憶ももっていない。

唯一つ、こういう記憶だけが私には妙にはっきりと残っている。――或る晩、母が私を背中におぶって、土手の上に出た。そこには人々が集って、空を眺めていた。母が言った。

「ほら、花火だよ、綺麗だねえ……」みんなの眺めている空の一角に、ときどき目のさめるような美しい光が蜘蛛手にぱあっと弾けては、又ぱあっと消えてゆくのを見ながら、私はわけも分からずに母の腕のなかで小躍りしていた。……

それと同じ時だったのか、それとも又、別の時だったのか、どうしても私には分からない。が、それと同じような人込みの中で、私は同じように母の背中におぶさっていた。私はしかしこんどは何かに脅かされてでもいるように泣きじゃくっていた。私達だけが、向うから流れてくる人波に抗らって、反対の方へ行こうとしていた。ときどき私達を脅かしているものの方へ押し戻されそうになりながら。そしてその夢の中のようなもどかしさが私を一層泣きじゃくらせているように見えた。――それは自家が火事になって、母が私を背負って、着のみ着のままで逃げてゆく途中であったのだ。……

その当時には、まだその土手下のあたりには茅葺屋根の家がところどころ残っていたが、或る日、花火がその屋根の一つに落ちて、それがもとで火事になったのである。――ずっと後になって、私はそんなことを誰に聞かされるともなく聞いて、それをいつか自分でもうろ覚えに覚えているような気もちになっていたと見える。しかし私はそれを誰にも確かめたわけではないから、ことによると、唯そんな気がしているだけかも知れないのだ。一体、私はそういう自分の幼時のことを人に訊いたりするのは何んだか面映ゆいような気がして、自分からは一遍も人に訊いたことはない。そして私はそれらの思い出がそれ自身の力でひとりでに浮び上がってくるがままに任せておくきりなのだ。

そんな私のことだから、その頃のことは他には殆ど何一つ自分の記憶には残っていない。そういう中で、唯一つ、前述の記憶だけが妙にはっきりと私に残っているというのは、その火事の話が事実でないとすれば、恐らく昼間のさまざまな経験が寄り集って一つの夢になるように、自分のまだ意識下の二つの強烈な印象が、その他の無数の小さな印象を打ち消しながら、そうやって一つの記憶の中に微妙に融け合ってしまっているのかも知れない。(註一)

私の意識上の人生は、突然私の父があらわれて、そんな佗住いをしていた母や私を迎えることになった、曳舟通りに近い、或る狭い路地の奥の、新しい家のなかでようやく始っている。そこに私達は五年ばかり住まっていたけれど、その家のことも、ほんの切れ切れにしか、いまの私には思い出せない。が、その頃の事は、その家ばかりではなく、私に思い出されるすべてのものはいずれも切れ切れなものとして、そしてそのために反ってその局所局所は一層鮮かに、それらを取りかこんだ曖昧糢糊とした背景から浮み上がって来るのである。

私のごく幼い頃の、父の姿も、母の姿もあんなによく見慣れていた癖に、少しもはっきりと思い出せない。しかし、そのころ皆で一しょに撮った何枚かの写真の中の彼等の姿だけは、ときおりしかそれを取り出して見なかったせいか、いまでも私の裡にくっきりと――それだけ一層実在の人物から遠ざかりながら――蘇ってくるのである。震災で何もかも焼いてしまったそれらの写真には、大概、椅子に腰かけた母と、その椅子の背にちょっと手をかけながら立っている父との間に、小さな私はいつも口をきっと結んで、ちょこんと立っている。青い天鵞絨の帽子をかぶらないで、それを唯しっかりと手に握りながら。(その大好きな帽子なしには私は決して写真を撮らせなかった……)

それらのアルバムの中に、それだけ何んだか他のとは不調和なような気のする、一枚の小さな写真があった。それは私の母の若いときのだという、花を手にした、痩せぎすの女の肖像だった。おひきずりの着物をきて、坐ったまま、花活けを膝近く置いて、梅の花かなんか手にしている。……それが母の二十ぐらいのときのだという。が、小さな私にはどうしてもその写真の人が私の母だとはおもえなかった。そしてそれからずっと後までも、私はそういう若い女の姿で自分の母を考えることは何か気恥しくって出来ずにいた。

