用語
蕪村の俳句における意匠の美は既にこれを言へり。意匠の美は文学の根本にして人を感動せしむるの力また多くここにあり。しかれども用語、句法の美これに伴はざらんには、可惜意匠の美を活動せしめざるのみならず、かへつてその意匠に一種厭ふべき俗気を帯びたるが如く感ぜしむることあり。蕪村の用語と句法とはその意匠を現すに最も適せる者にして、しかも自己の創体に属する者多し。その用語の概略を言はんに
(一)漢語 は蕪村の喜んで用ゐたる者にして、あるいは漢語多きを以て蕪村の唯一の特色と誤認せらるるに至る。この一事がいかに人の注意を惹きしかを知るべし。蕪村が漢語を用ゐたるは種々の便利ありしに因るべけれど、第一に漢語が国語より簡短なりしに因らずんばあらず、複雑なる意匠を十七、八字の中に含めんには簡短なる漢語の必要あり。また簡短なる語を用うれば叙事形容を精細に為し得べき利あり。
指南車を胡地に引き去るかすみかな
閣に坐して遠き蛙を聞く夜かな
祇や鑑や髭に落花を捻りけり
鮓桶をこれへと樹下に床几かな
三井寺や日は午に逼る若楓
柚の花や善き酒蔵す塀の内
耳目肺腸こゝに玉巻く芭蕉庵
採蓴をうたふ彦根の夫かな
鬼貫や新酒の中の貧に処す
月天心貧しき町を通りけり
秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者
雁鳴くや舟に魚焼く琵琶湖上
の如きこの例なり。されども漢語の必要ありとのみにて濫りに漢語を用ゐ、ために一句の調和を欠かば佳句とは言はれじ。「胡地」の語の如き余り耳遠く普通に用ゐるべきには非るを、「指南車」の語上にあり、「引去る」という漢文直訳風の語下にあるために一句の調和を得たるなり。「落花」の語は「祇や鑑や」に対して響き善く、「芭蕉庵」といふ語なくんば「耳目肺腸」とは置く能はず。「採蓴」は漢語に非れば言ふべからず、さりとてこの語ばかりにては国語と調和せず。故にことさらに「夫」とは受けたり。
第二は国語にて言ひ得ざるにはあらねど、漢語を用ゐる方善くその意匠を現すべき場合なり。漢語を用ゐて勢を強くしたる句
五月雨や大河を前に家二軒
夕立や筆も乾かず一千言
時鳥平安城をすぢかひに
絶頂の城たのもしき若葉かな
方百里雨雲よせぬ牡丹かな
「おほかは」と言へば水勢ぬるく「たいが」と言へば水勢急に感ぜられ、「いただき」と言へば山嶮しからず、「ぜつちやう」と言へば山嶮しく感ぜらる。
漢語を用ゐていかめしくしたる句
蚊遣してまゐらす僧の坐右かな売卜先生木の下闇の訪はれ顔
「坐右」の語は僧に対する多少の尊敬を表し、「売卜先生」と言へば「卜屋算」と言ひしよりも鹿爪らしく聞えて善く「訪はれ顔」に響けり。
寂として客の絶間の牡丹かな蕭条として石に日の入る枯野かな
の如きは「しんとして」「淋しさは」など置きたると大差なけれど、なほ漢語の方適切なるべし。
第三は支那の成語を用うる者にして、こは成語を用ゐたるがために興ある者、また成語をそのままならでは用ゐるべからざる者あり。支那の人名地名を用ゐ、支那の古事風景等を詠ずる場合は勿論、我国の事をいふ引合に出されたるも少からず。その句
行き/\てこゝに行き行く夏野かな
朝霧や杭打つ音丁々たり
帛を裂く琵琶の流れや秋の声
釣り上げし鱸の巨口玉や吐く
三径の十歩に尽きて蓼の花
冬籠り燈下に書すと書かれたり
侘禅師から鮭に白頭の吟を彫る
秋風の呉人は知らじふぐと汁
右三種類の外に
春水や四条五条の橋の下
