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泡鳴五部作 03 放浪
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泡鳴五部作 03 放浪
岩野泡鳴
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Chapter 3 of 24

三

林檎で腹の張つた子供ふたりは、廣い通りの眞ン中の草の上で遊んでゐる。その上へ、内地人には、異樣な高樹が二三本路傍に生えてゐる間から、ゆふぐれの色が攻め寄せて來るのが見える。涼しい風が玄關からも、裏庭からも吹き通る。

勇が酒と牛肉とを買ひに出て行くので、義雄も一緒に出た。今一人の友人――さう遠くない――のところへちよツと顏を出して來るつもりなのだ。

「島田君には、あれツ切り會はない」と、勇は道々義雄に別な友人のことを話した。あれツ切りとは、義雄が以前當地に一晩とまつた時、三人で大黒座へ芝居見物に行き、二人はそこで勇に別れて、遊廓へまぎれ込んだ時のことだ。「どうも、新聞記者肌の人には僕等は交際したくない、自分の現地位を危くする樣なおそれがあるから、ね」

「教師などは、それだから、僕等もいやになつたの、さ」と、義雄は半ば勇に同情すると同時に、北海道の新聞記者の多くがまだ專ら昔の萬朝記者じみたところがあるのを思ひ出す。樺太では、記者と云へば、殆ど全く北海道の惡習慣を帶びて來たものであるから、新たに記者を傭ふにも北海道から採用するのを嫌ひ、或新聞などは直接に東京のものを世話して貰ひたいと、義雄にわざわざ頼み込んで來たこともある。

島田といふ友人はそんな惡習に染まつたことがあるか、どうか知らないが、勇がそれを、國語學上もとの同窓であるに拘らず、敬して遠ざけてゐるのは、よく渠自身の性質をあらはしてゐると、義雄は思つた。

義雄は途中から別れたが、再び歸つて見ると、勇は待つてゐた。

「ゐたか、ね」と云ふ勇の問ひに答へて、

「島田君はゐなかつたから、あす午前に來ると云ひ置いて來た」と、渠はどツかり、玄關の立て寄せた障子に近い爐ばたへ座を占める。

直ぐちやぶ臺の上に御馳走が並べられて出た。勇と義雄との間にちひさい焜爐が据ゑられ、牛鍋がかかつた。勇はその上にあぶら身をのせてじう/\云はせながら、

「この頃肉屋の競爭で肉が非常に安いのだ。かういふものでなけりやア、僕のうちでは御馳走に出來ない。味はどこも同じことだらうが、けふは充分やつてくれ給へ。」かう云つて、酒の毒見をしてから、渠は義雄の猪口にも酒をついだ。

鍋には、肉のあしらひに、玉ねぎが這入る、カイベツ(キヤベツの變名だ)が這入る。かういふ物も、林檎と同樣、この北海道が本場だと思へば、義雄には特に珍らしく感じられた。樺太の三ヶ月とはまた違つた生活がけふから初まるので、何となく愉快な點もないではない。

三ヶ月前の一日は事業の話ばかりで、懷舊談などは殆どなかつたが、こよひは義雄もなか/\呑氣にかまへてゐるので、古いことが二人の談話にのぼつた。

東京の或耶蘇教學校で同級にゐた時、西洋人の教師を夜に乘じてなぐり付けたこと、本邦人の教師が意久地なしなので排斥運動をしたこと。義雄が經濟學をやり出せば、勇もその專門學校に這入つて來たこと。某縣に於ける時代に、二人が共謀して校長排斥を企ててゐるといふ寃罪を被つたこと。などを語つた間に、燗徳利は二三度自在鍵でつるした鐵瓶を出たり、這入つたりする。

「もう、あかりがつくのか?」義雄はお綱がランプを運んで來た時に云つた。そして、樺太はこの頃九時でなければ暗くならない、そして夜は午前二時に明けてしまふことを語つた。

「大相暮し易いところです、ね。」このお綱の言葉を引き受けて、勇は不思議さうにかの女に聽いた、

「どうして?――寒いところは厭だ、厭だと不斷云つてゐるのに?」

「石油が入らないから――」

「馬鹿な」と、勇も妻の顏につり込まれて笑つた。

「その上、澤山仕事が出來るでせう」と、かの女はつけ加へた。

「ところが」と、義雄も笑ひながら、「若し飯を四度喰はなければならなかつたらどうします?」

「まさか」と、お綱は吹き出した。

義雄は切つてある爐が初めから珍らしいのだ。そして、ぴか/\した鐵の灰入れを包んでゐる小石がいつも奇麗になつてゐるのは、時々取り出して磨くのだといふ説明も聽いた。渠はひよつツとすると、樺太越年の代りに、北海道の冬を過すかも知れないと考へてゐるので、札幌の家の建て方をも注意した。

