Kembali
簡約医学史
Table of Contents
簡約医学史
オスラーウイリアム
Reading Settings
Ukuran font
18px
Tema
Terang
Gelap
Sepia
Pelindung mata
Spasi baris
Mode baca
Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 3 of 5

予防医学の個々の結果

予防医学においてすでに行われた業績の要約は、細菌によって起きるヒトや動物の重要な病気についてのノートによって、多かれ少なかれ制御されて最高に得ることができる。しかしここで述べた天然痘および狂犬病(前者は種痘によって殆ど絶滅している)だけでなく、猩紅熱および麻疹の病原菌はまだ単離されていないことに注目しなけれならない。理由はこれらが極めて小さいからであり、牛肺疫菌は顕微鏡下で殆ど見ることができないし、微生物は細菌ではなく未知の生物かも知れない。

これらの病気はいろいろに分類できるが、あるものは特別な分類が不可能である。しかし我々は過去の大きな天罰から始めよう。これらは直接の原因ではないとしても不潔、過密および一般的な不衛生によるものであり、その毒性および破壊性が原因である。

(1)ペストの大流行、または腺ペスト

過去におけるこの病気の恐るべき破壊は繰り返して記載する必要は無いであろう。これは13世紀の後半にヨーロッパの人口の1/3から半分を殺した「黒死病」であった。長いあいだ殆ど消失したと考えられていたが1894年に恐ろしい強さで香港に再出現しインドに広がり幾つかの機会で激しく急激に出現しトルコや地中海沿岸のある部分で暴れまわり少範囲ではあるがグラスゴウ、南アメリカの港、ニューヨーク、サンフランシスコに現れた。しかし西ヨーロッパおよびアメリカでは容易に抑えこまれインドでは血清接種がかなり有効であった。この細菌は皮膚の傷から入り主として感染したラットからのノミに刺されたことによる。

(2)アジア・コレラ

この恐ろしい疫病は19世紀半ばにさえアメリカで数千人の生命を奪った。今では完全に制御されていて出現しても商業の妨げにならない。これはインドのガンジス川の両岸に始まったもので、コッホはここでコレラのらせん菌とその広がる方法を見つけた。これによると殆どが感染した水を呑むことによって起きて接触によるのは稀であって、1873年以降にイギリスおよびアメリカで入国港以外に感染は殆ど無くなった。市の防疫が水の供給に依存していることは1892年におけるエルベ川の2つの市に示される。川の水を濾過せずに使っていたハンブルクは18000人の患者と8000人の死者が出た。濾過場のあるアルトナで患者は516人であって主としてハンブルクからの避難民であった。

(3)発疹チフス

これが西洋で如何に絶え間ないものであり恐ろしい呪いであったかは信ずるのが困難であるが発疹チフスの歴史はヨーロッパの歴史であるとある研究者は言っている。大都市のすべてにおいて、野営地および船において、病院や監獄で、これは殆ど絶え間が無く、死亡率はぞっとさせるものであった。これは完全にゴミと過密によるものであって、単に市の衛生、物資やゴミの輸送および良質の水供給によって数少ないスラムを除いてこの病気は絶滅した。感染率はイギリスで百万人あたり1,228人(当時は区別されていなかったので発疹チフスと腸チフスの合計)から1838年に腸チフス137人と発疹チフス3人に減少した。

