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今更申すまでもないことだが、まつたく人には夫々様々な癖があるではないか、貧棒ゆすりだとか爪を噛むとか、手の平をこするとか、決して相手の顔を見ないで内ふところに向つてはなしをするとか、無闇に莨を喫すとか――とそれこそ枚挙に遑はない。しかし私には他人目につくかの如き凡そ何んな類ひの癖も生来から皆無であつたのに、突然ちか頃になつて、これはまた凡そ他人目につき易い実にも仰山に珍奇な癖が生じてゐた。私は普段はかね/″\唖のやうに無口であつた。それがちか頃非常に嵩じて、私は何時の間にか凡ゆる感情を喪失してゐる達磨であつた。私は、一体どんな顔をして何んな場合に嘆いたものか、笑つたものか、気分も表情も想像することは不可能であつた。いつも、いつまででも凝然としてゐるばかりの私は木兎であつた。強ひて形容するならば憤つたやうな武悪面といへるであらうが、私にして見ると寧ろ一個の単純なる蝋燭であつた。そして、いつまでゞも沈黙のまゝ背筋を延して大名のやうに端坐してゐたが、やがて私はさうした姿勢を保つたまゝ折々「エヘン!」といふ空々しく大きな咳払ひを発すると、徐ろに右の手の先で頤を撫で、それから左の腕を何か隣りの人でも抱へるやうに横に伸して、薄ぼんやりとギヨロリとしてゐるといふ、そんなに勿体振つた癖が生じてゐた。相手の者が吃驚りして私の顔を薄気味悪さうに眺めるので、私はハツとして吾に返り居住ひを正しながら深呼吸を試みるのであつたが、貧棒ゆすりの習慣の人が吾知らず膝頭を震はしはじめてしまふと同じやうに、いつの間にか私は蛙のやうに胸を張つて、頤を撫で、そして左腕を挙げてゐるといふ、そんなに鈍重な奇天烈な癖が生じてゐた。
私がM市(――と略号を用ふるのはM市の市長の憂慮があつたからである。)の市長のR氏の紹介で天狗洞の食客となつた時は、そんな私の奇体な癖が益々激しくなつて何うも都には居憎くなつたので、汽車の窓から遠くの山々の頂に残つてゐる雪を眺めて、咳払ひを挙げ、鉄橋を渡りながら独りで物々しく頤を撫で、また沼の水の光るのを誰か仲の善い友達と肩を並べて見渡してゐるかのやうに虚空に腕を懸けながらふら/\と旅に出たのであつたが、立つても据つてもつい/\ひんぱんにそんな癖が起つて、会ふ人毎の首を傾けさせて止まなかつた。ついこの間の春の頃であつた。未だ咲き残りの梅の花びらが、つむじ風に紛々と舞ひあがつてゐた。
R市長は、当時同市の支局に派遣されてゐた新聞記者である私の義弟の従兄であつた。そして市長の亡父が天狗洞の高弟であつた由である。私が同市に到着した時に弟は、常々私の大酒に悩まされてゐたので、珍客をもてなすべく友達の間から大盃の豪の者を撰りすぐつて歓迎の宴を張つた。私は正面の座に据ゑられたが、稍きまりでも悪かつたのかしら? ぎよつとしていつものやうに端坐してゐると、一層その憐れな癖の大見得が繰り返されてゐたのである。まさかそれが、私の云はゞ、宇宙に対するテレ臭さと憧れから発生した無意識裡の奇癖とは知る由もない義弟は、いつも私が稍ともすれば浮々と安つぽい態度をして失敗したことばかりを見慣れてゐたので、これはいつの間にか心を容れ代へて、努めて威厳を保つべく肚を据ゑてゐるのであらうとその時は察したさうだつた。
「義兄は、酔が廻らないと何も喋舌ることが出来ないのです。」
弟はそんな説明の労をとつてゐた。
「成るほど――さつきから切りと腕を伸してゐるのは、あれは盃のさいそくなんだね。」
などと囁く者があつた。
すると私が、思はず腕を伸す毎に何時の間にか私の手の先にはなみ/\と注がれた聯隊旗の模様の描かれた盃が載せられるのであつた。――ところが私自身にさへも、そんな自分の弱さは嘗て経験のためしもなかつたのであるが、いくつかの盃を傾けてゐたかとおもふと、未だ一言も発しないうちに私は細い樫の木のやうにぽくりと参つてしまつて、あとは大鼾きだつたさうである。
