四
「このやうに健康を恢復して来ると、先生は果樹園の散歩ぐらゐでは満足しなくなりました。それで或る日思ひ立つたやうに私の父の家に行つて見ると云ひ出したのです。私の父の家は町から少し外れた馬市場のなかにあつて、父は市場の古参のおやぢでした。父の家は砂地の中庭を取り囲んだ粗土造りの平屋で、正門とでも云ふべき入口は乗馬のまゝでも入れるやうに高く穹形になつてゐました。――何分にも大家族のことですから、家ぢゆうで朝からめい/\勝手な事をしてゐるのです。私が先生を案内して行つた時は、父は馬蹄の手入れをしてゐました。姉は井戸端で水瓶を下ろして、町へ売る水を汲んでゐました。兄たちは半裸体のまゝ寝ころびながら、鉄砲の手入れをしたり、盗んだのであらう笛を吹いたりしてゐました。しかし、私が白人の客を連れて来たと知ると、一斉に立ち上つて奥へ逃げ込みました。先生はこの有様を大変面白がつて眺めました。白い頭巾や白い長衣が日にあたつて右往左往するのが美しいと云ひました。
私の父は歓迎の意志表示でせうか、口汚く山羊や豚を追ひ立てて、そのかはり厩から自慢の仔馬を引き出して先生に見せました。われわれアラビア人がどんなにアラビア馬を大切にするかは御存知でせう。しかし、見馴れない服装の客人を前にして、仔馬は急に耳を立てると、跳ね上りました。たくましい仔馬は父の手を振りほどき、客人の胸をかすめて馳け出しました。父は見事に放り出され、老人の醜さをさらけ出して無益にも後を追はうとしました。咄嗟に、私は正門に向つて斜めに走つたのです。私の敏捷な事は兄弟ぢゆうでも定評がありました。私は穹形の飾の下で、往来へ走り抜けようといふところを、仔馬に追ひつきました。私は横飛びに二メートルほど飛んで鬣をつかまへると、引きずられながらも背中へよぢ登りました。かうなれば仔馬は確実に私のものです。――やがて中庭をひと廻り輪乗して見せた時の、先生の感動は大したものでした。人間に与へられた至上の喜びとは、あんな時を云ふのでせうか。先生は全身で喜びました。生きる喜びを誇つてゐるのは馬を捕り押へた私ではなくて、見物人の先生のやうに見えました。先生はいま馬の背を征服したばかりの、そして擦りむき傷のために血のにじんでゐるところの私の手足を痛いほどたゝいて叫びました。『あゝ、達者なものだ。羨ましいものだ。この強い筋肉はどうだらう。あゝ、アラビアの名馬どころぢやないよ。名馬の仔も君には完全に負けたのだ。』
私はあまり讃められて顔を赤くし度を失ひましたが、先生は非常な満足で、それから長い時間、日の落ちるまで、父の東洋風な招宴に応じてくれました。」
「アルジェリイは二月に入ると、急に豪雨が続いて、その合ひ間の晴れた日は気温が目立つて上るのです。これがアフリカの春の前触れです。先生夫妻はこの豪雨季を避けてシシリイ島へ移る仕度をはじめました。半月ほどのシシリイ滞在の後で、ノルマンディの郷里へ帰つて静養するのださうです。沢山の荷造りは母と姉と私が手伝ひました。出発の日、先生夫妻を乗せた駅馬車が、その頃はじめて架設しかけてゐた鉄道線路に添つてコンスタンティーヌの町へ走り出しました。私はアマタルやバシルやブウバケルと一緒に馬車と並んで半キロほど走りました。そして他の子供たちが次第に息が切れ、立ち止り、路傍にうづくまつた後までも、私ひとりはいつまでも走りました。たうとう道が砂丘へかゝつた時、私は立ち止つて長い間手を振りました。豪雨のあとに立ちのぼる水蒸気にへだてられて、馬車が見る/\小さくなりました。これで、私はあの先生と生涯二度と会ふ事はないと思ひました。健康な少年時代といふものは過ぎ去つた出来事から解放されようとする本能がありますからね。それで、私も翌る日から全く別の事に気を取られてゐました。」
「ところが思ひがけず、三年たつて又先生は不意にチュニスに来たのです。私はその頃、母に習つたフランス語を資本にして、チュニスのホテルの特約ガイドになつてゐました。或る晩、私は年上のガイドの出入りするスーダン人の経営してゐるカッフェに居ました。カッフェと云つても、天幕張りのあやしげなもので、奥まつた部屋には床から一尺も離れてゐない低い寝床があり、年上のガイドたちはそこでアラビア生れの踊り子を相手に、酒を飲んだり、阿片をふかしたりしてゐました。日が暮れると東南風が吹いて、天幕が重い音を立ててゐました。そこへ、不意に白人の紳士が帳を挙げて私たちを覗きました。紳士は鋲をつけた旅行靴を鳴らして、天井とすれ/\に入つて来ました。