窓はすべてがらす障子でカーテンを懸けてあり、縁がはの戸もがらす戸になつてゐるのは分つたが、冬籠りの時はどこを居間にするのだと聽くと、勇は釣りランプをはづし、それを手に持つて、次ぎの間に案内した。そして、渠の勉強室になつてゐる六疊の室を見せ、

「ストーヴをこの眞ン中に焚いて、煙りをここから出すのだ」と、煙り出しがまがつてそとへ出る角石の穴をゆび指した。

「かういふ住ひで色女と一緒に暮して見るのも面白からうぢやアないか?」かう義雄は語つて、もとの座につく。

「僕等は君の樣な呑氣なことは云つてゐられないのだ。」勇は渠に猪口を指しながら、「暮して見たいのならいいが、暮さなければならないのだ。」

かう云はれた時、義雄は勇の書齋に書物が丸でないのをあはれみ、如何にくすんでゐるとしても、讀書ぐらゐはもツとやればいいのにと思つた。そして、自分の東京に於ける書棚の澤山の書册が、今囘は、どうなるだらう? 愛婦に次いで、書册――殊にわざ/\外國から取り寄せた洋書――は自分の大切にしてゐるものだ。それらが自分の家と共に、もう抵當物になつただらうか、それともまた全く人手に渡つてしまつただらうか? そんなことを考へると、自分の身も亦書棚本の如く別々に碎かれてしまふ樣な氣になる。

義雄は猪口を手にして、僅かに氣を取り直した。そして、どうしても、この冬は樺太か、北海道かで、どこかの女と共に越年しようといふことを考へながら、

「ストーヴを焚き出すと、部屋はさぞ穢くなるだらう、ね」と尋ねる。

「きたないどころではない」と、勇は答へた、「みんないぢけてしまふから、掃除などは滅多にしないで、ストーヴのそばにまた炬燵をして引ツ込んでばかりゐる、さ。」

「色女と暮しながら、原稿を書いたり、讀書したりするにやアいい、ね。」

「君の嫌ひな子供ばかり出來て困るだらうよ。」

「そりやア、また別なこと、さ。」

「時に、君のはどうしてゐるんだ?」勇は義雄にお鳥のことを聽き出した。

「實は、君、さツき、ちよツと口をすべらしたから、もう隱してゐるまでもないが――」義雄は猪口を置きながら、「どうしてゐるか分らないのだ。僕が東京を出る時は二ヶ月ばかりで歸るつもりであつたから、その間だけの生活費を渡して、寫眞學校に通はせることにして置いたが」と、先づ、その女に寫眞術を習はせて獨立の生活が出來るだけにしてやるつもりであつたことを語つた。

ところが、あちらへ行つてから、料理屋や藝者屋へは一時の信用で遊びまはることが出來たが、現金と云つたら、十圓とまとまつたかねが出來ない爲め、女への支送りが六ヶしかつた。催促が來る、申しわけをやる。女の催促が恨みに變じ、罵倒に變じ、義雄の申しわけが訴へに轉じ、絶望に轉じた。かういふことなどを語つて、

「この頃では、女からの返事がない、多分一度關係した男にまたくツついてゐるか、別な男を見つけたのだらう」といふ想像を加へた。

そして、この關係した男といふのは、義雄の友人加集泰助であつて、義雄が一度女と手を切らうとした時、中に這入つて貰つたものだ。その關係が出來た後、義雄の未練から再び愛の撚りがかかる時、女は義雄に申しわけがなかつたと云ふ意味で、アヒサンを服して死にかけた。それは義雄の出發間ぎはのことだ。

それでその友人と女との關係は絶えた筈だ。そして、義雄は女の豫後を一週間ほど獨りで見てゐた上、女が平時のからだ通りよくなつたのを見定めてから出發したこと、などをも語つた。

「そんな女はゐない方が奧さんの爲めによいでは御座いませんか」と、お綱は云ふ。

「つまり、女といふ奴ア薄情なもの、さ」と、勇は斷定してしまふ。

然し義雄が醉つてゐながらも目の前にあり/\と思ひ浮べられるのは、出發の際お鳥が上野まで見送つて來て、いよ/\汽車に乘り込むといふ場合に、プラトフオムで、人々とかけ隔つてゐるすきを見て、

