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あなたはニューロ・ディスクをユニットPC―999にセットし、書斎の安楽椅子に深々と体をうずめながらユーザIDとパスワードを入力する。セッションが開始されるとディスプレイの中央にはジョーカー・キムラの顔がクローズアップされる。このジョーカー・キムラなる少年は合成写真の映像によって生み出された架空の人物で、木村ソフト社のいわばマスコットである。全身の右半分が黒、左半分が白の西洋式悪魔といったコスチュームが印象的だ。
「擬似体験ゲームの世界へようこそ」ジョーカー・キムラが言った。「これから僕がゲームのやり方について説明します。まずヘッドホンをして下さい」
あなたは言われた通りヘッドホンをする。もともと子供用に開発された製品で、大人の頭には小さすぎたがそこを我慢して無理矢理押し込む。
「擬似体験ゲームの世界ではあなたはアテネの王子スーパーテセウスです。スーパーテセウスの使命は宇宙を制覇して大魔王ミノスを倒すことです。そのためにはたくさんのゲーム得点を稼がなくてはなりません。ゲーム得点は敵を倒すことによって与えられ、恐竜は10点、アルケリ星人を除く異星人は7点、アルケリ星人と魔女は5点、ミノタロウスは3点、宇宙船は20点、その他はすべて1点ずつになります。ゲーム得点が高ければ高いほど宇宙全体があなたに運が向くように動いていきます。百億点集めればほぼ確実にあなたは使命を果たすことができるでしょう。大魔王ミノスとは三回までしか戦えません」
あなたは軽くうなずく。
「なお、当ゲームはなるべく現実に近づけるため、できる限り現実と同数の行動の選択肢を用意しましたが、例えばある場面において現実の世界では実際前に進むことができても、ゲームの世界ではあなたがそこで前へ進むという可能性が考慮されていないため、前へ進めない場合があります。あなたがそういう選択肢を選んだときは、“ソレヲスルコトハデキマセン”という金属音が聞こえます」
「なるほど」
「ゲームはAコースとBコースの二種類があります。Aコースは初心者向きで幼年時代のテセウスからスタートし、宇宙の覇者となるにふさわしい英才教育をうけてから冒険を始めるコースです。これに対しBコースは上級者向きで、既に青年になったテセウスからスタートします。どちらをお選びになりますか」
「じゃあ、Bコースを頼む」
「かしこまりました」
ジョーカー・キムラは頭を下げて後ろを向いた。
「ちょっと待ってくれ」あなたは慌てて呼び止める。「もしゲームを途中でリタイアしたいときは、どうしたらいいんだい」
「そういうときはSUICIDEキーを入力して下さい。それだけで元の世界に戻れます。ではがんばって下さい。ゲームを開始します」
ディスプレイからジョーカー・キムラの姿が消える。だんだんとあなたは眠くなっていく。次第に朦朧となっていく意識の中で、自分はこれから擬似体験ゲームの世界に入っていくのだということだけが妙にはっきりと自覚される。
小鳥のさえずりが聞こえる。ほのかに生暖かい風が春の香りをかすかに運んでくる。目を開けるとあなたは森の中で一人佇んでいる。あなたは古代ギリシャ人のように薄い布を一枚だけ体にまとっている。自分は今何故ここでこうしているのか。自分は一体誰なのか。忘却の淵に沈んでいる記憶の糸をたぐりながら、あなたは追憶を試みる。そうだ、思い出したぞ。俺はアテネの王子スーパーテセウスだ。これから三人の魔女に捕らえられているアリアドネ姫を救いに行くところなのだ。だがここは魔女が支配する魔法の森だ。どんな危険な冒険が自分を待っているのか分ったものではない。
突然背後で怪物の咆哮が森の静寂を破る。振り向くと巨大な恐竜が牙をぬめらせながら躍りかかってくる。あなたは手にしていた黄金の剣を振りかざして敢然と応戦する。どこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。自分は何故これほど勇敢なのか。自分は何故これほど筋骨隆々とした精悍な肉体を有しているのか。自分はもっと貧弱な男のはずではなかったか。あなたは本能的に疑問を抱く。遂にあなたは恐竜の胸に止めの剣を突き刺す。ほとばしる鮮血が手にかかり、その意外な温かさにいささか驚く。やがて恐竜はその巨大な身体を横たえ、そのまま二度とうごかなかった。するとあなたは頭の中に甲高い金属音を聞く。
“オメデトウゴザイマス プラス10点”
あたりは再び静寂に包まれる。自分の高鳴る鼓動と荒い呼吸が耳に伝わってくる。剣を持つ手が心持ち汗ばんでいるようだ。
あなたは何気なく後ろを向く。一歩進もうとすると突然体が金縛りになり、頭の中に金属音が鳴り響く。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
