Kembali
猫八
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猫八
岩野泡鳴
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Terang
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Sepia
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Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 2 of 7

二

こんなことを語ってるうちに、ある家の門をはいった。ここにもわずかばかりだが胡瓜の畑を作ってあるのが彼には奥床しかった。

その家の二階へ上るにも、彼は変てこに尻をひょこひょこ曲げてでなければ上れなかった。けれども、自分の事を、

「今夜は珍らしいお客さんを一人連れてきた」と言って、高見さんが六七名の一座へ紹介してくれた時には、自分もいつもどおりお客に嬌えこんだ時のような誇りを感じた。「あとでひとつやってもらってもいいと思って――例の猫八です」

「こりゃアおもしろかろう」と叫ぶものもあった。

「例のは気に入りました、な、わたくしも多少は知られた芸人ですから。あなたがたのような偉い文士方の前へ出ましても、な、その、そうおじ気が出ないのは仕合せです」こう言ってじろりと一座を見わたすと、無邪気に笑ったものもあるし、別に感触を害しているようなものもないらしいので、こちらの洒落を皆寛大に理解してくれる人々だと分った。が、なお念のためにもッと分らせておくつもりで、「ただし前もってお断わりしておきますが、わたくしはリョウマチのために人様のようにはからだが利きません。したがって、こうわざと畏まってますように見えるのもそのためでげして、あながち諸君を怖がってるわけではございません」

「は、は、は」と来たので、彼はまず安心して、もう、こちらの物だとしばらく口をつぐんでしまった。

誰かの書いた小説の研究が初まってるのであったが、題目は俳優の事であるから、彼も縁の近い芸人として聞き耳を立てた。

当家の主人らしいのは、二三年前にはよく銭湯でいっしょになり、近ごろでも時々途中で出会うことがある人だが、これが高見さんに向って、

「今、『虎』が問題になってるところです」と言った。

「誰れのです?」

「久米氏の虎です、五月の文章世界に出た」

「僕は読んでませんが」と、高見さんは答えた。

「ここにも読んでる人は少いのだが――これをわざわざ六月の会に持ちだしておいたその人が今夜出席していないので、何も言わないで通過してしまおうかと思ってるのです」

「どんな筋なんでしょう」という問いに主人は答えて、

「僕もその人が問題にしてくれろと、ハガキで言ってきてあったのでちょッと読んでおいただけなのですが、――浅薄と言えば浅薄な物だが、低い程度で器用には纒まってると思う。作者にもそう深い要求がなかったのだろうから、あの作者としてはあれでもいいのでしょうが――虎とは作の主人公なる三枚目俳優が扮することになった役目です。この俳優には、原文を引くと、『もう、八歳になる子があった。そしてその子は去年初舞台を踏んで彼と同じく否、彼よりももッと正式な、新派俳優になる未来をもっていた。彼はその子をけっして三枚目にはしたくないと思った』」

「………」この本読みを聴いて猫八はえらいところへ飛びこんできたものだと思われた。この思いは自分でも少しおおげさな考えだとは承知しながら、まるで自分の事を言われているようであった。自分には男の子が四人あって、総領は十四で高等一年、次ぎは十二で尋常五年、いずれも出来がよくて級長をしている。この十二のが父親の真似が上手で、しかも父親以上の芸を持ってるが、それでも第二の猫八にはしたくないのである。否、父親が猫の喧嘩や動物の声を真似して、高座のうえから客の機嫌を取ってるところを子供に見せたくないためにこそ、早くからわざわざこんな不便な郊外を選んで住んでるのだ。猫が虎に変っても、そこにたいした相違はない。

「彼の振られた役というのは、ただ虎の一役だッた」主人が読んでるのはその小説の本文らしかった。「人の名ではない。ほんとのけだ物の虎に扮する一役だけだッた。動物役者という異名をさえ取っていたので、今さら虎の役を振られたとて、それが何の不思議であろう。けれども、ちょッと悲しく感じた。長年馴れてきていながら、職業だと思っていながら、どうせ茶化しているのだとは思いながら、自分の中なる人間がばかにされてるような気がして、ちょッと腹立たしくさえ思ったというようなシチュエイションにある主人公です」