「わたしは、もう、一生あんたばかりを愛します。親類もなく、友達もないと同樣寂しく待つてゐますから、早く歸つて來て頂戴、ね」と、その聲は顫へてゐながらも、いつにないしツかりした、はツきりした、積極的に情の籠つた言葉を發したことだ。

それから、また自分が二等客車の窓から、これが暫くの別れだといふ意味で、手をさし出すと、お鳥はじろ/\とあたりを見まはしてからまたその手をつき出し、義雄の思ふ存分に握らせたことを思ひ出す。

そんなことまでは義雄も語らなかつたが、

「あれまで熱心になつてゐたものが、僕の云つてやつた難局を少しでも辛抱し切れないとは不埒極まる、さ」と、渠は勇に猪口を勸めながら云ふ。

「然し」と、勇はその猪口を受けながら、「君が女を持たなければならないとすりやア、この難局を切り拔けてからの方が、つまり、いいぢやアないか? 難局を控へてゐながら、女に支送りしようなどと考へるのが贅澤、さ。」

「そりやア、僕もさう決心してゐる、さ。ただ僕がまだ未練があるのだ。――考へると、可愛さうでもある。」義雄は風呂敷包みの中からお鳥のよこした手紙の一と束を取り出した。

六月二日附のはお鳥が義雄に上野で別れた日の夜認めたもので、手を握られた時の嬉しかつたこと、恥かしかつたこと、汽車が出る時はその跡を飛んで行きたかつたこと、悲しさにその場へ倒れかかつたことなどが書いてある。それと同じ樣な感情で書いたのが、今一つ、一日置いて來てゐる。

その次ぎのは、十日間ほど經つてから書いたもので、樺太安着を本妻の方へは電報で知らせながら、自分へは手紙でよこしたといふ恨み言がある。これは、義雄には輕重の意味があつたのではなく、弟の病氣が餘り惡い状態であつたので、その入院を電報で知らせるついでに、安着をも書き加へたのであつた。その辯解は手紙で書いてやれば濟むことと思つたが、その時手紙の返事では間に合ふまいと思はれることが書いてある。

それは、關係がなくなつた筈の男が、義雄の留守をいいしほにして、お鳥の住んでゐる借り二階へおほ手を振つて這入り込まうとすることだ。最初などは、お鳥の朝まだ起きあがらない時やつて來て、ひらきのうち錠――義雄が出發前につけた――を押し切つて這入つたりしたので、下の人々に今度からは留守だと云つて呉れろと頼んだと書いてあるが、どうも義雄の安心出來ないことがあつた。

外でもない、かの女自身は義雄の手紙を受け取るまで頻りに渠の身を心配してゐたのに、本妻の方へは電報が行つてゐたのを知つた時は、渠に人情のないのを知り、

「自分の身を抱いて泣きました」とある。電報のことをお鳥に知らせるのは、友人しかない。して見ると、その友人がかの女の義雄に對する愛を再び奪ふ爲め、輪に輪をかけて泣かせたのだと思つた。

この手紙の事情を解し得た時、義雄はマオカの旅館でむかむかッとのぼせあがり、友人並にお鳥を咒つた。そして、直ぐかの女へ當て、「カシウノシラヌヤドヘウツレ」といふ電報を打ち、またその意味をこま/″\と認めた手紙を出した。

再び取り返しのつかないことをしては、もう、二度の勘辨は出來ないと思つたからである。

その次ぎの手紙は、義雄の電報並に手紙に對するかの女の返事である。宿などは轉じなくても、自分の心さへしッかりしてゐれば、加集の樣な奴(と、實際書いてある)にたとへ來たとてだまされはしない。それに、この頃は來ないし、自分も元の自分とは違つて、心を確かにしてゐる。御命令通り轉宿しようとしてもかねがないから、それを何より早く送つて呉れろとある。

別れの際、受け取つたのは二ヶ月分の生活費と寫眞學校の月謝とだが、學校では別に種板や藥材の代金を拂はなければならない。その上、義雄に移された病氣(移した渠の方が却つて早く直つた)がまたひどくなり、且、例年の脚氣が出たので、兩方の爲めに氣分も惡く、歩行にも不自由してゐるから、醫師にも大分拂ひをした。そして、また、「蚊帳を借りることも儉約してをりますから、毎晩蚊にかまれて眠られません」ともある。