(4)腸チフス

この病気は長いあいだチフスと同じとされていたが、今では別なものであることが知られただけでなく、発生条件の違うことが判っている。これはゴミや過密よりも下水管ガス、汚染した水、ミルクが原因である。綺麗な水と完全な下水が与えられた市はよくあるように感染源からミルクが供給されていなければ、現実にチフスは存在しない。ところが海辺の保養地は悪名の高いこの病気の発生地である。砂の掘り抜き井戸および過密な戸外便所から水が入る。細菌は1880年にエーベルト(1835-1926)によって発見されチフス菌と名付けられた。我々の都市でこの病気が続け様に流行したのは一部にはこの菌が非常に丈夫なためであり、治癒の後でも患者の身体の中で生き続けて汚染の手段になるからである。スペイン・アメリカ戦争で流行したのは過密のためのようであるが、むしろ海辺の例のように過密による汚染が理由のようである。田舎では不思議でないようである。地方生活には衛生が無く井戸は完全に無視され、時には家畜小屋の斜面にあった。典型的な例はペンシルバニア州のプリマス(人口約8000)で冬のあいだに腸チフス患者の排泄物は町の貯水池に入る流れの堤に捨てられ春になると融けて中に入り町に腸チフスが流行し1200人が死亡した。沸騰させた水と蒸留水の氷を使い、乳製品製造および水源の環境を完全に監視するのがしかるべき注意であり、医者および看護婦は排泄物を消毒するのが、真の予防である。

(5)ジフテリア

この杆菌は1883-4年にクレプス(1834-1913)とレフラー(1852-1915)によって発見され2人の名前がついている。これは吸入または胃から入る。前に述べた方法で作られた抗毒素は致死率を半分にした。衛生学上の注意は初期の流行を大きく減少させた。後者すなわち予防とは、隔離と消毒、回復期における注意、軽い喉の異常に注意すること、そして学童の喉を定期的に注意深く調べることである。軽くて気がつかないようなときに子供が外に出て学校に行くのは注意していないので病気を拡散させる最悪のことである。子供の歯と口もまた注意深く用心しなければならないし扁桃腺炎がしばしば起きるようだったら扁桃腺を切除する。

(6)黄熱病

これの病原体はまだ単離されていない。しかしゴミに依存するところは発疹チフスに非常によく似ているが、衛生を完全にすることによって熱帯地帯でホームになっていたハヴァナや以前に流行していた南部諸都市から実際上に消し去ることができた。同様にジャマイカからもまた殆ど無くなった。

(7)天然痘

以前には広範であり時には破壊的であり、生きていて死以上に恐れられた疫病であったこの病気は種痘しかも種痘だけによって殆ど根絶され、地域共同体において種痘に反対した強力な部分だけに残ったことは不思議な現象であった。事実は圧倒的であった。天然痘が流行るところはいつでも種痘を受けていない地域、国、民衆であり、死亡者は殆ど全部が種痘を受けていないヒトたちであり再種痘したヒトには居なかった。1871年のフランス軍およびドイツ軍のように2人が同じ条件で隣り合って寝ているときには種痘したものは病気にかからず種痘してないものが殺されていた。エジプトのように現地人は強制的に種痘され外国人は免れているところでは、死亡者は外国人5人にたいし現地人は3人であった。現地人はずっと貧乏で家や食事が悪く医学的な看護が悪く常識的に言って主な犠牲者になると考えられていたにも拘らずである。もしもある国の全員が種痘を受けしかるべき間隔で再種痘を受けたとしたらこの病気はドイツ軍隊におけるように完全に消失することであろう。この病気が存在し続けさせているのは種痘を逃げるものである。種痘を受けないフランス系カナダ人のあいだに今でも残っている災難はどうであるかと言う不変な例である。例えば1885年4月1日に市立病院であるモントリオール病院で1人の天然痘死亡者が出て、罹っていない患者は家に帰った。天然痘は野火のように広がりこの年の終わりまでに3,164人が死亡し市の冬のビジネスは壊滅し損害は何百万ドルに達した。種痘した100人の内で暴露したときに天然痘に罹ったのは100人のうちで1人以上ではなく殆ど誰も死亡しなかった。種痘しなかったもので完全に99%は罹病し25から30%は死亡した。しかし覚えていなければならないのはしばしば再種痘しないと完全な安全性は得られないことである。牛痘の力はヒトによって異なり永続的であることは稀であり時には1年または2年以下だからである。動物のリンパ液から他の病気に罹る危険は無くこのことが種痘を受けない口実にすることはできない。

(8)結核(いわゆる肺病を含む)

