六
ところが、その翌々日の暮方万年屋はブラリと帰ってきた。私は階下で遅れて夕飯を食べていたが、万年屋はいかにも疲れきった様子で、ドッカリ上り框に腰を下ろすと、もう草鞋を解く勢もない。
「お上さん、今帰りました。」と息を切らせて、「すまねえが、嚊に降りてこいって呼んでおくんなさい。」
ちょうど為事から帰ってきた同宿の連中、夕飯を食っている者や、足を洗ってこれから食おうとする者や、四五人その周辺に居合せたが、皆黙ってにやにや笑っている。
「お前さん、ばかに手間を取ったじゃないか。四五日というのが、もうこれ、十日にもなるんだもの。」
と上さんが言う。
「どうもね、それが……とんでもねえ目に遭っちまったもんだからね、つい日間取ってしまって……」とグッタリ首を垂れる。
私はその萎れきった様子を見て、てっきり銀行の方がだめなのだと察した。
「そんなことはまあどうでも……それよりか万年屋さん、お前さんはもう家で泊らない方がいいよ。悪いことは言わないから、向うの三州屋へでもお行でな。」とつかぬことを上さんに言われて、万年屋は訝しそうに顔を挙げた。
「なぜね、私をもう泊めねえのかね。」
「そんなわけじゃないけれど……でも――ねえお前さんたち。」と上さんは周囲の者に言う。
「そうよ、その方がお前のためだ。」と誰やら言った。
こんな風で、上さんがいつまでも煮えきらぬことを言っているのを、万年屋は一図に泊めたくないのだと取ってしまった。で、さすがにむっとして、それなら泊めてもらわなくもいい、自分の留守中、嚊が寝たり食ったりした勘定の不足を奇麗にすまして、これからすぐ退払うと言った。
「別にそんな、お前さんから勘定なんか貰うのはありゃしない……からまたある道理もないやね。家は木賃だもの、誰の上さんだろうが何だろうが、一晩だって不足を黙って措きゃしないから。」
「おい、阿母。いつまでそんな廻り冗いことを言ってるんだ、聞いてても小憤れってえ。」と傍から一人がひき取って、「万年屋さん、お前がそんな心配しねえでも、上さんの勘定はその日その日にちゃんとすんでるんだとよ。」
「女に喰い逸ぐりはねえやな。お前が留守になりゃ、今度はもっと若い野郎が、上さんの食うから寝るまでいっさい世話するてえんだから、お前も安心してひき取んねえ。」とまた一人が冷かす。
万年屋の顔色は変わった。ガタガタ体が顫える。何か言おうとするが口も利かれぬらしい。
ところへ、あいにくなもので、どこへか遊びに行っていた万年屋の女房と銭占屋とが、二人とも赤い顔をしながらいい機嫌で帰ってきた。点灯ころの家の中は薄暗い、何の気づかずに土間へ入って、バッタリ万年屋と顔を合わせた女房は、ハッとして逃げようとする。と、いきなり亭主はその後髪を攫んだ。女は悲鳴を揚げる。
「何しやがるんだ!」銭占屋が横合からむんずと万年屋の利腕を抑えた。
「うぬ、うぬだな!」
「俺ならどうした。女だって活物だ、なぜその日に困らねえようにしておいてやらねえ。食わせりゃこっちが飼主よ、指でも指しやがると承知しねえぞ!」
「そうだそうだ、そんな分らねえ奴あ擲っちまえ!」と傍から嗾しかける。
二階にいた連中も皆降りてきた。多勢が寄って聚って、むりに女の髻を放させたが、それに逆ったというので、とうとう万年屋を袋叩きにしてしまった。そして誰だか二階にあった万年屋の荷物を運んできて、それといっしょに表へつき出した。
「本当にものの分らねえ鈍痴漢じゃねえか。己の気の利かねえことあ考えねえで、女を怨むッて法があるものか」というのが一致した衆評であった。
私は始終を見ていて異様に感じた。