義雄はこの句を思ひ出して、お鳥の特別に色の白い肌を思ひ浮べた。

それに對して、義雄はたツた一圓を封じて送つてやつた切りだ。無論、やれたらやるが、やれなかつたのだ。そして、その封書には、某新聞社へ原稿を送つてあるから、そこから稿料をいくらいくら取れ。そして、樺太へ來るなら來い、醫師もあれば、寫眞屋もあるからと、旅行途中の手順や心がけなども書き入れた。

それに對するかの女の恨み言が、そのまた次ぎの手紙である。

「難局だ、難局だと云つてよこしても、あなたが露領までも旅行出來る餘裕があるなら、わたしの方へも送つて呉れるくらゐなものはありましよう。あなたはわたしに加集と關係があるの、なんのと申されますが、あなたはそッちでまた浮氣をしてゐるのでしよう」とある。そして、樺太へ行くにはなほ更らかねが入る。自分は今持つてゐた不斷着まで質に入れ、器物類を賣つて、ゐ喰ひをしながら、一人仕事を探したり、勤めの口の世話を頼んで見たりしてゐる。然しわざ/\新聞社などへかねを取りに行つて、若し渡されなかつたら恥ぢをかくばかりだ。今度こそ送金がなかつたら、どうせ一度死にかけた身、自分はどうなるか知れない。などと書いてある。

かういふ手紙はすべて、義雄には、日附けさへ見れば直ぐその内容も分るので、一つ/\を束ねから無言で順序通りにめくり取つて行つたが、渠はその次ぎのを取つて、封筒から拔き出した。そして、鳥渡開いて見たが、またもとの通りに納めた。

餘り罵倒罵言に滿ちてゐる手紙であるからだ。

義雄は、勇にも話した通り、樺太で越年して、木材を切り出したり、創作をしたりするもくろみがあつたので、ちひさなロスケ小屋を一軒手に入れた。そこでお鳥と一緒に住む氣になり、かの女にどうしても來い、かねは新聞社のを取つてと云つてやつた。

すると、かの女の返事に、渡すか、どうか分りもしないかねを當てにして、樺太へ來いとは氣違ひの云ふことだ。その上、自分を可愛いと思ふなら、早く歸つて來い、樺太などへ行くのはいやだ。お前の嬶アも氣違ひの樣になつてゐるさうだが、お前もそれになつたのではないか? もう、何も云ひたくない。お前が出發前に、事業費のうちに用立てた衣類六點を――亡き母の形見であるから――そツくり、早く返して呉れさへすればいい。そのかねを直ぐ送つてよこせとあるのだ。

これに對しては、義雄も非常に怒つた。もう、勝手にするがいい。どうせこちらの命令通り轉宿もせず、稿料も取りに行かないなら、加集でないにしろ、また別な男にくツついてゐると見られても止むを得まいと云ふことを、最後の通知と見て、云ひ送つた。

その次ぎに、七月二十五日出のがある。それが樺太へ着した最後のものだ。

「これが、君」と、義雄はそれを勇の前に繰り廣げ、「僕として殆ど絶縁のつもりで出した手紙に對する返事だ」と説明して、讀み初める。「七月十五日の御手紙拜見いたしました。御立腹の段は御もツとものことと存じます。わたしの方も餘りひどいことを申しあげたと今更ら氣の毒に思ひます。それも餘り暮しのことを心配して、どうしよう、かうしようと、のぼせたからでしよう。

「然し昨日新聞社から原稿料を受け取りました。この頃はさツぱり加集はやつて來ませんから、宿を變へる必要はないと思ひますが、ふだんの着がへまで質に入れて、着の身着のままですから、わたしが入れた質物を出してしまひました。またお米なども買ひました。

「この頃は、寫眞の方も進んで來ましたから、時々寫生に出かけます。それもつき合ひで仕かたがありません。その度毎に、女だから同じ衣物も着てゐられません。衣物を出したり、お米を買つてしまつたら、もう、殘りは僅かになりました。成るべく儉約するつもりで、お湯にもめつたに行かず、おかずも買はないで濟ます樣にしてをります。」

ここまで讀んだ時、渠はかの女の或部分の臭いにほひを思ひ浮べた。手紙はここからまた訴へになつてゐる。

「わたしがこれほどにしてゐるのをあなたは可愛さうとはおぼしめしませぬか。わたしはあなたの爲めに兄弟とは文通を絶ち、友達とは交際が出來ない身になつてをります。兩親がないわたしは、あなた獨りが頼りです。それに、あなたには別に本妻があつて、わたしは妾同樣なので御座います。世の中からはすたれ物にされてをります。わたしはいつまでも蔭に育つ草ではありませんか」だが、かの字を略して、疑問點を字のつもりで入れてあると、義雄は笑つた。

