Kembali
太政官
Table of Contents
太政官
上司小剣
Reading Settings
Ukuran font
18px
Tema
Terang
Gelap
Sepia
Pelindung mata
Spasi baris
Mode baca
Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 7 of 9

七

四百あまりの戸數と、千八百足らずの人口とを有つた天滿村は、三十餘年このかた、太政官と綽名されてゐる、一字も字を知らぬ――假名も讀めぬ――大野源兵衞といふ、二十代から頭髮の禿げてゐる、豆腐を立てたやうな横に廣い大男に、一手で支配されて來た。

戸長の時分には戸長があり、町村制の後には村長があつても、それは皆太政官の人形であつた。戸長や村長になることを、太政官の手遊品になり、番頭になることゝ思ひ込んでゐる村人も多かつた。

酒にも女にも遊びにも、爪の垢ほどの嗜好を有たぬ太政官は、二十七の年から村を一手に攫んで、それを何よりの仕事とし、樂みとした。金を儲けることもよく知つてゐたが、金を握るよりは、村を攫む方に、手の力は籠つてゐた。

兎にも角にも、自由に郡役所や縣廳へ出て、郡長や知事に平氣で口の利ける人間はこの男の外になかつた。上の方から言つて來ることも、この男の大きな頭を潛らねば纏まりが付かなかつた。

一年、代議士の總選擧に、反對派の壯士が彼れを脅かさうとした時、彼れは天滿宮から寳物の緋縅の甲胄を借りて來て、それに身を固め、大身の槍をかい込んで、壯士に應對したので、流石の壯士も鐵拳を加へ兼ねた上、兜の鍬形で額を突き上げられて逃げ出した。といふやうな逸話は、「太政官」といふ綽名とゝもに、知事の耳にまで入つてゐたさうである。

「太政官はえらいのやが、俺等と同なしで、字を知らん明盲やさかい、何にも役はせえへんのやなア。」と、百姓が田圃で株伐りをしながら、高聲でやつてゐるやうに、彼れは一度も戸長や村長になつてゐない。何かの都合で、學務委員といふものに、たつた一度なつたけれど、一月經たぬ中に罷めて了つた。――一字も字を知らぬ學務委員――彼れ自身にも可笑しくて耐らなかつたのであらう。

村の世話方――といふ名を自身に命けて、彼れは村を自由にしてゐた。自分が明盲であるから、先づ立派な、郡第一の學校を建てゝ、眼の見える重寶なやつをドツサリ拵へてやらう、と彼れは思つて、小學校の建築に半生の力を注ぎ、出來上つた其の白堊の建物に生命を打ち込んだ。

「俺の力で書いて貰うた、天滿校の三字の、貴い筆蹟の額になつて掲つてゐる以上、どんなやつが出で來うと、この學校に指一本差させるもんか。差しもしようまい。」

かう太政官は信じ切つてゐた。近來甚だしく體力も氣力も衰へて來て、或る時は自身の力の何時まで續くことかを、自身に疑ふ折はあつても。………

村役場の床が、人とゝもに學校の教場の上へ落ちたといふことは、至る日の朝、村中に傳はつた。

「野口の阿呆めが、何んにも太政官呼んで來ることはない。自分が村長の代理なら、自分で責任を負うてしたらえゝやないか。」なぞと、この村では何事も太政官の指圖なしには公のことの出來なかつたしきたりを破らうとする蔭口が、今更らしく聞えた。

近頃では流石に太政官の人形になることを厭やがつて、村長のなり人がないので、無能な無爲な阿呆野口を助役にして、太政官に宛行うて置いたのであるが、そんなことでは、治まつて行きさうもなくて、權威破壞の聲が、百姓たちの口から村中に漲りかけた。

折柄の村會議員半數改選には、若い男が四人も出た。阿呆息子と見られてゐた寺田の利一郎といふ高等學枚の卒業生も、其の中に居た。

缺員であつた村長は直に選擧された。これまでの例を破つて、太政官へは一言の挨拶もなしに、青柳の青六と綽名されてゐる、六藏といふ金貸しの四十男が村長になつた。

天滿村九つの大字から選ばれる村會議員十人の中で、四人が東方、六人が西方といふ勘定になつた。東方は太政官派、西方は青六派といふことであつた。

「太政官でも何んでも、ドーンと來い。負けはせんぞ。」と、青六は胸を叩いた。

「やい文き、青六が村長になつたちうて、皆なが喜んでゐるのがおもろいやないかい。」と、乙松と呼ぶ老いた小作人は、文吉といふ若い小作人を見かけて、野路から麥畑の中に聲をかけた。