そういう父や母の姿にひきかえて、おばあさんの姿は、その懐かしい顔の一つ一つの線から皺枯れた声まで、私の裡に生き生きと残っている。母が父と一しょの家に住まうようになってから、おばあさんはずっと私達のところに居きっきりではなしに、ときおりしか姿を見せなくなったから、反ってそうなのかも知れない。おばあさんはそうやって私達の家に一月位ずつ泊っていては、又いつか私の知らない裡に其処から居なくなっているのだった。――何かの拍子に、そのおばあさんの居ないことをしみじみと感じると、私はときどき彼女を無性に恋しがって泣いた。私は誰よりもおばあさんに甘えていたせいばかりではなかった。私には年とった彼女が私達の居心地のいい家にいないで、何処かよその家に行っているのが、何んだかかわいそうな気がしてならないのだった。そうやって私が彼女のために泣き、彼女を恋しがっていると、或る日またひょっくりとおばあさんは私の前に現れるのだった。

おばあさんは私の家にくると、いつも私のお守りばかりしていた。そうしておばあさんは大抵私を数町先きの「牛の御前」へ連れて行ってくれた。そこの神社の境内の奥まったところに、赤い涎かけをかけた石の牛が一ぴき臥ていた。私はそのどこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった。「まあ何んて可愛いい目んめをして!」なんぞと、幼い私はその牛に向って、いつもおとなの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私に何んともいえない滑らかな快い感触を与えたものらしかった。……

その神社の裏は、すぐ土手になっていて、その向うには大川が流れていた。おばあさんはその土手の上まで私の手を引いて連れていってくれることはあっても、もしかして私が川へでも落ちたらと気づかって、いつも土手のこちらから、私にその川を眺めさせているきりだった。そうしていても、葦の生い茂った間から、ときどき白帆や鴎の飛ぶのが見えた……

子供の私はそれだけで満足していた。そして決して他の子供たちのようにおばあさんの手をふりほどいて、もっと川のふちへ行きたがったりして、おばあさんを困らせるような事は一度もしなかった。子供たちの持つすべての未知のものに対するはげしい好奇心は私にも無くはなかったが、内気な私はそのためにおばあさんを苦しめるような事までしようとはしなかった。二人は互にやさしく愛し合っていた。そして私はいつもおばあさんが木蔭などにしゃがんだまま、物静かに、何か漠とした思い出に耽っているそばで、おとなしく鴎の飛ぶのを見たり、石の牛を撫でたりしていた。

その頃私達の住んでいた家のことを思い出そうとすると、前にも書いたように、それはごく切れ切れに――例えば、秋になるとおいしい果実を子供たちに与えてくれた一本の無花果の木や、そのほかは名前を知らないような木が二三本植わっていた小さな庭だとか、いつも日あたりのいい縁側だとか、そこから廊下つづきになった硝子張りの細工場だとかが、――一つ一つ別々に浮んでくるきりである。そしてそういうものよりも一層はっきりと蘇ってきて、その頃のとりとめのない幸福を今の私にまでまざまざと感じさせるものは、私の小さいブランコの吊してあった、その無花果の木の或る枝の変にくねった枝ぶりだとか、あるときの庭土の香りだとか、或いはまた金屑のにおいだとか、そういった一層つまらないものばかりだ。……

私の父は彫金師だった。しかし、主にゴム人形だとか石鹸などの原型を彫刻していた。父がいつも二三人の弟子を相手に仕事をしている細工場へ私は好んで遊びに行った。「また坊主か。」父は私を見ると、いつもにっこりして、金屑だらけになった膝の上に乗せてくれ、しばらくは父の押木の上に一ぱいに散らかっている鉄槌だの、鏨だの、鑢だのを私にいじらせてくれた。が、それを好いことにして、私がだんだん父の膝を離れて、他の弟子たちの前まで出かけて行き、そこいらの押木の上に乱雑に積んであるものなどを手あたり次第にいじくり出していると、「こら、坊主……」とこんどは父に叱られて、すぐ私はその細工場から追い出されてしまうのだった。が、その細工場じゅうに何処とはなしに漂っていた金屑のにおいなしには、もはや自分の幼時を思い出せない位、私はいつかそれ等のにおいを身につけてしまっていたのだった。

が、あんまりちょいちょいその細工場へ行ったりすると、私はしまいには其処にあるものをいじくらないように、見本にきている綺麗な外国製のゴム人形などをあてがわれた。しかしそんなちゃんとしたものよりも、いま父のこしらえかけている、まだ目も鼻もついていないような、そっけない人形の原型の方が、ずっとかわいらしくて好きだった。が、私はそれが自分の力ではなかなか持ち上がらないことを知ると、こんどはその人形をただ自分の手で撫でてやっているだけで満足した。しばらくそうやって撫でてかわいがってやっていると、その異様に冷たかったものが、ほんの少しずつ温かみを帯びてくる。そのほのかな温かみが――私自身の生の温かみのようなものが――子供の私にもなぜとも知れずに愉しかった。……

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