「なかなか器用には作者の狙ったところは一貫しています」と、天神さまみたような顔つきの人が熱心な口調で口を出した。

「………」猫八には、今主人が言ったシチュエイションという英語が耳に残って、苦しいはめといったような意味の言葉ではないかしらんと想像された。そして自分は実際にお客様方の御贔負についはめられて、それに自分もついはまりこみ、とうとう二進も三進も動けない今の身分になってるのだとひそかに洒落れてみた。が、その心の奥ではますます芸人のいやなことを感じた。

「座長がそりゃア深井君のはまり役だと指摘するところがあります、ね」と、五分刈りあたまの前後へむッくり山脈のできた善智識顔の坊さんらしいのが言った。

「それから他のものにもその幕はすッかり深井君の虎に喰われてしまうというようなことを言われて」と、主人は言葉を進めた、「彼はいくらかまた得意にさえなった。けれども、虎だから、台辞を言うことがないので稽古にも出る必要がない。その日を利用して子供は上野の動物園へ行ってくれろと言うのを幸い、じゃア近ごろ評判の河馬でも見せてやろうかと言って、その実、自分は虎の様子をでも研究してくるつもりになった。すると、途中、電車のうちである劇評家に出会い、どこへ行くのだと尋ねられたので、じつは、子供に大評判の河馬を見せに動物園までと答えたが、機敏な劇評家からそりゃア嘘だろう、もう聴いてるよ、じつは虎だろうと目星をさされた」

「そういうところにも一種の悲哀は出ています」と、天神さまが言った。

「………」猫八は悲哀という言葉を聴いて、今さらのように目を見張った。ますます自分のことでも作り換えて、うがってあるように思えたからである。右の手を畳に突いて、左りの手を膝の上にある畳んだ手拭いの上に置いてたのだが、人情というものは誰れが感じても結局こう同じところに落ちるのかと感心して、その横坐わりのままあたまを少し後ろへ反らせて「なるほど! わたくしのような無学のものには小説なんかはいい加減に作り事を書いて、うそ八百を並べてあるものと思っておりましたが、――もっともこれはお歴々の先生方には初めから失礼であったかもしれませんが――今伺ってみますと、なるほど本統のことを狙ってあるものでげす、な」

「今の小説はむろん皆そうだよ」例のは少し怒ったように答えた。「うそを書いて満足している小説家とは吾々は小説家が違います!」

「ふ、ふん」と鼻で笑うのは智識がおであった。

「なかなか憤慨するじゃアありませんか」と、ひどい近眼らしい人もにッこりして冷かしを言った。

「別に憤慨しているのではないけれど、世間にはよくばか者があって、碧瑠璃園や徳富蘆花のようないい加減な通俗小説をえい方の標準にして俗悪な批評をするものが多いから」

「どうもすみません」猫八はすました顔でちょッと頭を下げたので、皆が笑った。が、それだけでは今度は自分が満足できないような気になって、一つ冗談を言った。「わたくしは、しかし研究の途中でまだ劇評家にはお会いしたことがございませんが、ある時、蚯蚓の啼き声を研究するために、あの、そこの廃兵院の森に夜明しをしてしゃがんでおりましたら、泥棒と見誤られて刑事に誰何されたことがございます」

「それも、君、一種の悲哀かまじめかの結果だよ」という天神様の説明があっただけで、別に誰からも、は、は、はッとは来なかった。

「………」猫八は予期に反して、がッくり調子抜けがした。そして初めて思い及んだのであるが、これは自分のお客ではない。自分は芸人として人を泣かせたり笑わせたりしても、自分の泣いたり笑ったりする余地を持たない。ところが、この人々はまた自分らよりも一段うわ手で、人を泣かせたり笑わせたりする芸人その物の自分では泣いたり笑ったりできないその心持ちまでも研究しているらしい。さすがはその方の専門家たちだろう。これじゃア自分は潔く兜を脱ごうという正直な謙遜心を起して、「そうしてその俳優はそれからどういたしました」と尋ねてみた。おもに子供との関係を知りたかったのである。それでも、たぶん、役不足を言って舞台に出なかったとか、子供だけは芝居へ見に来させなかったとかいうのが落ちだろうとたかをくくっていた。

Chapter 2 of 7
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