O・W・ホームズ(1809-1894)が「白い疫病」と呼んだものである。最も壊滅的な単一の死病でありアメリカ合衆国で1年間に12万人の死亡に責任があり、これは肺炎を除いたすべての感染症を合わせたよりも多い。以前に(あまり根拠が無く)遺伝病と呼ばれたものであるが1880-2年にコッホが単離した杆菌によることが明らかになった。遺伝と言われたものは主として環境であり一部は貧血の傾向によるものであった。伝染は一部は感染したミルクによるものもあるが、大部分は他の肺病患者が道路や家または時には病棟のゴミに吐いた痰の乾いたものからの粒子を吸入して起きる。当然のことに死亡は監獄や「施設」のように空気の自然循環の悪いところに多い。「自然」は患者ができるだけ多くなるようにしている。1人の瀕死でない患者は24時間に20億から40億の細菌を放出することが知られている。これらはハンケチから、顎鬚や口髭から、患者が使った家具その他から振り落とされたり、汚染した床から叩き出される。これらは全般的に広がっているので、どこかの臓器に結核巣が無いヒトは考えられない位である。結核菌は肺だけに限定されているわけでは無いからである。結核にたいする最大の武器は、第1に栄養および清潔を最高に保ち胸の保護に注意することである。第2は乾燥した痰が危険なことを大衆に教育することである。第3は病例の注意および登録である。第4は初期病例を治療するための公的サナトリウムの設立である。第5は重病患者のための専門病院である。大きな進歩がすでになされている。この病気が多いマサチューセッツで患者の割合が1853年以来1000人あたり42人から21人に減少した。ニューヨーク、グラスゴーその他の大きな市でも減少は同様である。

(9)肺炎

フレンケル(1864-1916)が1886年にこの菌を単離した。対および鎖になって増殖して吸入によって体内に入り健康なヒトの1/5の唾液に存在する。これは医学および衛生学によって減少しない病気であり、見たところ増加していて死亡率について結核の次に位置する。これは特に老人(典型的な老人病)や障碍者や不摂生者のように循環が活気の無いものの病気である。しかし多数の強い者もまた殺してしまう。治療は基本から革命化したがすべての患者の1/5から1/4は死亡する。今までのところ最も価値ある新しい方法は突然の心臓不全を防ぐことである。

(10)マラリア

1世代前までこれは我々のリストの内で最も判らない病気の一つであった。今でも文明の最悪な障碍の1つであり、白人が熱帯に植民するのを困難にしている。これは湿地、沼および新しい土地を造成し、下水道を引くことに密接に関係している。主として秋に流行し夕暮れから明け方に罹り、接触感染はしない。しかし、この病気を特に研究するためにアルジェリアに赴いた外科医ムシュー・シャルル・ラブラン(1845-1922)が赤血球の中に病原体を発見するまで何も知られていなかった。これは細菌ではなく小さな原形質性のもので、赤血球内で透明な輪として始まり、赤血球内の色のついたものを餌にして大きくなり、黒っぽい粒子を作り、ある大きさになると分割および再分割して莫大な数になって、急性の発作的な発熱および明らかな震えを起こす。何種類かの発熱発作がそれぞれ特有の寄生虫によって起こされる。ロンドンのパトリック・マンソン博士(1844-1922)により、伝染を媒介するのは湿地の産物であり夕方以降に活動することが知られている蚊ではないかと示唆された。そしてインドにいた陸軍外科医のロス(1857-1932)は蚊がトリのあいだで同様の寄生虫を伝染させることを見つけた。この寄生虫は蚊の胃細胞でを発育して糸状のものになり、唾液腺に移動して蚊が他のトリを刺すことによって移る。人間における感染においてもこれが主な経路であることが明らかになった。ここで言う蚊はアメリカ合衆国北部で普通にいるイエカではなく、この寄生虫が発育し感染を起こすのは主としてハマダラカである。決定的な実験は、これらの蚊にマラリア患者を刺させて非マラリア地帯の健康人を刺させて感染させたことと、1900年の6月1日から9月1日の最悪の季節にローマの周りの危険な平野で、2人が昼間は自由に身体を暴露したが夕方以降はしっかりした網の中にいることによって、マラリアに罹らなかったことである。その結論は、沼地やよどんだ水たまりを排水し、マラリア患者はキニーネで完全に治療して蚊に刺されても病気を伝染しないようにし、夕方以降は外に出ないようにし家に完全に網をはることによって、ヨーロッパ人が最悪の地帯でも住めることであった。

