Chapter 1 of 13

歌の事につきては諸君より種々御注意御忠告を辱うし御厚意奉謝候。なほまた或諸君よりは御嘲笑御罵詈を辱うし誠に冥加至極に奉存候。早速御礼かたがた御挨拶可申上之処、病気にかかり頃日来机に離れて横臥致しをり候ひしため延引致候。幾百年の間常に腐敗したる和歌の上にも、特に腐敗の甚しき時代あるが如く、われらの如き常病人も特に病気に罹る事有之閉口之外無之候。

何より御答へ可申かと惑ひ候へども思ひ出すままに一つづつ可申述候。三月十一日紙上に番外百中十首(松の山人投)として掲げある歌を、われらが変名にて掲げ候やの御尋ね有之候へども、右は尽く『柿園詠草』中にある歌にてわれらの歌とは全く異りをり候。『柿園詠草』中の歌を何人が投じて、如何にして紙上に載せられたるかは固よりわれらの知る所には無之候。さてまたこれらの歌がわれらの歌と相似たるやに評する人も有之候由承り候に付、彼歌に対する愚見を述べてそのしからざるを明かに致したく存候。

朝風に若菜売る児の声すなり朱雀の柳眉いそぐらむ

この歌は十首中にては第一と存候。全体面白く候へども「眉いそぐらむ」の語巧に失する者と存候。眉いそぐといふ事、昔よりいふか否かは知らねども、何だか変な言葉なるが上に、此処にこの擬人的形容を用うるはよろしからず。あるいは若菜売る児に対して、柳眉といひたる者にも候ふべけれど、さやうなシヤレのない方がかへつて趣深く聞え申候。尋常に柳が緑になると申したく候。

暮れぬめり菫咲く野の薄月夜雲雀の声は中空にして

この歌拙く候。「暮れぬめり」とありて「薄月夜」とあるは甚しき撞著と相見え候。「中空にして」の止まりも甚だ心得がたく、あるいは「暮れぬめり」に返る意にやとも思はるれど、さりとては余り拙くや候べき。

行くも花かへるも花の中道を咲き散る限り行きかへり見む

かくの如き歌はあるいは俗受けよろしかるべくや、われらはただ厭味たらだらに感ずるのみに候。咲き散る限りとは何の意とも知らず、もし花の咲いたり散つたりする間といふ意にて長き時間を含む者とすれば八田の「うつせみの我世の限り見るべきは」といひし類にて少しも実情らしき処なし、また時間に非ずして花の中道の長さをいふものとすれば、言葉の巧を弄したるのみにて何らの趣味も無之候。しかしこの歌は全体に厭味あれば一句を論ずるに及ぶまじく候。

桑とると霞わけこし里の児がえびらにかかる夕ぐれの雨

この歌さしたる難もなけれどまた何の趣も無之候。蚕飼する時節は長閑に感ぜらるる者なるに、この歌前半の長閑なるに似ず、後半は長閑に感ぜられず、これがために趣味少きにやと存候。えびらといふは如何なる物か知らねども、この歌にては桑の葉を摘み入れる筐の類かと見ゆるが不審に存候。俊頼の歌に「山里のこやのえびらに漏る月の影にも繭の筋は見えけり」とあるえびらは、家の中にある器具かと見え候へど、それを桑の葉入れにも用ゐ候にや。識者の教を煩はしたく候。

棹ふれし筏は一瀬過ぎながらなほ影なびく山吹の花

「棹ふれし筏」といふ言葉続きも「一瀬過ぎながら」の言葉続きもいと拙く覚え候。「ながら」といひて「なほ」と受けたるもうるさく、また「なびく」の語も「ゆらぐ」「動く」などに更め候方山吹に適切かと存候。この歌巧ならんとして言葉づかひ無理に相成候。

山里は卯の花垣のひまをあらみしのび音もらす時鳥かな

この歌尋常めきたれどもわれらは厭味を感じ候。この歌の作意は三、四の句にあるべく、その三、四が厭味を感ずる所に有之候。垣の隙があらいとて忍び音を漏らす訳は少しも無之、それを両者相関係するが如く言ひなすは言葉のシヤレと相見え申候。言葉のシヤレが行はるる処にはいつでも趣味乏しく候。(明治三十一年三月二十日)

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