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簡約医学史
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オスラーウイリアム
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Chapter 2 of 5

予防医学の細菌学的基礎

古代人たちは生命の起源について、大きな熱意を持ち時には深刻に推測し、病気と生きている小虫はある点で関連していると考えていた。そして病気と腐敗の関係を疑わなかった。最初の劣っていて粗雑な顕微鏡が発明されると腐敗している生物の研究に使われた。イエズス会士キルヒャー(1602-80)は1671年に腐ったミルク、チーズ、肉で「小さい虫」を調べ、1675年にオランダの商人レーウェンフック(1632-1723)は自分のレンズを改良して雨水、唾液、腸液、腐敗した物質に「アニマルクラ」を研究し、彼の時代の医師たちはこれらの生物がすべての病気の原因でないかと早くも疑って示唆した。1762年にウィーンのプラインスはすべての条件で液体を研究して、この信念に固く執着した。しかしこれは全部ではない。これらの生物は何処から来たか、これらは自然に発生したか、または他の身体から移ってきて増殖したのだろうか? 顕微鏡があるにもかかわらず、自然発生の理論は頑固にこの世紀の半ばを過ぎるまで続いた。ある有名な化学者は注意深い実験を行った結果として小虫は自然に発生したのであり、この生物は既に存在している形態であるという証明も彼および彼の支持者を信じさせることは出来なかった。これは1861年のパストゥール(1822-1895)まで残しておかれ、最終的に1876年(コッホ(1843-1910)とコーン(1828-1898))によってこの理論は永久に潰えた。最初の発見に続いてすぐにポランデ(1800-1879)とダヴェーヌ(1812-1882)によって炭疽菌が1863年に発見され、すぐ続いてリスター(1827-1912)の外傷感染の画期的な研究が行われ、無菌外科学の勝利になった。続いて回帰熱、ハンセン病、腸チフスのそれぞれの細菌が単離された。しかし何よりも大きな困難を克服したのはローベルト・コッホの1882年における結核菌、1884年のアジア・コレラの細菌の単離であった。それから他の病気の病原菌の一群が発見されたのに、不幸なことに数は少ないが最悪のものが、動物および昆虫だけでなく人間の病気が研究されても、解明されないで残った。

発見の歴史はこれで終わりとしよう。しかしこれらの菌とは何だろうか? 普通人の考えはこの問題で非常に悩まされている。細菌はふつう一種の虫と考えられている。実際にこれらは動物の仲間ではなく植物界に属していて知られているうちで最小の生物である。これらはジェリーのような原形質がまったく木材線維のように固い膜で包まれている。これらは形によって3つのグループに分類される。(球形の)球菌、(棒のような)杆菌、(コルクせん抜き様と言うか波型の)らせん菌、である。球菌は2つ、4つ、房、または連鎖状、をしている。この中には直径が1/150,000インチと小さいものがある。杆菌は大きいが違いが大きく、長さが1/25,000から1/4,000インチで幅が1/125,000から1/16,000インチである。このうちには運動に使う鞭毛と呼ぶ器官を持っている。らせん菌はもっとも長くて時には1/600インチもある。これらはすべて分裂によって2つになるか、胞子すなわち種を作ることによって増殖する。この増殖は速いようには見えないが、それは我々が古くからの算術的な策略を忘れているからである。毎時間に1回分裂する細菌は24時間で8,388,608になり、3日では口で言えないほど大きい数になり7,500トンの重さになる。勿論これは背理法によるものであり、これらが餌に利用しているものはこの系列の初期に使い尽くされてしまう。しかし餌が無くなるほかに自然はこの増殖を抑える他の方法を持っている。

この点を論ずる前に細菌全体の本性を見ることにしよう。細菌を単に病気および死の原理であると考えるのは誤解である。これらは生命の普遍的原理でもあり、有害な少数種は善いことをする何百万の中に隠れている。しかしこれらのために生物の存在は崩壊する。地球上の最初の生物は細菌、すなわち生きてゆくのに窒素のみを必要とする生物、であり、生命は彼らの増殖を意味して居る。細菌は空気や水に沢山いて、土壌中では9フィートほどの深さまでいるし、すべての生物の外にも中にもいる。しかし当然それらの数は存在を保つための条件によって変化し、極端な標高や氷河の氷にはいないし、極地にも深海にも殆どいない。必要な条件とは(1)湿度でこれが無いとすべて死ぬ。(2)空気であり、これに関して3種類がある。空気が無ければならない好気性菌、空気があってはいけない嫌気性菌、どちらでもよい通気性嫌気性菌、である。(3)食物で、ある種のものには生きている組織でなければならず、大部分のものには死んだもので良いし、あるものにとってはミネラル塩と大気窒素でかまわない。(4)温度、生きているためよりは増殖のための両極端は華氏32度から170度で、好ましい範囲は60度から104度で、病原菌は(進化が意味するように)最適なのは98.4度すなわち血液の温度である。(5)光のうちで直接な日光はすべての菌を殺すが、普通の自然光は大部分のものにとって意味が無い。