(11)性病

これらの病気はある面で我々が述べなければならないことのうちの最悪のものである。何故かと言うと純潔な子供たちを完全な毒性でもって感染させ彼らの生涯を苦しみで満たし、同じように純潔な夫人たちを悲惨および恥辱に巻き込むからである。感染は犠牲者のうちで最初に罹った片方だけでは留まらない。その(感染)原因の本質から厳しく抑制されてはいないので、社会が撲滅したり関係ある作用を減らすのは不可能である。医師および一般人はこの点でそれぞれ厳粛な任務を持っている。健康のためには欲望の満足が必要であり結婚をしないつもりになっている独身者にたいして、医師はとくに禁欲の使徒として振る舞いこれらの病気が他に感染するあらゆる努力をすることである。一般人はデリカシーとか同情的な無知とかの良心の咎めによって社会による監視を妨害しないことである。このことにたいする反対は当然である。女性たちは不正に対してすでに恥ずかしい重荷を受けているのでこれは不公正な恥辱であると感じる。寛大な人たちは法的な承認は法的な軽減であり弁護であるとする。そして経験によるとここに真の危険が存在する。一旦、法律によって保護されると警察の重点は悪名高い家々を減少させるのではなく酒場の場合のように保護する方に廻りずっと悲惨な結果を招く。しかしどのような危険でも現在のひどい条件よりもまだ良い。現在は市の売春宿は最も純粋であるべき家庭への感染の流れとなっている。

(12)産褥熱

開業医および産院において恐ろしいほどしばしば見られた5%から10%以上に及んだこの病気の死亡率だけではなく、ふつう二重の死別を含むことを思い出すと、この病気が殆ど完全に絶滅されたのは現代医学の大きな勝利の1つである。これが感染性であることは古くから疑われてきたが、オリヴァー・ウェンデル・ホームズ(*解剖・生理学教授、詩人、随筆家)が1843年にこれを信ずるに至った事実を完全にしかも明らかにして刊行した。しかし才人で詩人は医科学で権威を持たないと一般に専門家たちは永年にわたりこのことをバカにしていた。他の人たちは徐々に彼の意見を入れ始めた。しかしこれが完全に試みられるようになったのはリスターの消毒処理であった。これによる死亡率は今では1%の1/3に過ぎない。

(13)狂犬病

この病気はアメリカで動物に広範に分布しているがヒトのあいだではあまりふつうではない。しかしペットが沢山いて、どれも襲われて伝染する恐怖が広がっている。ヨーロッパではそれほど稀ではない。病原体は単離されていないがパストゥールはその神経系にたいする影響から計算して、ある種の接種が健康動物を免疫状態にして強力な量の病原体を中和することを確かめた。彼はパリに狂犬病を治療するための研究所を設立して確かに狂犬病の動物に咬まれた人たちの死亡率を1%の1/2以下にした。イヌでは隔離と口輪をはめることが唯一の予防策である。

(14)ハンセン病

これはたぶん他のヒトと接触したときだけに皮膚の擦過から細菌が入って起きるものである。そうではあるが普通に考えられているのに反して、ほんの軽度に感染性があるだけである。ハンセン(1842-1909)によって1879年に発見され、それ以後は予防条件について活発で非常に希望の持てる研究がなされた。アジアでは古くから広範囲に知られていていたが、サンフランシスコに中国人が来たり、ノルウェー人が北西部でかなり定着させ、ルイジアナおよび軽度に他の州で地方病になっていることは、一般には知られていなかった。ニューブランズウィック(カナダ南東部の州)でも同様であった。アメリカ合衆国にとってさらに重要なこととしてハワイおよびフィリッピンにはかなりお大勢の患者がいる。これは隔離および監視によって容易に抑えこむことができる。

