Chapter 1 of 4

彼女等の夫々の父親からの依頼で二人の娘をそちらへおくることになつたから、彼女等を夫々オフイスの一員に加へて貰ひたい、詳しいことは当人達からきいての上で、山の見学を望んでゐる二人の幼い学生達に能ふだけの満足を与へて欲しい――。

滝は、暖炉の傍で、父親からの英字タイプで打つたそんな意味の手紙を読んで軽い迷惑を感じた。

その頃彼の自家で主になつて経営してゐた或る山奥の作業場なのだつたが、滝は、「籠る覚悟」――「孤独と睨み合ひをする決心」で、厳格な抱負に酔つて、初めて接した山の天幕的な生活に慣れそめた時だつた。

……娘達だから迷惑を感じたといふわけではない、戦ふつもりでゐた孤独の寂涼も来なかつた、何の不足も感じなかつた。面白いやうに孤りの己れに爽やかな悦びを感じてゐた、嘗て「愚」と称んで嘆いた鈍い感情が、太く凝り固まつて、反つて静かな「感謝」を覚えさせてゐた、何といふこともなしヒロイツクな夢を抱いて「苦行をするつもり。」そんな言葉を呟きながら山を登つて来たことなどを思ふと可笑しかつた、彼には、何の苦行もなかつた、圧へなければならない何らの慾も感じなかつた。この怖ろしい鈍さが、気儘に、此処では落ついてゐた――それで、種類を問はず相手が現れることに彼は、軽い戦きを覚えたのである。

趣味ではなしにアメリカ風の学生気質に習慣づけられてゐる彼の父は、普段から友達の子息達と彼に自由な交際をさせてゐるので、これが若し自家での彼であつたら彼も礼儀を知る小さな主人になることに何の苦もなかつたのであるが、今の彼は余りに冷い独想家であつた。快く彼は「哲学的」になつて、誰を憚かることなく、明るく悩まし気な顔を保ち続けてゐた時だつた。たつた二冊たづさへて来たシヨウペンハウエルの著書を飽かずに翻読してゐた時だつた。彼は、その書の幾十の個所をもそらんじた。そして彼は、己れの意見を樹立することに没頭した。彼は、何ごとかを口吟みながら石を飛んで流れを溯つた。

彼は、健康だつた。小屋の傍には綺麗な小川があつた。庭の棄石を踏む童のやうに彼は、岩を飛び、影を踏んで、流れを溯つた。寝台のやうな巨巌があつた。椅子のやうな奇石があつた。碑のやうな岩があつた。

野花があり、芝に覆はれた明るい斜面の見晴しがあつた。橇道を登つて行くと深い森があつた。そこでは、樵夫が樅の大木を目醒しく切り倒してゐた。彼等は、大鉈をふるつて、格闘をする者のやうな動作で忽ち大木の枝を払ひ落した。向ひ合ひの把手のついた大鋸で、夫々の木挽が鯨を料理するかのやうに、手つ取り早く胴切りにした。橇引きの連中は、胴切りの大木を荷にして、隊をつくつて、鈴を鳴しながら橇道を滑走して行つた。

炭焼小屋からは昼夜の分ちなく呑気な煙りが立ち昇つてゐた。滝は、彼等の誰とも親しくなつてゐたが、彼等の方言が余りに滑らかで、極限されてゐたので、心を病はされることがなかつた。朗らかに混沌の世界をさ迷つてゐる彼の頭に、時とすると、彼等の意味の解らない言葉が、反つて何となく意味あり気に響いて、彼は、今こそ己れが活躍すべき真に未開の天地に到達したといふやうな素晴しい興奮を覚えさせることもあつた。

山牛蒡の煮たものもうまかつた。塩鮭をたきこんだ熱い握り飯がうまかつた。

夜は、ランプがともると間もなく、性体なく寝込んで、朝は、一番馬(トロツコが通じてゐる山の中腹まで、板にされた製材を運び出す馬の一行)の鈴で目を醒した。

彼は、此処の生活に自信を得て、健康を回復したら、この次は、故郷の町から五六里先きにある祖父の知己が居るところの、多くの厳しい掟を宗としてゐる僧院に入つて、勉強しようと思つてゐた。そして、この分ならば何の力み反る必要もなく、そのやうな生活の方が寧ろ自然に己れの性格に適してゐるやうな安心を覚えて、間もなくその地へ引き移る準備もしてゐた時だつた。