「君の兄貴といふやつは、怖ろしく尊大振つた人物だね。」
と評されて温厚な義弟は大きな恥を掻いたさうである。そればかりでなく、そんな得体の知れぬ威張つた人物が朝となく夜となく眼をぎよろりとさせて滞在してゐるとなると、彼の交際上に禍ひするといふ不安が生じたのであつた。
「従弟の義兄でございます。唖に等しい程の吃音家なので、何事も私が代弁で申し上げます。耳も少々遠いのであります。」
R氏は斯う私を紹介して、天狗洞の主の前にひれ伏したのであつた。然う云つて置いた方が都合が好いだらうと家を出る時市長が私に計つたので、それも好からうと私は頤を撫でながらうなづいたのである。主は稀代の気むづかし屋である代りに、一端これはと見込んだ場合には飽くまでも後へは退かぬ性格である――とかといふ概念的な説明をされて、私はもと/\何の目的もないし、何処で暮しても関はず、たゞ、どうぞ嘆くべき時には涙をこぼし、笑ふべき時にはわらひの声も挙げられる程度の健やかな感情を取り戻して、斯んな他人前には顔も曝せぬ如きグロテスクな癖から救はれたい、嘆きがいつもあはれであり、笑ひがいつも幸ひであるともおもはぬのであるが……といふやうな心持は微かに持つてゐたから、寧ろ弟達の気易い家庭の客となつてゐたかつたので、これはと見込んだら、とか、後へは退かぬ性分だとかには、就中バツが合ひさうもなかつたのである。寧ろ主の機嫌を損じて、弟の家へ引き返したかつたのである。斯んな兄貴が現れたゝめに、可愛い弟夫婦の出世のさまたげになつては大変だと思つたから、何も詳しいはなしはきかずにたゞ天狗洞といふこれ/\の先輩の家があるから客となることがかなふやうにと――弟達からもをがまれたので、厭々ながらR氏のあとをついて来たまでゞあつた。
だから私は、R氏が主に向つてくれぐれも慇懃に私のことを頼んでゐたが、私はほんたうの聾者になつて何も聞かず、たゞR氏の背後にむつくりと端坐したまゝ碌なお辞儀ひとつしないで、長槍や薙刀などが掛つてゐる鴨居のあたりへ凝つと視線を反らせながら、折々突調子もない咳払ひをあげたり、頤を撫でたり、そしておそらく吾知らずに悠々と腕を挙げ降ししてゐたに相違ない。
「御免蒙るわ。」
稍ともすれば、斯う唸つて、常に膝の脇から離さないといふ木剣を杖にして奥へと消えて仕舞ふのが気六ヶしやの天狗洞の癖と私は聞いてゐたから、やがてその唸り声が発せられるに違ひないと期待しながら、私はR氏の態度とは全く両極端の傲慢振りで背骨を棒にしたまゝ眼ばたきひとつ浮べなかつた。第一私は、気六ヶしやだなどゝいふ人物は嫌ひであるのだ。此方こそ、御免蒙りたいのであつた。――それにしても、そんな稀代な気六ヶしやの爺とは一体どんな顔をした奴だらうか? とおもつたので、もう三十分あまりも同じ部屋に居たわけだつたが私は然うおもつた時はじめてR氏の肩の上から主人の姿を眺めたのである。
彼は鷲鼻の痩せた老体でギロリと底光りのする眼玉と、枯薄のやうに貧弱な頤鬚を貯へてゐたが、それを恰も豊かな関羽のであるかのやうな手つきで撫で降してゐた。そしてR氏の説明を聞きながら坐つてゐるのであつたが、恰度左手を私のやうに伸して木剣を突いてゐるのであつた。若しも私にと木剣があつたならば、どちらが主人であるか見境ひもつかぬであらうと見えた程、彼と私の挙動は酷似したものであつた。
私は彼が私の眼を凝つと視詰めてゐるのを発見した。彼の眼光には、稍驚きの色が漂うてゐるのが窺はれた。――こいつ奴、俺の真似をしてゐるな、無礼者奴が! 彼は屹度左う思つてゐるのであらう、早く不機嫌になつてしまへ! と私は希つて、此方も負けずに彼の眼を睨んでゐた。そして大きな咳払ひを発した。すると彼も亦私のより癇高い咳払ひを挙げた。私は別に根くらべをするつもりではないから、また長押の方へ視線を反らせた。
やがて私は、
「木刀をつかはせ、木刀をつかはせ。」
