行事の主なるもの
私が、日本の芸能の歴史を考へようとした最初に、非常な興奮を催してくれたのが、此雪祭りの田楽の話を聞いた事でありました。しかし、こゝでは、其中二三の刺戟を含んだ部分を申すのに止めませう。
此行事の、主なる役廻りをするものは、右の鬼に扮する人達です。行列の山に上るのを迎へるのも、此人々です。後に言ひますが、矢取りの役を勤めるのも、やはり此人々です。
此祭りに於ける鬼は、殆、恐るべき鬼といふ考へはなく、親しむべく、信頼せられるものゝ様に見えます。そして最著しいのは、此鬼と、天狗とが、此雪祭りに於てはほゞ一つものに考へられて居る事です。
鬼の外に目につくのは、もどき・翁でありまして、もどきは二様に繰り返されて居ます。一つはさいほうと言ひ、更に其繰り返しをもどきと言うてゐます。二つながら、所謂鬼の面を被つて舞ふものです。翁は三種類あります。翁・松かげ・しやうじつきり、と言ふ三種類の面を被つて、引き続いて出て来て、各違つた唱へ言をします。つまり、翁の言ひ立てを三部分に区劃して語る事になるらしいのです。此翁に就いては、鳳来寺・田峯、或は花祭りのものと、比較研究の興味があります。
其外に、面をかついで出る役としては、此も一つ事でせうが、田畑の害物を圧伏するらしい、しづめの行事があります。これが二つに分れて、しづめ及び八幡として、面形も違ひ、身振りも変つて居ります。そして其対象も、鹿と駒とになつて居ります。此を見ますと、神楽系統の獅子の様に、獅子に扮するものが能動するのでなく、征服せられるものだといふ形が見えます。
人間の直面で行ふものとしては、牛系統のものと、簓・編木系統のものと、二つに分つ事が出来ます。牛の方では、競馬と称する三分芸を分化して居りますが、此は、乗りものに乗つた弓とりの姿を原とする様です。即、所謂牛が其です。此牛に乗る役は、最神聖なものと考へられて居ます。矢をつがへて、一度は社殿の屋根に向けて射放ち、今一度は、社地の境に居る鬼に向けて射る行事があります。鬼の場合は常識的にも解釈出来ますが、社殿に向つて射る形が残つて居るのは面白いと思ひます。つまり、矢は遠方に居る精霊、或は神に奉りものをする為の媒介物であります。此牛一つを見ても、日本の狩り場の社が、山の神・木の神・境の神に、上差しの矢を捧げた古俗の説明が思はれます。
秩序もなく、また、報告か解釈か訣らない様な文章を綴つて来ましたが、雪祭りの試演を御覧になるのに、此だけの漠然たる用意でも持たれる様にと思つたのです。
●図書カード