Kembali
鱧の皮
Table of Contents
鱧の皮
上司小剣
Reading Settings
Ukuran font
18px
Tema
Terang
Gelap
Sepia
Pelindung mata
Spasi baris
Mode baca
Terjemahan Pagera AI
Asli Public Domain
Chapter 5 of 9

五

堺の大濱に隱居して、三人の孫を育ててゐるお梶が、三歳になる季の孫を負つて入つて來た。

「阿母アはん、好いとこへ來とくなはつた。をツさんも來てはりますのや。」と、お文は嬉しさうな顏をして母を迎へた。

「お家はん、お出でやす。」と、男女の雇人中の古參なものは口々に言つて、一時「氣を付けツ」といつたやうな姿勢をした。

「あばちやん、ばア。母アちやん、ばア。ぢいちやん、ばア。」と、お梶は歌のやうに節を付けて背中の孫に聞かせながら、ズウツと源太郎の胡坐をかいてゐる三疊へ入つて行つた。

背中から下された孫は、母の顏を見ても、大叔父の顏を見ても、直ぐベソをかいて、祖母の懷に噛り付いた。

「あゝ辛度や。」と疲れた状をして、薄くなつた髮を引ツ詰めに結つた、小さな新蝶々の崩れを兩手で直したお梶は、忙しさうに孫を抱き上げて、萎びた乳房を弄らしてゐた。

「其の子が一番福造に似てよるな。」と、源太郎は重苦しさうな物の言ひやうをして、つく/″\と姉の膝の上の子供を見てゐた。

「性根まで似てよるとお仕舞ひや。」

笑ひながらお梶は、萎びた乳房を握つてゐる小さな手を竊と引き離して襟をかき合はした。孫は漸く祖母の膝を離れて、氣になる風で大叔父の方を見ながら、細い眼尻の下つた平ツたい色白の顏を振り/\、ヨチ/\と濡れ縁の方に歩いた。

「男やと心配やが、女やよつて、まア安心だす。」

戰場のやうに店の忙しい中を、お文は銀場から背後を振り返つて、厭味らしく言つた。

それを耳にもかけぬ風で、お梶は弟の前の煙管を取り上げて、一服すはうとしたが、煙管の詰まつてゐるのに顏を顰めて、

「をツさん、また詰まつてるな。素人の煙草呑みはこれやさかいな。」と、俯いて紙捻を拵へ、丁寧に煙管の掃除を始めた。

「福造から手紙が來たある。……一寸讀んで見なはれ。」と、源太郎は厚い封書を姉の前に押しやつた。

「それ、福造の手紙かいな……私はよツぽど今それで煙管掃除の紙捻を拵へようかと思うたんや。」

封書を一寸見やつただけで、お梶は顏を顰め/\、毒々しい黒い脂を引き摺り出して煙管の掃除を續けた。

「まア一寸でよいさかひ、其の手紙を讀んどくなはれ。それを讀まさんことにや話が出來まへん。」

「福造の手紙なら讀まんかて大概分つたるがな……眼がわるいのに、こんな灯で字が讀めやへん。何んならをツさん、讀んで聞かしとくれ。」

煙管を下に置いて、巧みな手つきで短くなつた蝋燭のシンを切つてから、お梶はスパ/\と快く通るやうになつた煙管で、可味さうに煙草を吸つて、濃い煙を吐き出した。源太郎は自分よりも上手な煙草の吸ひやうを感心する風で姉の顏を見つめてゐた。

孫はまた祖母の膝に戻つて、萎びた乳も弄らずに、罪のない顏をして、すや/\と眠つて了つた。

「福造の手紙を讀で聞かすのも、何やら工合がわるいが、……ほんなら中に書いてあることをざつと言うて見よう。」

源太郎はかう言つて、構へ込むやうな身體つきをしながら、

「まア何んや、例もの通りの無心があつてな。……今度は大負けに負けよつて、二十圓や。……それから、この店の名義を切り替へて福造の名にすること。時々浪花節や、活動寫眞や、仁和賀芝居の興行をしても、ゴテ/\言はんこと。これだけを承知して呉れるんなら、元の鞘へ納まつてもえゝ、自分の拵へた借錢は自分に片付けるよつて、心配せいでもよい。……長いことゴテ/\書いてあるが、煎じ詰めた正味はこれだけや。……あゝさう/\、それから鱧の皮を一圓がん送つて呉れえや。」と、手紙を披げ/\言つて、逆に卷いて行つたのを、ぽんと其處へ投げた。

怖い顏をして、ヂツと聽いてゐたお梶は、氣味のわるい苦笑を口元に湛へて、

「阿呆臭い、それやと全で此方からお頼み申して、戻つて貰ふやうなもんやないか。……えゝ加減にしときよるとえゝ、そんなことで此方が話に乘ると思うてよるのか知らん。」と言ひ/\、孫を側の座蒲團の上へ寢さし、戸棚から敷蒲團を一枚出して上にかけた。細い寢息が騷がしい店の物音にも消されずに、スウ/\と聞えた。

「奈良丸を千圓で三日買うて來て、千圓上つて、損得なしの元々やつたのが、福造の興行物の一番上出來やつたんやないか。……其の外の口は損ばつかり。あんなことに手を出したらどんならん。……一切合財興行物はせんこと。店の名義は戻つてから身持を見定め、自分の借錢のかたを付けてから、切り替へること。それから、何うあつても家出をせぬといふ一札を書くこと。……これだけを確かり約束せんと、今度といふ今度は家の敷居跨がせん。」

もう四五年で七十の鐺を取らうとする年の割には、皺の尠い、キチンと調つた顏に力んだ筋を見せて、お梶は店の男女や客にまで聞える程の聲を出した。

銀場のお文は知らぬ顏をして帳面を繰つてゐた。

Chapter 5 of 9
|