あなたはあきらめてもう一度正面を向き、仕方なくそちらの方向に歩き出す。
しばらく森の中を進んで行くと、今度は二匹の恐竜に出くわした。あなたはやはり敢然と恐竜に挑み、即座に一匹を倒してしまう。
“オメデトウゴザイマス プラス10点”
またしても頭の中に甲高い金属音が鳴り響く。あなたはもう一匹の恐竜に躍りかかる。しかし恐竜は逃げ足が速く、森の中に全身を隠してしまう。あなたは執拗に後を追うが、どこまで行ってももう少しのところで恐竜に逃げられてしまう。そのうちにあなたは追跡をあきらめ、その場に偶然見つけた切り株に腰を降ろす。
「とうとう罠にかかったな。あの恐竜は私がお前をここへ招き寄せるために遣わしたのじゃよ。ホホホホ……」
声のした方に顔を向けると、六千歳の皺を刻んだ顔の老婆が立っていた。三人の魔女のうちの一人だ。あなたはそう直感して慄然とする。立ち上がろうとすると突然金縛りになる。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
「この魔法の杖の威力を知るがいい」
老婆は手にしていた杖であなたの肩を激しく叩く。するとあなたの体は徐々に小さくなっていき、遂には小人になってしまう。そして老婆はあなたをつまみ上げ、口を大きく開けて放り込む。
気がつくとあなたは見慣れた自分の書斎にいて、安楽椅子に深々と体をうずめるようにして坐っている。頭につけたヘッドホンがかなり窮屈に感じられる。ディスプレイにはジョーカー・キムラの残念そうな顔がうつっている。
「少し難しかったようですね」
「そうだな」
「どうです。もう一度プレイしますか。それともおしまいにしますか」
「もう一度頼む。今度はAコースにしてくれ」
「かしこまりました」
ジョーカー・キムラは再び会釈して後ろを向くと、ディスプレイから姿を消した。
アテネの正統なる王位継承者スーパーテセウスは、王妃たる母親の帝王切開によってこの世に現れる。勇ましい子供にしたいという王の計らいで、メスのライオンの乳で育てられる。生後十カ月のとき、寝室に忍び込んだ二匹の毒蛇を握り潰して殺し、このことが武勇伝として国中に広まる。古今東西の一流の学者を王宮に招き、幼児の頃から英才教育を受けるが、帝王学・修辞学・ユークリッド幾何学・錬金術・形而上学といった学問の他に、剣術・弓術・拳術・パンクラティオンなどの武芸も修める。
十八歳の誕生日にテセウスはアテネを去り、大いなる野心を抱いて旅に出る。まず人食い巨人ハチローに出会い、壮絶な格闘の末、これを倒して黄金の剣を手に入れる。次に恐竜の住む森に出かけ、三人の魔女を倒してアリアドネ姫を救い出す。アリアドネ姫は魔女の持っていた不老不死の薬を手に入れ、テセウスと共に飲む。
アテネに戻ると大魔王ミノスの呪いにかけられて父が亡くなっていたため、すぐアリアドネ姫と結婚して王に即位する。アテネはアトランティス帝国と国名を変え、地球制覇に乗り出す。最後にミケーネを征服して二百年がかりで地球を完全にアトランティス帝国の統治下に置くと、テセウスは国力を上げて宇宙戦艦の開発に力を入れ始める。
やがて百年がかりで宇宙艦隊を組織すると、いよいよアトランティス帝国は宇宙に侵出する。アトランティス帝国の高度に発達した科学文明の前に、異星人たちは次々に地球に無条件降伏していった。テセウスは征服した異星人を地球人の奴隷として労働に従事させ、帝国の産業全体の生産性を向上させる。最も有益だった種族はアルケリ星人で、彼らの血液は驚くほど効率のよいエネルギー源として燃料に使用でき、地球に第七次産業革命をもたらした。彼らの肌は葉緑素のため緑色で、食料がなくとも日光さえあれば光合成をして生きていけた。彼らのオスは言語を操るほど知能が高いため、頭脳労働に従事させた。これに対しメスは労働力としてあまり有能ではなかったが、その肉は地球人の嗜好に合い、食用として十分利用できた。彼らは交尾による生殖の他、細胞分裂の繁殖も可能なため、テセウスはアルケリ星人の培養場を帝都アテネと火星基地に建設する。種となるアルケリ星人の肉体をバラバラに切断し、その肉片を培養液につけておけば、三日間でそれぞれの肉片が一人前のアルケリ星人に成長した。
火星基地は宇宙侵出計画をはじめとする様々な目的のために建設され、火星の表面は地球人が宇宙服なしで活動できるように、酸素量・気温・気圧・重力など、地球とほぼ同じ環境に改造された。
宇宙侵出開始から四千年の歳月が流れる。もはや宇宙の大半はアトランティス帝国の植民地だが、大魔王ミノスの率いるミノタロウス軍団がテセウスの野望をなおも阻み続ける。そして両者は宇宙制覇のロマンを賭けて、今最後の決戦に臨もうとしている。