七
此の明俗紀事と對照する爲に、埃及回教徒の新婚紀事を譯出せう。
先づ、若嫁が、十目の透視し得ざる覆面を被つて、供人に衞られ、町内の重立た處々を練り歩く。其間だ、供人は盛裝喧噪して珍妙に唄ひ踊り續ける。漸く一行が壻の門に著くと、家内の人々迎えて、嫁を覆面の儘慇懃に座敷に導くと、婚式は濟み乍ら「まだ顏もみず摩羅の待ちだて」とよみ出さうな壻が待ちをる。座敷の眞ん中には、善盡し美盡したる寢牀あり。父母又は其位に當る人々が、嫁を寢牀の中央に直立せしめ、外面嚴格、内心怡悦の壻がいと鹿爪らしく嫁の覆面を除く。凡て回徒はよく感情を押えて露はさゞる故、初めて嫁の顏をみても、滿足したとも、失望したとも、本人外には識れ難い。この覆面取り除けの際、壻と嫁の外に座敷にあるは、嫁の兄弟と父のみだ。さて、各の引退き、戸を閉た後ち、其役目の刀自が來て、指もて手際よく嫁の素を破り、布に其血を受て、其婦徳に過ち無りしを壻に示す。時として、壻が刀自に信頼せず、自ら之を行ふ事あり。其場合には、嫁の近親、乃ち其父母と、既に嫁入た※妹が婚室の戸外に在て、事の成行きを案じまち、少しの聲だに遁さじと、耳を聳だて菊の花とくる。嫁が泣出すと、母や※妹は之を勇め、父や兄弟は叱り咎むる。作業遲々たる時は、是等の隱れた見物人が、壻を難じ、嫁の母、臆面もなく室に侵入して、世話をやくに及ぶ。さて彌よ事終れば、壻揚々として血染の布を示し、めでたい/\と祝を受け、一同安心して新夫婦を共棲せしむとある。上埃及では、新夫が舅に、新婦は素女でないと告ると、舅は新婦を殺し、其屍をニル河に投入る。アラブ人は最多く、經行未だ到らざるに婚姻す。九歳十歳の女は、刀自之を破り、十三歳の女は壻に破らる。コンスタンチノプルでは、新夫其得手物で新婦を破素す。但し、男精と女血の混ずるを忌むにより、刀自二人男の側にあり、事畢るに臨み、男を曳き退け外に泄さしむと。十六世紀まで、西班牙では、新婦の血染の布を、窓より公示し、その素女たりし由を高聲に廣告した(Combes, Voyage en gypte, etc., Paris, 1846, pp. 60―63; Godard,‘gypte et Palestine,’ Paris, 1867, p. 83; Brantome, ‘Les Dames Galantes,’ les discours)。
古羅馬人は新婚の直前と翌旦新婦の頸を同じ糸で卷き試み、其周りが變らねば、此女は曾て破素された者と知り、頸が夜の内に太く成て糸が足ねば、昨夜まで素女だつたと判じ、其糸をヴエヌ女神に献じ、又血付の布をも献じた。
印度では、婚夜の翌旦、所謂歡喜衣を衆に示して一同祝ひ、トウゴ國のフオ人は、婚夜の翌旦、夜前用ひし褥を新妻の母に贈り、血點無れば、舅姑が姦夫を探り出すを要し、南米のユラカラ人は、新婚の血衣を誇りかに持ち廻る等々、種々の例多けれど、大抵似た者だから、是だけで止める(Meyer,‘Sexual Life in Ancient India,’ 1930. vol. , p. 43)。一々書添てゐないが、血を檢する例は、多く開花の音を聽く風と伴うた者だらう。
最後に尤も無類の珍談といふは、南宋の洪邁の夷堅丁志十五に、晁端揆居京師、悦里中少婦流眄寄情、未能諧偶、婦忽乘夜來挽衣求共被、晁大喜、未明索去、留之、不可、曰如是得無畏家人知乎、既去、 褥間餘血迹亦莫知所以、然越三日過其間聞哭聲扣隣人曰、少婦因産而死今三日矣、晁掩涕而歸。
女はよくウソをいふが、死にます/\と言はず、是ぞ眞實際は死ぬる序に血を出して、新婚氣分で悦ばせやらんと、今はのきわに男の情に報いたる、合理化的の捨て物利用、うれしいとも氣の毒とも思ふた事だらう。(ドルメン、昭和十年一月、第四卷第一號)
●図書カード