「あなたも男でしよう、そして小説を書くだけ人情を解してをられるのなら、せめてこのみなし子同前な蔭草をあはれと思つて、身なりだけでも飾らして下さい。今では、化粧品一つ買ふおかねがないのです。」と、ここまで義雄は讀んで來て、ちよツと手紙を置き、卷煙草に火をつけて、二十二歳の女のいふこととしては、實に正直なところではないかといふことを勇に説明し、再び讀みつづける。

「それですから、この手紙着次第、まとめたおかねを送つて下さい。さうでなければ、越年など云はないで、早く東京へ歸つて來て下さい。お顏が見たくて見たくてたまりません。

「わたしは勤め口か都合のよい奉公口かを探してをりますが、いつかう見付かりません。うかうかしてゐると、學校へも行けなくなり、毎日のくらしも立たなくなります。話し相手も、相談相手もないからだで、廣い東京にどうしたらよいか途方にくれましよう。どうぞおかねを送つて下さい。一生のお願ひですから、わたしに心配させずに、早く送つて下さい。頼みますよ、あなた、頼みますよ。さよなら。七月二十五日、鳥より。

「戀しき/\義雄さま」の艶ツぽい宛名だけは、義雄もそれを少し遠慮して、微笑にまぎらして讀みとめ、煙草の吸ひ殘りを火にほうり込んだ上、直ぐその手紙を卷き納め、ほかのと一と束ねにして、元の通り風呂敷に包んだ。

「おのろけを聽かされて、默つてゐるのもつまらんです、わ。」お綱が先づ子供を寢かしつけた室から出て來た。

「實際、おごる値打ちがある、ね。」勇も猪口を取りながら云ふ。

「牛肉ぐらゐでは承知しませんよ。」

「豐平館の晩餐はどうしても、ね」と、勇はお綱と互に目と目を合はせて、多少冷笑の氣味を見せた。

然し義雄は、暫らく、ただ寂しい微笑を以つて返事に換へてゐる。

「僕ア聽きたいんだ」と、やがて渠は口を開き、「全體、あなたがたはこの手紙でどう思ひます?」

「どう思ふとは?」

「女に就いて、さ――?」

「そりやア、あなた」と、お綱が引き取つて、「とても」と北海道流の副詞で力づけ、「お氣の毒な方だとお察し申します、わ。」

「君が棄てるのも可愛さうだが」と、勇は猪口を取つてまた義雄にさし、お綱に酌をまかせながら、「一緒になつてゐるのも亦可愛さうだよ。」「ところが」と、義雄は受けた猪口を下に置いて、「どツちにしても、可愛さうでも何でもないのだ。――全體、年の行かない割合に、喰へない女だ。覺悟をしてかかれば、アヒサンの樣な毒藥を不斷隱して用意してゐたくらゐだから、どんなことでも平氣でやれる奴、さ。今の手紙も、全く信じて讀めば、少しも疑はれるやうなところがない代り、ちよツとでも皮肉に見りやア、後ろにあやつり手がゐるとも見える。少しでも金を取つて逃げようといふ手段だらう――加集といふ男がまだ關係してゐるとすりやア、口錢取りのやり繰り手、話上手な策略家だから、ねえ。」

「逃げてしまへば、もう、責任はその男に歸するのだから、なほ更ら結構ぢやアないか?」勇が思ひ切れと云はないばかりに云ふのを、義雄は心で情けなく思ひながら、――否、寧ろ自分の心を解して呉れるものはこの家にもゐないと觀念しながら、――

「そりやア、それツ切り、いくら手紙で事情を云つてやつても、向うからの便りがないのだから、僕もさツぱりして、思ひ殘りがなくなつたわけだが、どうせ僕には女が入用だから、矢ツ張り氣心の分つたものをつづけてゐる方がいいから、ねえ。」

「ですから、奧さんのところへ御歸りになつたら――」と、お綱が云ふ。

「いや、女房のところへは、失敗を囘復した後にも歸りません。」

かう云ふ話のうちに酒は終つて、飯になつた。

義雄は肉にカイベツのあしらひを、北海道の涼しい夜風と同樣、初めての如く珍らしく思つたと同時に、香の物代りに出てゐたカイベツ並に枝豆の糠味噌漬けを甘いと感じた。

Chapter 3 of 24
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