Chapter 1 of 4

有名な諜報員ニュートン・ムーアがうきうき気分で早々と朝食に降りてきた。今日の休日計画は決して悪くない。さらに今回の朝食だけはハラハラせず食べられる。

ふと頭の中で思い描いた光景は、クロベリへ通じるホビイ・ドライブ道やら、柔らかいピリッとくる海老やら、ニュー・イン宿の壁にかかる食器の青光りやら……。

任務上、毎日ざっと目を通すのが、警視庁から送ってくる殴り書きの書類だ。紙に書かれた名前は各国の悪漢、任務次第で使える。ロンドンに潜伏する異国のならず者をあれこれ知っていれば、捜査上おおいに役立つことがよくある。

ほとんど無意識に数名を暗記した。誰も使う予定はないけど、癖だった。それから新聞を広げて読み始めた。思わずうなった。味見もしてない朝食をどけて、つぶやいた。

「休暇どころじゃない、これは絶対警察案件じゃないなあ。今にも呼びつけられるぞ」

ムーアの生活を一変させる記事が大見出しで踊っていた。

「外務省で変事」

「ゴードン・メイン次官殺害か」

昨夜遅く、我社の情報によれば、外務省のゴードン・メイン事務次官が執務室で残酷に殺害されているのが発見された由。状況から、不運に見舞われた次官は夕食後、重要書類を緊急処理するために執務室に籠ったものと思われるが、通常そんな遅い時間帯は無人である。夜十時、メイン氏は友人のコンスタンス大佐によって発見された。同氏が指定時間に迎えに行くことになっていた。死体は床に横たわり、心臓近くの傷口から出血していた。争った跡が見られ、死亡した次官は必死に抵抗したことが明白である。犯罪動機はまだ分かってない。我社の記者がコンスタンス大佐に聞いたところ、取材拒否にあったからである。

ムーアはテーブルを片づけて、警視庁提供の名簿を熱心に調べ始めた。直感どころか、事件に巻き込まれようとしていた。

だから、元刑事部秘書がコンスタンス大佐の訪問をうやうやしく告げても、ちっとも驚かなかった。

「ペインタ君、すぐ通してくれ、あの休暇の私服は着られない。当分クロベリには行けない。運が悪い」

ペインタ秘書がお辞儀して下がった。少々のことには慣れっこだった。

コンスタンス大佐が青白い顔で、興奮してやってきた。

「ここへ真っ直ぐ参りましたのは、外務大臣と打ち合わせた結果、この凶悪事件をあなたにゆだねるべきと判断されたからです。大臣は時間が省けるとのお考えです」

「さすが大臣。本件は私の畑ですか」

「その通りです。昨夜メイン次官が執務室へ戻った理由は英独協定書の素案をスコットランドに居る首相に送らねばならなかったからです。この協定書は一見商業的なものですが、欧州の将来に重要な意味があります。言うまでもないですが、ロシアやフランスは素案を知るためなら金を惜しみません。いま電信が首相から来ましたが、メイン次官からの手紙は受け取っておらず、素案もどこにも見当たらないとのことでした。ここに殺人の動機と理由があります。あなたの任務は素案を探し出すことです」

ムーアがしばらく考え込んだように見えた。

「当然警察が調べているのでしょう?」

「もちろんです。あなたにも役立ちます。でも警察は協定書のことは何も知らないし、三人組のことも知りません」

「三人って、どこで分かったのですか」

コンスタンス大佐が一枚の紙を見せた。弱々しい字で、三つの単語が書かれていた。

三人組

大佐の説明によれば、ゴードン・メイン次官が書いたものだという。

ムーアが思慮深く、

「いい見立てですね。私の所へいらしたのは正解です。本件に関わる悪党組を全て知ってるからです。実行犯を四人ほど特定できるかもしれません。ほかに何か」

大佐がポケットからバラの花を取りだした。赤いバラだが、なかば茶色に変色し、干からび、しおれていた。

「どこで手に入れたのですか」

「けさメイン次官の部屋でテーブルの下から見つけました。部屋で草案書類を探しているとき見つけました。役立つ機会があるかもしれません」

ムーアの目が輝いた。

「大いに助かります。このしなびた茶色の花びらが重要なことは言うまでもありません。もちろん今は考えているだけですけど、もし私がパリにいたら、必ずやシャレを捕まえて、ゴードン・メイン次官殺人ほう助罪で告訴してやりますよ」

「その名前はなんか聞いたような気がしますね」

と大佐がつぶやいた。

ムーアが説明した。

「シャレは派手なやり手の悪党です。鼻が利き、果実を嗅ぎつけるのです。誰よりも欧州の反体制を熟知しています。現在、厳法会の会長を自称しており、フランスやイギリスの王権に公然と陰謀を企てています。大衆は笑い飛ばしていますが、同時に欧州の先鋭分子を思いどおり集めています。数人の成金馬鹿が活動資金を与えるものだから、シャレは向うのパリでぜいたくに暮らしています。目下の呼び物はカード賭博とか」

「それとバラと何の関係があるのですか」

「大佐、全てにですよ。組織の記章なんです。ゴードン・メイン次官はとても質素な男で、自室など飾りませんから、バラは殺人犯のものです。知っての通り三人組です。間違いなく残党も赤いバラをつけています。探す三人組はシャレの雇われ者です」

「もう英仏海峡を渡ったかもしれませんね」

「それはないですよ、大佐。どの港も二、三日監視されますから。奴らは来週いっぱいロンドンに隠れているでしょう。たぶん草案は暗号でしょう」

「ええ。でもシャレほどの男なら暗号など簡単でしょう」

「草案が手に入れば解くでしょう。奪い返す計画をよく練らなければなりません。さて、出かけて殺人犯の一人とおしゃべりしますか」

大佐がムーアの眼鏡を覗き込み、驚いて、

「あなたがはったりを噛ませるとは知りませんでした」

「そうじゃないですよ。私は英国在住の不良外人をよく知っているのです。この一覧表の一人に会いたいのです。必ず欲しい情報が得られます」

ムーアがベルを鳴らすと、愚直なペインタ秘書が現れた。名前と住所が、警視庁提供の紙に書いてあった。

「レバスティアを知ってるだろ。よろしい。その住所だ。行って見つけろ。そこへ着いたら探し出して、緊急便を使い、居場所を暗号で知らせろ。直ちに出発だ、ペインタ君」

ペインタがお辞儀して出発した。二時間ほどして、辻馬車が通りに到着し、元気のいい伝令少年が舗道を走ってきた。ムーアが一見不可解なメモを受け取り、解読した。

レバスティアは現在ユニバーサルカフェでドミノゲーム中。しばらく居る模様

少し経って、ムーアが当該のカフェにふらっと入った。ほとんど男ばかり、数ヶ国語で騒然とし、大理石のテーブルでドミノ牌がカシャカシャ。難なくお目当ての男が見つかった。見知らぬフランス人と対戦している。ドミノゲームは長試合のあげく、やっと決着がついた。

見知らぬ対戦相手が首を左右に振って、立ち上がり、バカ丁寧にお辞儀して、席を離れた。レバスティアが周りを見渡し別なカモを探した。誰も相手をしそうにない。ふっとため息をついて、煙草を投げ捨て、瞑想にはいった。

ムーアが近づいて、肩に触れ、穏やかに言った。

「おや、キミはイギリスに入国禁止のはずだったと思うが。お忘れかな、英国の刑務所は虚弱体質に合わないよ」

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