他の細菌の幾つかを述べることができるが、その発見はまだ大きな予防にまで至っていない。知られているうちでもっとも恐ろしいは破傷風すなわちテタヌスであって1884年にニコライエル(1862-1942)が発見したものである。これは傷から入り、他の場所では壊疽になるのと同じように確実にある熱帯地区では破傷風になる。

インフルエンザすなわち「グリップ」は知られている最小の菌の一つを持っている。これは乾いた鼻汁によって広がり鼻咽頭から入る。炭疽病は主としてウシやヒツジの病気である。その細菌は単離された最初の病原微生物であり、吸入、感染した食物または擦り傷から入ることができる。

治療医学の変化

新しい医療は新しい学説またはむしろ病気についての新しい科学知識に従うと言うのは同じ事実の繰り返しである。このような知識を得る唯一の対象はそれを医療に具体化させることである。病気において発酵の法則が発見され最終的には細菌の作用であるとなってからは、身体が対立する「体液」によって動かされていた時のように「同じ」または「似ている」ものによる治療法は存在することが出来なかった。発熱は活気ある体液(*血液)の異常であるから瀉血を必要とし、病気は身体のどのような働きとも関係が無く主な症状を与える臓器だけが関係するとし、ある学派は病気をある種の波と考えて同様なもっと強力な波によって抑えられるとし、他の学派はいかなる理論的な仮説もまったく拒絶して印刷されたり伝統的だったり実験的な病歴だけに頼っていた。しかしこの世紀とくにその後半における大きな革命は薬の位置であった。世紀の始めには瀉血への古くからの信頼がまだ大きく支配していた。ブールハーフェ自身は医療の殆どすべての方法を利用し、18世紀の終わりにワシントンはその犠牲になった(*風邪を引いて瀉血により死亡)。しかしこの(*19)世紀の中葉には減少し始めた。ホメオパシーおよび正統の学派は医療の基礎を薬の研究と摂取に置いていたし多くのものは置いていた。彼らは薬の量と強さが違っていた。大量で粉薬や水薬の効き方は吐き気に比例するとしたり、少量のものの砕き方や薄め方によるとしたが、病気を取り扱うのに一つの能率の良い方法があるとはみなさなかった。

今日の進歩した医学は薬品を捨て去っていない。それより、むしろこれまでよりも薬品に注目し、幾つかの良く試して価値および活性のあるものを、これまでよりも高く評価している。現在の薬の多くは不活性かまたは害があり、作用が確かでなく、さらにもっと不確かな人間の機能に応用していることを知っている。しかし使わなければならない数少ない本当の薬や治療に使う物質を完全に研究して科学的に使うようにしている。これらは疑わしいいろいろな多数の物質ではなく、キニーネとジギタリス、および阿片、鉄と水銀とヨードカリ、などである。自然薬のあるものは極めて歴史のあることは興味深い。ヨードは古代に海綿を燃やした灰として知られており、麦角の特殊な作用は非常な古代に牧畜業者の心に印象づけた。キナの皮は決して新しいものではなかった。すればできるのに我々は自分たちの万能薬のリストに多くの追加を行っていない。しかし化学は我々に膨大な貢献をしてくれたし将来は多分もっと貢献するであろう。コカインのような新しい物質の発見の他に、良くても効力がいろいろであり純度や保存期間がいろいろと違う不純な薬の代わりに、効力を計算できる純度のある活性成分を与えてくれている。キニーネのように確実で(重要な病気に有効で)ある新しい特効薬を持つことができない理由は無い。