『アリ・エルアフイ。たうとう見つけたよ。』
紳士はいきなり跼むと、私の肩を抱き締めました。私にはこの時はじめてそれが先生だといふ事が分つたのです。なぜならば先生は、あの形のよい学者風のアゴ鬚を剃り落して、日焼けした、額の広い、たくましい顔に変つてゐたからです。
『どうしたんです、先生。』私は阿片の煙のなかで、たしかに狼狽してゐました。『どうしてこんなところを捜し当てたんです。』
『ビスクラで、君がチュニスのホテルに勤めてゐることを聞いたよ。そしてホテルで、ガイドの溜りになつてゐるこのカッフェを聞いたんだ。君は――思つたほど大人にならないね。』
『それはどういふ意味ですか、先生。』私は不服で、訊ね返しました。『私はあれから十五サンチメートルも背が伸びましたよ。』
『分つてゐる、分つてゐる。』と先生が昔のとほりの笑顔を見せました。『僕の云ふのは、ビスクラの子供たちが皆恐ろしいほど大きくなつてしまつたといふ事だよ。みんな、疲れたり、肥つたり、金持になつたりして、醜くなつたといふ事だよ。昔のまゝに美しいのはモクティルだけだ。それと君だけだ。』
『さうですか。随分みんな変りましたね。先生は誰にお会ひになりましたか。』
『バシルはカッフェの皿洗ひになつてゐた。――アシュウルは道路工事でやつと五スウか六スウかせいでゐる。――アマタルは、思ひもかけなかつたな。片眼をなくして失業してゐるね。――アジブは親父と一緒に肉屋をやつてゐる。ぶく/\に太つて汚いが、金が出来たな。それで、落ちぶれた友達とは口もきかない。――ブウバケルは結婚してゐた。まだ十五なのに可笑しな事だ。酒は飲むし、筋肉はたるんでゐる。――もうビスクラに期待するものは何もないよ。』
『さつき、モクティルにお会ひなつたと云ひましたね。』
『あゝ、モクティルだけは例外だ。やつは牢から出て、身を隠してゐた。あいつは皆のなかで一番美しかつた。また泥棒をやつたらしいが。あいつは体も敏捷で申し分なかつた。僕はモクティルを二日間雇つたよ。それとアリ、君だけだ。君はどうしてそんなに疲れてゐないのだ。どうしてそんなに健康なんだ。』
『アルジェリイの陸上競技聯盟が私を監理してゐるのですよ。だから不養生は出来ないのです。私だつて自分の才能は大切にしますからね。』
『はゝあ。鷹がいよ/\爪を磨きはじめたかね。しかし、君はあれをやるのだらう。』
先生は年上のガイド達が残して行つた阿片用の煙管を指さしました。
『とんでもない。あれをやつては走れませんよ。――先生こそおやりになるでせう。』
『冗談云つてはいけない。僕は、酔つて時の経つのを忘れる、などといふ事は大嫌ひなのだ。夜中でも眼を開いてゐて、時の刻みをはつきり数へたいくらゐだよ。』先生は輝いた顔付きになつて声を高めました。『僕は毎日の一瞬間、一瞬間が大切でたまらないのだ。この大陸の平原で太陽を浴びる火喰鳥、羚羊を追ひかける獅子、みんな出来合ひの日程で生きてゐるのではないんだ。みんな一瞬間が全力の一生涯なんだ。償ひも何も考へない貴い一瞬間なんだ。みんな出来合ひの幸福では亡びてしまふのだ。みんな明日の事も分らなくて、大事をとつて、子供を沢山生むんだ。永遠に生みつゞけるんだ。みんな幸福を自分で創つてゐるのだ。僕は――出来合ひの幸福で窒息しさうになつて、またこゝへ戻つたよ。マリイをノルマンディに残してね。』
『奥さんはどうしていらつしやるんですか。』
『可哀想に。あの優しい女は私の肺病が伝染つたよ。』
『あんなにあなたの事を看病していらしつたのに。』
『あゝ、よく看病してくれたな。しかし、アリ。僕は自分で病気を癒したのだよ。僕の病気を癒したのは僕だよ。』
私は数年前の真夜中のあの劇的な会話を思ひ出しました。私は重苦しくなつて、話を変へようとしました。その時、衣擦れの音がして、先刻のアラビア女が戻つて来ました。この女は私の年上のガイドの情婦なのです。私たちは三人で奥の狭い部屋に入りました。こゝにも非常に低い寝床があつて、客人はその上に坐る習慣になつてゐるのです。部屋の隅に、この女が飼つてゐるのでせう、ペルシャ猫が一匹おどおどして侵入者を見てゐました。やがて安心したものか、私の手から山羊の乳を飲みはじめました。私が猫と戯れてゐる間に、女は先生を傍にひき寄せました。緊張した、男と女と敵対の数分間とでもいふものが経ちました。やがて先生は、女を両手で眼の高さまでさし上げ、帳の奥の部屋に入つて行きました。――私が柔かい絨氈の上で眼をさました時は、もう朝の日差しが斜めに部屋の埃を容赦なく照してゐる頃でした。