といふ細い金切声を聞いたので、見ると、それが主の声で、小間使を呼んでゐるのであつた。私はその時はじめて彼の音声を耳にしたのであるが、あのやうに武張つた物腰の彼の声としては凡そ適はしくない黄色気な恰も苦笑を含んでゐるかのやうな細い震へ声だつた。後になつて解つたのであるが、彼はその音声を自ら恥と心得て滅多に言葉を発したがらぬとのことであつた。
「お願ひをお諾き入れ下さいましたか、有りがたうございます。」
R氏は丁寧なお辞儀をして、溜息を衝いたらしく背中をふくらませた。間もなく小間使が恭々しく一振りの木刀を携へて来て、私の前へさゝげるのであつたが、私は一向にわけが解らなかつたので憤つとしてゐると、主が手真似をして小間使に何か告げるのであつた。すると小間使は、伸びてゐた私の腕の先に木刀を握らせて引きさがつた。
天狗洞の食客として許可された者は、常にその木刀を携へてゐなければならぬといふ意味だつたのである。
「引きうけました、御安心下さい。」
主は左う云つて奥へ這入つてしまつた。
「天狗洞の弟子になるんですか?」
私は木刀を構へさせられたまゝ、迷惑さうに頤を撫でゝR氏に訊ねたのであるが、何故かR氏は私の質問には答へようともせず、
「あつぱれ/\!」
などゝ笑ひながら慌てゝ帰つてしまつた。私は心細くなつてR氏の後を追ひかけて、門口まで行くと、さつきの綺麗な小間使が扉の傍らに立つてゐて、R氏が出るやいなや扉を閉めると閂をいれて、重い錠を降し、
「お師匠さんのお許しが出るまでは、お弟子は決して外へ出ることは出来ませんのよ。」
と遮つた。
――「その小間使の名前はテルヨさんといふんですがね、主人はとてもこのテルヨさんの上に神経過敏なんだよ。うつかり客がテルヨさんにながしめでも送らうものなら、忽ち木剣を振りあげてお面を喰はさうと、応待中主人は隈なく監視の眼を光らせてゐるわけなんだから――。ちよいとテルヨさんの方へ挨拶の眼を向けたといふだけでも、忽ち御免蒙るわと来るんだからまあ大概の人は落第するのが常例ですよ、何しろそのテルヨさんといふのが全く夢のやうな、物語にでも出て来さうな美人なんだから誰だつてうつかり見惚れてしまふのさ。――この点、然し、君だけは凡そ不安はなからうと皆なではなし合つて来たのですよ。」
天狗洞の冠木門が梅林の奥に仄見えるのを目ざして、訪ねて来る途中でR氏は私に云つたのであつた。――「この私でさへ、あの師匠のところへ訪れて何が一番辛いと云へば、勿論テルヨさんを気にしまいと堪へるのが念力中の念力でね……はつはつは!」
屋敷のまはりには白壁の塀が囲つてゐた。塀は幾星霜を経たものか、青苔をふいて崩れたり傾いたりしてゐた。門柱や扉には無数の弾痕が残つてゐた。鬼瓦のついた冠木門の屋根には、青草がすい/\と天にのびて陽炎を呼んでゐた。門柱に掲げられた表札の文字は年月の雨風に洗はれて既にもう道往く人の眼には認められなかつたが、近視眼者のやうに好く/\顔を近づけて験べると文字だけが円味を湛えて浮びあがつてゐる墨痕に「藤龍軒天狗流兵術指南所」と読まれるのであつた。尤もこの表札は今や行人の注意を強ふる要はなかつたのである。表札は単に当地の旧跡保存会の名の許に保護されてゐるのみであつたし、また当主の十一世藤龍軒は七十歳の隠居の身で、公の兵術指南は四十年の昔から廃業してゐた。然し彼は縁故の者の中から常々入門者を物色はしてゐるのであつたが、大概の者が主との初対面の時に――それは入門者のメンタルテストのために主は事更に頻繁と手を叩いて小間使ひを呼び出しては彼女の上に注ぐ彼等の眼つきを詳さに観察されるので多くは落第の憂目に遇ふのださうである。稀には合格者も現れたが、そのうちで夜陰に乗じて土塀を乗り越すことなしに、十日以上の食客生活を続け得られた者は絶無であつたさうである。多くの者はテルヨさんに向つてほんの一つの笑顔を示したところを発見されて破門を宣告されるか、でなければ彼等は日増に種々様々なる珍奇な試問や訓練なるものが重ねられるのに辟易して、脱走せずには居られないのであるさうだつた。それ故土塀のあちらこちらが崩れたり傾いたりしてゐるのであらう。