の句は「春の水」ともあるべきを「橋の下」と同調になりて耳ざはりなれば「春水」とは置たるならん。但し四条五条という漢音の語なくば「春水」とは言はざりけん。
蚊帳釣りて翠微つくらん家の内
特に「翠微」といふは翠の字を蚊帳の色にかけたるしやれなり。
薫風やともしたてかねつ厳島
「風薫る」とは俳句の普通に用ゐる所なれど爾か言ひては「薫る」の意強くなりて句を成しがたし。ただ夏の風といふ位の意に用ゐる者なれば「薫風」とつづけて一種の風の名と為すに如かず。けだし蕪村の烱眼は早くこれに注意したる者なるべし。
(二)古語 もまた蕪村の好んで用ゐたる者なり。漢語は延宝、天和の間其角一派が濫用して終にその調和を得ず、其角すらこれより後、復用ゐざりしもの、蕪村に至りて始て成功を得たり。古語は元禄時代にありて芭蕉一派が常語との調和を試み十分に成功したる者、今は蕪村に因て更に一歩を進められぬ。
およぐ時よるべなきさまの蛙かな
命婦より牡丹餅たばす彼岸かな
更衣母なん藤原氏なりけり
真しらげのよね一升や鮓のめし
おろしおく笈になゐふる夏野かな
夕顔や黄に咲いたるもあるべかり
夜を寒み小冠者臥したり北枕
高燈籠消えなんとするあまたゝび
渡り鳥雲のはたての錦かな
大高に君しろしめせ今年米
蕪村の用ゐたる古語には藤原時代のもあらん、北条足利時代のもあらん、あるいは漢書の訳読に用ゐられたる即ち漢語化せられたる古語も多からん。いづれにもせよ、今まで俳句界に入らざりし古語を手に従て拈出したるは蕪村の力なり。ただ漢語を用ゐ、いたづらに佶屈の句を作り、以て蕪村の真髄を得たりと為す者、いまだ他の半面を解せざるべし。
(三)俗語 の最俗なる者を用ゐ初たるもまた蕪村なり。元禄時代に雅語、俗語相半せし俳句も、享保以後無学無識の徒に翫弄せらるるに至て雅語漸く消滅し俗語ますます用ゐられ、意匠の野卑と相待て純然たる俗俳句となりをはれり。されどその俗語も必ずしも好んで俗語を用ゐしにあらで、雅語を解せざるがため知らず知らず卑近に流れたる者、故に彼らが用ゐる俗語は俗語中のなるべく古に近きを択みたりとおぼしく、俗中の俗なる日常の話語に至りては固より用ゐざりしのみならず、彼らなほこれを俗として排斥したり。檀林派の作者といへどもその意匠句法の滑稽突梯なるにかかはらず、またこの俗語中の俗語を用ゐたるものを見ず。蕉門も檀林も其嵐派も支麦派も用ゐるに難じたる極端の俗語を取て平気に俳句中に挿入したる蕪村の技倆は実に測るべからざる者あり。しかもその俗語の俗ならずしてかへつて活動する、腐草蛍と化し淤泥蓮を生ずるの趣あるを見ては誰かその奇術に驚かざらん。
出る杭を打たうとしたりや柳かな
酒を煮る家の女房ちよとほれた
絵団扇のそれも清十郎にお夏かな
蚊帳の内に蛍放してアヽ楽や
杜若べたりと鳶のたれてける
薬喰隣の亭主箸持参
化さうな傘かす寺の時雨かな
後世一茶の俗語を用ゐたる、あるいはこれらの句より胚胎し来れるには非るか。薬喰の句は蕪村集中の最俗なる者、一読に堪へずといへども、一茶は殊にこの辺より悟入したるかの感なきに非ず。けだし一茶の作時に名句なきにはあらざるも、全体を通じて言へば句法において蕪村の「酒を煮る」「絵団扇」の如きしまりなく、意匠において「杜若」「時雨」の如き趣味を欠きたり。蕪村は漢語をも古語をも極端に用ゐたり。佶屈なりやすき漢語も佶屈ならしめざりき。冗漫なりやすき古語も冗漫ならしめざりき。野卑なりやすき俗語も野卑ならしめざりき。俗語を用ゐたる一茶の外は漢語にも古語にも彼は匹敵者を有せざりき。用語の一点においても蕪村は俳句界独歩の人なり。