「これは!」

Nから父の手紙を渡されて一読した時彼は、思はず口ごもつたが、思ひ切つて気分を取り直した。(ちよつとでも迷惑気な顔色を示しては悪い、彼女達が遥々と勇んで来た、こんな山の中で――。何も俺が相手になる必要もないんだ。少し位ゐ相手になつたつて、それが何だ、無邪気な女学生なのではないか。決心を持つてゐる自分だ、利己的といふより他はない小さな臆病心を棄てなければならない……)

「妾達は、歩く用意をして来たのに何んにも歩かないで済んでしまつた。」Nがさういふとツル子が、

「これ!」などと、わらつて、スパイクのついた靴の裏を示したりした。ツル子とNは、馬から降される自分達の荷物を、嬉々として、小屋の中に運んでゐた。

Nは、仰山に小屋の中を見廻しながら、

「これは、妾のパパが設計したんですつて? ほんとうに探検隊の仮り小屋見たい、壁に鉄砲がかゝつてゐたり、オーヴンが炉ばたにあつたり……」

「それは、炊事係りがお午に手間を省いたまでなんだよ。台所は、そつちにあるんだよ。」滝は、酒樽などが見える勝手の口を指差して説明しずには居られなかつた。「Nは、いつか僕の実家に滞在するよりは反つて、キヤンプの方が自分にとつては便利だなどと云つたことがあるが、此処は、これでも靴を脱ぐ必要のない住家なんだからね、君には全く僕の実家へ来る時よりはずつと住み好いだらうよ。」

「そんな意地悪るを云ふのはお止め。――ホヽヽそれも当つてゐるかも知れない。では、ベツド・ルームは何処なの。」

「あそこにしたら好いだらう。」

彼は、床の張つてある次の間(?)の扉をあけて示した。

「ベツドは、ハンモツク? 余分なのある?」

「ある。」と滝は云つた。――「尤も、あそこの戸棚はベツドになつてゐるよ、二段の。」

「ほう……」

Nは、わざと浮々させるおどけた目を視張つて、何といふこともなしに、肩をすぼめた。西洋人であるNを珍らしがつてあちらこちらの小屋から女房や子供が集つてゐた。

ツル子は川のふちに咲いてゐる花を見つけて駆けて行つた。Nも後を追つた。

湯の知らせをうけたので滝は、タオルをマントのやうに羽織つて川のふちへ降りて行つた。川幅は相当に広いのだが水は膝の深さ程もなく、大方乾いてゐる岩石の間を細く一筋流れてゐるだけなので、風呂桶は水の無い川床に据ゑてあつた。風呂の中から橇引きの降つて来る行列などが眺められた。

「其処がお風呂なの?」

釣り橋の上から、Nと並んで欄干にもたれて下を見降してゐたツル子が声をかけた。

滝は、わらひもしないで点頭いた。そして、信号兵のやうに腕をあげて小屋の方を指さした。

Nは、憤つたやうに顔を反向け、ツル子は顔をあかくして、二人は手をとり合つて慌てゝ向ふへ戻つて行つた。――滝は石の上にシヤツとズボンを抜き棄てゝ湯につかると、伸々として青空を仰いだ。孤りの気分は、別段に害はれもしなかつた。彼は、自分の心が何処までも健康らしく、厳しい希望だけに炎えてゐることを一層はつきり自覚するのが愉快だつた。そして、自分が爽々しい大人であることを悦んだ。

あしたは、またこの流れをいつもの処まで溯つてやらう、彼女等も行きたかつたら案内しても関はない、自分が発見した多くの巨岩奇石を、そして自分がそれらに与へてある名称のいはれなどを説明してやつても好い――などと彼は思つた。

幾度も溯りつけた浅い明るい川上の彼方まで、今まではおのづと楽な道が通じてゐた。飛び越し難い石から岩へは彼が渡した板切れの橋がかけてあつた。抱へられる重さの石で、工合よく足場が出来てゐるところもあつた。少しばかりの水の流れの速いところで、飛石の見つからない個所には、二本の丸太を縄でからげた巧妙な丸木橋なども彼の単独の手で造られてあつた。――今では、川上にある、山の子供達が野遊びに行く芝原までは、山径を歩くよりは遥かに近く、そして楽々と、川の中の路が開けてゐた。この山には彼の嫌ひな爬虫類がゐなかつたので、彼は何処へ行つても落ついて、考へたり、またそんな「仕事」に耽ることも出来たのである。上の野原には小さなテントを一つ張り放しにして置いた。

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