翌日、先生は奥さんの重態を知らせる電報を受け取つて、急いで港を離れて行きました。深い後悔と、そしてその後悔を弱者の行為だと考へようとする闘ひが、先生の顔にあり/\と現はれてゐました。これが私と先生との最後の面会だつたのです。」
「翌年、私はアルジェリイ駐屯軍に召集されました。私はトウグウルの分隊に編入されて奥地に入りました。この辺まで入ると、沙漠はまつたく際限もなく拡がつて、移動する支隊と支隊との連絡は、この頃はまだ伝令兵を走らせる方法をとつてゐました。それで、新兵の何より厭がるのはこの伝令兵になる事でした。それは一番能のない、そして馬の代りになるやうな男が採用されるのです。ところが、最初の体格試験で、私が見事に合格してしまひました。私は同僚から大笑ひを受けて胴上げをされました。兵営につきものの夜の女までが一緒に笑つて私を眺めました。私は不愉快になり、よほど小刀を振り廻してやらうかと思ひましたよ。アラビア人は小刀を上手に使ひますからね。――しかし、その時、私の心の奥底に静かな誇を抱かせたのは、ジッド先生の口癖のやうに繰り返してゐたあの持論でした。私は、さうだ、さうだ、と独りであの持論を肯定しました。私はだん/\とあの持論に魅力を感じるやうになりました。私は進んで模範的な伝令兵となりました。ガアルダイアの沙漠軍区――ワルグラの軍区――エル・ゴレアの軍区――私はたつた一人で、帽子のうしろに付いた日覆ひの布を靡かせて、小さな砂煙を立てて、自分の足音を自分で聞きとりながら、支隊々々の休んでゐるオアシスからオアシスへ幾時間も駈けとほしました。ともすれば、私は日の出と月の出とを、起伏してゐる砂丘の同じ彼方に見たのです。さういふ時に私は、地球は円い、地球はいつまでも廻つてゐると書かれてあつた地理の教科書の教へを身をもつて体験したのです。さういふ時に私は、人間が大変小さい者だと書かれてあつたカトリック入門書の教へを身に沁みて体験したのです。しかし、さういふ時こそ、私はジッド先生に教へられた祖先伝来の人間の生活力を胸一杯に感じて、それを満喫して、沙漠のなかでこの上もなく傲慢になつたものです。風で出来た砂の波の一つ/\に朝の日、昼の日、夕方の日のあたるのを見渡して、全身でもつて傲慢になつたものです。そしてこの前後四年間にわたる、最も忠実な伝令兵としての賞状と履歴書とが、巴里に出た時に何よりも役に立ちました。――大戦では、私は機動部隊に属しました。私は近東でトルコ軍と戦ひ、殊勲章を三度もらひました。私の快活と、私の敏捷、それに私の文明社会に対する多少の批判力から来る落ち着きは、陸上競技聯盟でも職場の自動車店でも、大勢の人々から好かれる因になりました。これはジッド先生の賜物です。私はアフリカでの思ひ出が、果して先生にとつて愉快なものであるかどうか、疑問に思つてをりますので、巴里では一度も訪問を致しません。それに先生は今ではフランスの一方の代表的精神ですから。しかしそれでも、毎年の降誕祭には私たちは夫婦の名前で先生御夫妻にお祝状をさし上げてゐます。残念なことに、母は五年前に亡くなりました。私の妻はこの母の姪にあたる女です。私たちには四歳になる娘があります。これがまた、ジッド先生の主張に違反するやつで、年中病気をしてゐる、弱い、弱い子です。」
エルアフイはしばらく回想に耽つて、黙り込んでゐた。ル・タンの記者はこの運動選手の人柄に予期以上の好意を抱いた。
「ムッシュウ・エルアフイ。お宅には何かジッド先生の記念品がありますか。」
「さやう、今では二つしか残つてゐませんな。一つは先生が私にくれた小刀です。もう一つは先生の奥さんが母に下さつた手鏡で、これはなか/\凝つた品物です。モザイク模様のなかに、主がペテロにお与へになつた言葉が彫り込んであるのです。『汝今こそ好む処を歩めども、老いたらん後は手を伸べん』といふ句です。……」
記者は、もうすつかり暗くなつた戸外へ出た。彼はまだ善意の人間に会つた後の快感を味はつてゐた。彼はアムステルダム市の古風な都心に出て郵便局を捜した。彼が巴里のル・タン本社へ打つた電報は次のやうなものであつた。
「マラソン優勝者エルアフイ氏は競技の直後特に私を引見し、多彩な彼の前半生について長時間語つた。原稿今夜発送する。」