しかし新しい学派は何か医薬を与えなければならない義務を持っているとは思っていない。1世代前にほとんどすべての医師はそうしないと医業を続けられないと思っていたが、それが安全であるとも科学的であると誰も思ってはいなかったであろう。もちろん今でも患者または患者の友達が薬すなわち実際には必要でない疑わしい薬を服用して機嫌をとらなければならなかった例はあるかも知れないし、実際にしばしば実際に治療効果のあるのは心が浮き浮きとすることであって、薬の作用が効くのを希望をもって待つことによってのみ可能なこともある。そして医師によっては今でもその昔に習った(*役に立たなくても薬を処方する)ことをわざと忘れられないことがある。しかし変化は大きい。現代の病気治療は古くに言われていた「自然治療」方法、すなわち食事と運動、沐浴とマッサージに依存している。言い換えると安らかで完全な栄養、血液の流れをよくすること、排泄系または組織の循環の障碍を除くことによって自然力に最高の機会を与えることである。典型的な例は腸チフスである。19世紀の始めにこの病気はもっとも極端に荒っぽい「諸手段」によって治療された。すなわち、瀉血、水膨れを起こさせる、嘔吐、下剤、アンチモニーや水銀の処方、などの勇ましい療法であった。今では患者は沐浴され看護されて注意深く世話を受けるが薬を与えられることは稀である。これは一部は薬の作用についてのパリおよびウィーン学派の注目すべき実験の結果であり、これは最も強い信念であり一部は常に存在して非難できる対象であるホメオパシーの教えを揺るがしたものである。正規の医師は誰もホメオパシーの「無限に量の少ない薬」が直接の治療になるとは思ってはいないだろう。しかしホメオパシーの医師たちは他よりも多くの患者を失っていないことは確かであった。ここで一つだけ結論を引き出すことができる。すなわち「大部分の薬はそれを服用した病気には効果が無い」ということであった。

これらの「自然療法」は上に示した。しかし個々の要素をさらに解析するのは価値がある。これは慌て者の読者が考えるようにすべての文明の結果を捨て去って未開の状態に戻るのでないことに注意して欲しい。自然療法が効率の良いことは明らかに科学の知識および器具の改良、および一世代前には達することが出来なかった生活を楽にし清潔にする文明による千もの改良が自然療法を一流の治療方法にしたのである。

たぶん一番上に位置するのはよく訓練された看護師であろう。彼(女)らは多くの見せかけの愛他主義者よりも偉大な人道主義者であるだけでなく、医師たちを看護と不安の重荷から自由にしている。無知で頑固であり普通は気まぐれでありしばしば迷信を信じすべての医師の命令を無視することに誇りを持っている女性の代わりに、これらの聡明で誠実な女性は医師のすべての指示を実行し危険の徴候を注意深く見回りメモを準備して医師が危ない患者の進展および毎時間の変化を知ることができるようにしている。

治療および真に健康の保持における食事の重要性は、そのシステムが医師の主題になる前にも完全に見落とされることはなかった。しかし、何時にも治療所において完全に認識され、強く強調され、高く持ち上げられたことはなかった。多すぎる食物または調理を誤った食物、食べるのに急ぎ過ぎ、これらすべては外国人が国民病としてあだ名にしている消化不良に加担していて、だいぶ良くはなったが今でも最も恐るべきものである。過食もまた広がっているブライト病(*糸球体腎炎)および動脈硬化の主な原因である。砂糖菓子やドラッグストアの詰め合わせ、アイスクリームソーダや人口香料、は他の強力な原因である。とくに少女にとっては食事と食事のあいだにキャンディーを食べることである。ランチカウンターにおけるビズネスマンの5分間食事はビジネスタイムを節約する代わりにしばしば自分の健康を損なう。アルコール飲料の問題はふつう道徳または政治の討論に任せているが、ほとんど1世代または2世代も古いことではないが健康に重要な関係がある。ライトビールの導入は酔っ払いを減らしただけではなく、肝臓、胃、心臓、動脈の器質性疾患を減少させた。