これらは莫大な数なので、ほとんど奇跡のような確かに超人的な成果をあげるような力を持っている。農場の生産物や乳製品、食肉用家畜または羊毛、皮革や角、多くの家庭用品、は細菌のお蔭である。細菌は我々の水道を汚染からまもる掃除人であるとともに、あるものは害からまもるために力を引き出している。さらに驚くことに確実にエンドウ豆やインゲン豆および多分すべての植物は、根にすんでいて窒素を含む鉱質を分解し、空気中の窒素を利用して、両方を植物に栄養物として与えている細菌を通して、土地から生命を得ている。

したがって健康と病気の過程は同じように細菌の機能である。医科学が特に関係するのは、普通に「感染」と呼ばれている有害な細菌の拡散の過程ならびに発現を追求し、この体系が細菌を飢えさせたり毒殺する自然の傾向を強めるための方法を追求することである。予防ならびに治療の段階に進む前に、細菌が如何に入り、効果を如何に現すか、およびこれに対する身体の反応がどのようなものであるかを、短く示さなければならない。

まず第1の細菌が入る方法は当然のことながら限られている。動物か昆虫に噛まれること、切り傷またはすり傷、感染した空気を吸うこと、細菌を含むものを食べたり飲んだりすること、による。特別な例は後に考察しよう。細菌の作用は毒素として知られている毒を作ることによる。これは疲労感、食欲不振、はっきりしない全体的な不快感や、もっとはっきりした痛み、頭痛、熱、組織の炎症、たぶん全身の知覚麻痺を起こす。身体の反応は複雑であり困難であり、完全に研究しつくされてはいない。しかしある程度は知られている。正常の血液や組織は殺菌力を持っているが、完全に健康であっても身体によって違い、特定の菌にたいしてはもっと違い、身体によって適する菌と有害な菌とがある。菌の増殖に土壌が適しないことによって身体が菌にたいして戦うことを「一般的抵抗」と名付け、普通の病気にたいする免疫はこの力に頼っている。そして予防接種の秘密は、ある特定の細菌の増殖に適している土壌が食べ尽くされたら、新しい増殖は極めて遅くなることである。病原菌は生き延びる場所が無いので寄生場所を入手できない。しかしこの受身の抵抗に加えて能動的なものを遊走細胞である白血球すなわちリューコサイト、および主として侵入された組織だけでなく脾臓およびリンパ腺の細胞が行っている。これらなどは毒素のあいだで働いて化学組成に変化を起こし、最終的には抗毒素すなわち毒素を迎え撃つものを作り、これは毒素を中和して細胞が病原菌にたいして戦争を行い、これらに打ち勝つことができる。そして前に言ったように回復すると、同じ種類の細菌による将来の破壊に抵抗する部分的または完全な免疫が与えられる。

しかし、この過程を短くしもっと確実にできるなら、抗毒素は病原菌が来るより完全にさきに働くことができたら大きな予防および防止の体系を得ることができるであろう。そしてもしも抗毒素が同様な病気で使われると身体の自然力を強化して病気を負かすのを助けることができるであろう。これが新しい血清治療体系であって1877年にパストゥールが開始しその後で一連の優秀な実験家たちが続けたものである。感染した血液の血清が患者の血液に注射する媒体に選ばれる。パストゥールはトリ・コレラで、レイノー(1834-1881)は牛痘で、この国ではサーモン(1850-1914)とスミス(1859-1934)が1866年に豚コレラにたいして、もっとも有毒な病毒を前もって接種して動物を治癒させ、健康な動物を免疫にすることによって、この治療法が有効であることを完全に証明した。しかし1892年にベーリング(1854-1917)がジフテリア抗毒素の価値に反対できないことを発表するまで、これらはあまり活気の無い興奮を引き起こしだけであった。不思議なことに素人だけでなく多くのばあいに医師もこれに反対した。部分的には誤解からであり、一部は動物実験にたいする人道主義からであった。これらの反対者の大部分は決定的な事実の重みおよび支持者たちの華々しい業績によって打ち負かされた。ジフテリアの死亡率だけについても、まだ10年にもならない血清療法の導入によって半減した。

感染症にたいするすべての抗血清を作る一般的な方法を示すにはジフテリア抗毒素の製法がモデルになるであろう。ジフテリア菌をアルカリ性のウシ肉汁で8日から10日培養すると特に有毒な毒素を作らせることができる。それから毒素を単離してその活性を正確に測定し消毒した容器に入れて別にする。実験によって最も適した動物である健康なウマの首または前身1/4に20mlの毒素およびたぶんその半分の抗毒素を5日置きに3回注射する。それから1週間置きに毒素だけを注射して、最初だったらすぐに生命に危険な量にも耐えるようにする。2月後に採血して血清を確かめる。もしも満足であったらもう1カ月のあいだ前と同じようにすると、ふつう最高質の血清が得られる。次いでこの動物を充分に瀉血して血液を消毒した容器に入れて冷蔵庫に置く。血液凝固が終わると血清は凝固塊から吸引しその活性を実験室で正確に測定し、保存するために殺菌剤を入れ、使用のために瓶に入れる。破傷風および毒蛇に咬まれたときに使う抗毒素は同じように作られる。今世紀にはたぶん全ての感染症およびすべての毒素に細菌性の抗毒素が存在することになるであろう。

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