二月
今月も釣りもののない月である。季節がおくれては居るが、公魚の穴釣りをする。五六年前の二月初旬、富士山麓の山中湖へ行つた事がある。
山中湖は深いので秋の公魚釣りはなく、氷が張りつめてからの穴釣だけである。氷の張るのは一月初旬からなのが例であるが、安心して氷に乗れるのは、一月中旬からである。
氷の上をあるき廻つたり、スケートで滑つて、バリ/\と氷が割れるのは、決して危険ではなく、むしろ氷上安全の徴候である。明方など氷上で釣つて居ると、バリ/\と形容するよりは、ゴーツと底力のある音がして、氷が割れて地震のやうに氷がゆれるので、慣れぬ人は恐怖を感ずるが、かう云ふ時ならば決して危険はないのである。足許の氷がわれて落ち込む時は、だまつて落ち込むのが普通である。氷は水より軽いから、たとへ氷がわれて一部の氷が周囲から遊離しても、のつて居る人を支へてくれるものである。
山中湖の釣れ初めは平野村寄りからであつて、氷はこの辺から張り初める。氷上釣の環境は清浄そのものであり、又当然海抜も高いので景色もいゝものであるが、山中湖は雄大純浄な富士を眺めながら釣るのであるから、蓋し釣趣満点である。氷上にポツ/\と簡単な釣小屋が立つて居るが、あの中で釣るのは寒さしのぎにはなるであらうが、折角の申分ない環境から隔離されるから、氷上釣の興趣の大半は失はれてしまふ。私はあの小屋は大嫌ひである。むしろ黎明と共に見え初める紫水晶の富士の峯が先づ紅をさして、その紅が一分々々と裾迄流れて、スラツと純白な巨嶺となる迄の釣れ盛りの一時を、漁業を犠牲にしながら、独楽しみたいのである。
五六年前の時は季節が二月に入つて居たので、もう平野村沖は過ぎて居て、旭ヶ丘寄りに旗が立つて居た。穴釣りはどうかと思はれるどんより暖い曇天で、富士の姿は全く見えなかつた。旭ヶ丘の宿を朝五時に出たが、案内小屋にはもう焚火が燃えて居た。この湖水は東京の釣人が集るので、穴掘りもしてくれるし、炭売人も蜜柑売も来るし、汁粉小屋まであつて、いさゝか俗化して居る。
案じたよりも釣れはよかつたが、十時頃から霙になつて来て、冷たい水が外套を通して下着に迄透つた。その代償か漁果はすばらしかつた。正午宿に引き上げて、ぬれしづくの着物を暖炉で乾した。その前年の秋白系露人から買つた皮の上衣の染が落ちて、下に着て居た若々しいスコツチの上衣の袖がうす黒く染つてしまつて、洋服屋に裏返しを頼んだらば、安物など買ふからです、とひどく叱られた。
もう一つ公魚をスキー場霧ヶ峯近く蓼の海で釣つた二月もあつた。霧ヶ峯はスキー場として初歩の行く所であると評判されて居た。実際池のくるみからグライダー小屋あたりは、所謂ゲレンデーであるから女学生の滑り場であらう。一体地図に見る霧ヶ峯は現場で見ては峯ではない。あの辺の高原中の丘であつて、スキーに行つた人達も、どれが霧ヶ峯か分らないであらう。あの辺一体が霧ヶ峯山なのである。だから実際上池のくるみと云ふ旧噴火口の湿原の周囲をとりまく高みと噴火口湿原そのものとを合併して霧ヶ峯と云ふべきなのである。さうなると、霧ヶ峯は全部ゲレンデーに相違ない。
然し苟しくもスキーヤーたるものは、スキー場霧ヶ峯と云ふならば、車山から大門峠へそして親湯迄のコースを、又は池のくるみから鷲ヶ峯迄のコース迄を含めなくてはうそであらう。かう大観すればスキー場霧ヶ峯はゲレンデーのみではなく山スキーの霊場であつて、菅平と比肩すべきものである。
その霧ヶ峯の山小屋の人から、足許の蓼の海に何か小さな魚が棲んで居て、氷がとけるとその魚が群をなして注ぐ小川へ上つて来る話をきかされたのである。私はすぐに公魚と直感した。川へ上るのは産卵のために相違ないし、そんな早春に産卵する魚は公魚以外にはない筈だからであつた。
果して穴釣りで公魚が釣れたのである。早速釣友麻生豊君に密報した。どうしてあんなに穴に集つて来たものか、ここで今眼をつぶつても、穴いつぱいにうよ/\と魚の泳ぎ廻るのが見えますよ、と麻生君は五六年後になつた先日、東京で私に述懐した。ほんとによくもあれ程集つて来たものである。誰にも知られずに年魚である公魚は何代もかゝつてあんな小湖であれ程繁殖したのであつたらう。然も誰も意識的に移植したのでなく、恐らく諏訪湖から鮒子でも移植した時、偶然混つて居た数尾の親から繁殖して居たのであつたらう。
蓼の海は、蓼の湖ではない。蓼が一面に生えて居た凹地だつたので蓼の海であつて、その凹地を用水池にしたので小湖が出来たので、今も昔の名が残つて居るのである。
十二月中旬から三月中旬迄、この小湖は氷が張りつめて居るが、三年前水を乾して以来公魚は駄目になつた。今度の冬は又釣れ初めて呉れまいか。