「乙まはんかア、……あの鬼みたいな青六が村長になつて、何が好かろぞい。」と、文吉は鍬の手を止めて、間拔けた聲で答へた。

「俺んとこのちいとあつた田もあの青六に取られ、家屋敷も青六のもんになつてゐるが、村中で青六にやられて、田地持ちから小前に落ちたもんが何人あると思ふ。」

「あいつの金借つたが最後屁や。……蟒に捲かれたやうなもんで、もうあかん。田から畑から家屋敷道具まで吸ひ込まれて了ふんやさかいな。」

「百兩の代もんを、十兩か高々二十兩でせしめるんやさかいなア、證文に物言はして。……あの手にかけたら、あいつ上手なもんや。」

「何んしよまア、村長はんが代はろと、誰れが議員さんになろと、小前のもんは生血絞られるばつかりや。……蓆旗でも立てゝ、一つがうそう(強訴)でもやらかさうかい。こんなりでは見い、今まに生きついて了ふで。……」と、文きはどんよりと曇つた眼の玉をクリ/\動かして、血の氣の乏しい顏に笑ひを浮べた。三十の男盛りで、顏に皺が一杯よつてゐる。

「違ひない。」と、乙まもしめたやうな手拭の頬冠りを取つて、薄のやうな白髮頭を掻き掻き笑つた。

「太政官と青六では、お月さんと鼈やが、村々の旦那衆が何んであないに太政官厭やがるんやろかい。」と、文きは鍬を其處へ放り出して、畦に腰を掛けた。雲雀がチユークラ/\と囀つて、二人の水呑百姓の上を舞うた。

「旦那衆のすることは、俺等にや解らんなア。」

乙まはかう言ひながら、川縁になつてゐる藪地に向つて立小便を始めた。

「出がわるい。……勢のないしよんべんすない。」と、文きは乙まの腰付きを見やりつゝ言つた。

「出もわるかろかい。水呑百姓ちうけど、水も碌に飮めん。此頃は日燒けで。……」

この村を貫ぬいて流るゝ、大きな山川の、河原ばかり廣くなつて、水の細くなつたのを眺めながら、乙まはかう言つて、

「この川床も荒れて高うなつたなア。俺ア覺えてから、五尺は結構高うなつてるで。」と、言ひ足した。

「何んしよそら、旦那衆が山ア坊主にして金にするさかい、大水が出て川床も荒れようかい。……一昨年の大水何うや、天滿宮さんの石段まで上つたで。……新田の市作んとこは家が流れて、田が落ち込んで川原になつてしもたがな。……そいでもあいつ負け惜しみの強いやつや、母者人が心配して患ろてる枕元で、青六に借錢の抵當に取られるより、川に取られた方がえゝ吐かしてけつかつた。可哀さうに母者人はあれを苦に病んで死んだがな。……無理もない、猫の額ほどの田地やけんど、先祖からの持ち傳へや、あゝ一面の川原になつてしもたんで、何處やら分らへん。……母者人がわたへんとこの田ア何處だツしやろちうて、水の引いたごろた石の川原を、泣き泣き探してたがなア。」と、文きの言葉は粗雜ながらに、物哀れであつた。

「けんど、市作もあいで甲斐性もんやなア、田も家も流れるし、母者人死なすし、蒼い顏に元氣出して大阪へ行きよつたが、電氣の工夫になつてお前、今では魚お菜にして飯喰ひよるちうこツちやで。」と、乙まは羨ましさうにして言つた。

「田ア荒れる、山ア荒れる。……川ア荒れる。賢いやつア町へいて了ひよるし、何うなるこツちやろかい。」

文きは棄鉢のやうに言つて、ぼんやり突つ立つてゐたが、何處からか赤犬が來て、綴れ股引の尻のあたりを嗅がうとした。

「あゝ喫驚した。……やけんど、牝たと間違へてけつかる。」と、手をあげて打つ眞似をすると、犬は後足を畦に滑らして逃げて行つた。

「俺等の若い時分とは、犬まで痩せやがつたなア。」と、乙まは感じの深い眼付きをして、骨の出ばつた赤犬の尻を見送つてゐた。

Chapter 7 of 9
|