この数世代のアメリカにおける低額の楽しい戸外運動の著しい普及以上に一般的な健康に有効な影響を与えているものは無い。気候が違うのでここではヨーロッパに比べて絶えず運動をする習慣を持つのは困難であり、社交が関係していなかったら大部分の人たちは無理をしようとはしないであろう。我々はスポーツや競技に熱中して来た民衆ではなく、以前には充分な手段が無かった。今ではテニスとゴルフがあり、自転車その他が多くの人たちの体格や特に神経の状態を良くしている。もちろんこれらのことにも判断が必要であり、たぶん健康な組織を持つ若者にのみ適する激しい肉体的なスポーツに熱中して自分に傷害を与えている高年の人たちもいることであろう。

マッサージにはちょっと触れるだけである。その目的はまず循環の障碍を除くことである。細菌その他に対する正常の条件を作るのに正常の血液は充分でなければならず、マッサージは循環を最も自由にさせる。沐浴は科学的な医療では「ハイドロセラピー」と呼ばれ特殊な機能として障碍のある発汗システムを自由にさせる点を除いて同様である。

これらに第4のものを加えることができるであろう。これはある意味ですべての中で最も自然なものである。何となればこれは他の何よりも古く何千年も前に互いに他人を疑う以前に、人間の目盛りの最も底において、未開人によって行われたものである。すなわち暗示であり催眠である。この種の治療の主として困難なことは、医療で使うのにしても、一定の結果を確かめる何らかの方法を準備するにも、あまりにも少しのことしか為されていないことである。もう1つは他のすべての心の科学と同じように、曖昧であること、神秘的なこと、その表現を規定できないこと、ペテンおよびペテンを呼びこむのに抵抗できない貪欲な騙されやすさの希望を持てない空気に囲まれていること、である。しかし何はともあれ精神医学的な方法は常に重要であるが、主として認識されていない役割を治療学において行っている。精神を浮き上がらせ、血液をもっと自由に流れさせ、障碍が無く神経にその役割を果たさせるところの信頼から、すべての治療が生ずる。失望すなわち信頼の欠けることは最も堅固な体格をほとんど死の扉に沈める。最上の医薬を失望のもとに与えられていたときに、信頼はパンの錠剤または1さじの清水で殆ど奇跡のように治癒することであろう。医術全体の基礎は医師へ、彼の医薬へ、彼の方法への信頼である。これは新しい発見ではない。ガレノスは「彼は信頼が最高のものに最上の治療を行う」と言った。自分の信頼にとってもあまりにも有毒であった万能薬を摂取して死んだ医者で化学者でハッタリ屋のパラケルスス(1493?-1541)は自分の患者に、完全に信頼し強い想像力を持つとその効果があるだろう、と言った。

18世紀の記載者および医療者がメスメリズムと名付けた催眠術については触れるだけしかできない。医療者が違うとこれを使った結果は異なり、ここでも個人的な方程式が非常に重要であることを示唆している。最初に科学的な研究を行い利用を試みた英国マンチェスターのブレード(1795-1860)は成功しなかった。インドにいた英国外科医は非常に成功し268例の手術を行いその頃はまだ行われていなかった麻酔の効果がすべてに見られた。この可能性は大きく誇張されてきているが、(ペテン師の場合を除いて)術者の主張ではなく大衆の騙されやすさによるものである。暗示に敏感となる新しい条件を作るよりは正常に存在するものを増加させているように見える。器質性の病気では実際のところ役に立たない。これが役に立ったのはすべて神経系疾患と分類される疾患で、すなわち、ヒステリー、痙攣性機能障碍、子供の悪習慣および薬剤やアルコール習慣の犠牲者である。時には出産および外科に使われたが、根拠が無くときには危険であった。歯科医が亜酸化窒素(笑気)を使うとき以上に証人が居ないでするべきではなく、法律は特別免許証またはある程度の医師に施術を制限すべきである。

ウィリアム・オスラー MD

オクスフォード大学

内科学欽定教授

Chapter 3 of 5
|